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【注】2011/6/23全面改稿しました。
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生粋のブーシエの一族である俺の家族は、長兄はイェド騎兵隊の連隊長、次兄はその参謀として確固たる地位を築き、一線からすでに身を退いた父も現在の軍総大将である叔父とともに北方の平定に活躍した〝戦神〟の異名をもつ猛者(もさ)であった。
その環境にあって、俺もまた物心つく前から、剣に限らずありとあらゆる武術を叩き込まれていた。その際に言われたのが、
「おまえは、ひとを守る剱(つるぎ)たれ」
という言葉だ。おのれの剣と力は、弱きものを守るためにこそあるべきだというその教えは、ことあるごとに刷り込まれ――〝守る〟という意味すら漠然としたまま、俺は守るべきなにかを探すように訓練と仕事に打ち込んでいた。
あの夜、リオコに出逢うまでは。
彼女が目覚めたと女官のシエナから知らされ、俺は部屋に向かった。ベッドの上で半身を起した彼女は毛布で体をくるみ、脅えたように片隅に身を引いている。まだ目の縁に残る涙。
「気分はどうだ?」
声をかけたのが失敗だったか、彼女はさらに身を縮こませた。
自分が若い女性や子どもに安心感を与える外見ではないことを自覚している俺は、黙って水を差し出す。が、首を振って断られた。
――さて、どうやって接したものか。
ジャムに頼んだ、送心術を使える魔法士はまだ到着していない。他人の心を読める彼をこちらに置いておくべきだったかと、いささか後悔の念がよぎった。
そのとき、彼女がはじめて声を発した。細く不安げな、だが甘さを感じる声。
「xxx?」
尋ねるように、何度かベッドを指差す。
「ここはイェドだ。東の都、イェドの城だ。君はイェドの傍のムシャザの平原にいた。……君の名前は?」
分からないのか、首をまた横に振る。
「俺の名前はタキトゥスだ。タキトゥス」
「たき……とす?」
つたない呼び方。思わず、笑みが洩れた。短いほうがいいかと言い直す。
「タク」
「たく?」
俺の名が甘く響く。名前を呼ばれて嬉しいと思うなど、子どもの頃以来だ。
彼女が、自分の胸を指で示す。
「りおこ。たかとうりおこ」
「リヨーコ?」
上手く発音が出来ないでいると、彼女はゆっくり音を区切って話した。
「り・お・こ」
「リオコ」
そう呼ぶと、彼女――リオコは本当に嬉しそうに笑った。その場が一瞬、明るくなったと感じたくらいに。その明かりは、俺の胸にも確かになにかを灯した。
その明かりを消さないように、分からないと知りつつも、俺はこちらの言葉でリオコに話しかけ続けた。
「心配するな」
君が泣いたり、沈んだ顔をしたりすると周りまで影が差してしまう。まるで、月が雲に隠れるように。
なんとか彼女の笑顔を取り戻そうと、味方だと分かってもらおうと――俺はリオコの右手を取り、騎士の礼を捧げた。白い花のような手の甲に唇をつけ、生涯で初めての言葉を口にする。
君に伝わらなくともいい。これは俺の、俺自身に対する誓約だ。
「――俺は永遠に君を守ると、君に誓う」
「これが、おまえの守るべき者か?」
リオコと対面した場で、アルマン王子はそう俺に訊いてきた。俺が荒野で彼女を拾い、保護の一切を手配したことはすでに連絡済みだ。
〝永久の緑葉〟と称される瞳が、興奮にきらきらと輝いている。
「なるほどな、確かに〝異界の乙女〟のようだ。よかろう。おまえに彼女の警護を任せる。これよりその娘は、私の客人だ。丁重に扱え」
「……は」
俺は、寛大ともいえる処遇に驚きつつも、頭を下げた。同時に厭な予感が胸中をよぎる。
年の初め、王が「異界の乙女を連れてきたものに王位を譲る」と公言し、宮廷を揺るがす騒ぎとなったことは聞いていた。
そのときは王子も特に関心を示したようではなかったが、
――目の前に本物が現われると、こうも変わるものか……。
獲物を見つけたに似た表情でリオコを見つめる王子を、俺は重い気持ちで眺めた。王子はまっすぐな気性の分、思い込んだら引かぬ性格だ。
王子がおのれの益を優先させて、リオコの意志にそぐわぬことをしようとしたら、俺は一体どちらにつくべきなのだろうか。
――この俺を受け入れてくれた王子には大恩がある。だが……リオコには他に護ってくれる存在がいないのだ。
クルスに調べさせたが、失踪者の中に彼女に該当するような者は見当たらなかった。ジャムの断定もさることながら、その荷物、服、言葉、すべてが彼女をこの世界の人間ではないと証明していた。頑迷な神殿さえ納得させるほどに。
送心術を使うラクエルを通して確認したところ、リオコがいたのは「カナガワケン」。そこに両親と三人で暮らしていたという。
ジャムの読んだ記憶の〝老婆〟ということと符合しないが、亡くなった人を思い出すことはよくあることだ。
まだ十六の一人娘を突然失い、家族はどれほど心を痛めていることだろう。
――なんとしても、彼女を元いた世界に帰さねば……。
気がつくと俺は、こちらの衣服に身を包み、シエナやラクエルに少しずつ信頼を寄せながらも、時折すがるような顔で不安を見せる彼女を支えることに、すべての時間を注いでいた。
それでも、彼女が〝異界の乙女〟であることがはっきりすればするほど、平穏な環境からは遠ざかっていく。
「これより天都に向かうぞ。リオコを王にお披露目する」
「性急すぎませんか、王子。彼女は昨夜到着したばかりです。ほとんど食事も食べていない。もう少し時間を空けては……」
「時間などないのだ、タキトゥス。アクィナスにも〝渡り人〟が現われた」
「まさか……」
「今すぐ王に接見し、リオコが本物の〝異界の乙女〟だと証し立ててやる。なに、こんな茶番などすぐに終わらせてくれるさ。あの荷物は今しばらく俺が預かるぞ。いいな?」
「……承知いたしました」
頷くしかなかった。彼女を守るといったところで、俺は所詮一介の騎士。王や王子の決定に逆らえるはずもない。
――彼女を隠し切るべきだったのか……。
そんなことはできるはずもないと知りつつも、その考えが幾度も俺の胸を行き過ぎた。
リオコが異界に戻るためには、天都の魔法士や神殿の力が必要なのだ。彼女が〝乙女〟である以上、この世界における立場や身の安全は保障される。
仕方のないことなのだとおのれに言い聞かせつつも、おとなしく俺たちの言うことに従うリオコを見ると胸が痛んだ。
――しかし……アクィナスとは、リオコとどう関係があるのだろう。
もう一人の〝渡り人〟という存在が気にかかる。ジャムの言うように異界が実在するならば、それに繋がる扉が複数あっても不思議はないように思われた。
だが、政治的理由から〝異界の乙女〟を演出しているのであれば、不要な争いにリオコを巻き込むことになる。それが気がかりだった。
西の地であるアクィナスは、イェドとは違い、緑深い山に囲まれた土地柄だ。その領主はもともとカヌシェの家系で、神殿と深い所縁のある血筋だという。優秀な魔法士を幾人も輩出したと聞くが、それが過去に〝異界の乙女〟の警護をして聖地に赴いた一人だったとは、今回初めて耳にしたことだった。
それより有名なのは、その跡継ぎとされる長子のことだ。生まれつきほとんど色を持たず、代わりのように持って生まれたマーレインの力はずば抜けて、最年少で天都魔法士団の最高峰[双月]の士団長になった男だ。
「――ありゃ、オレでも手を出したくねえな」
一度遠目に彼を見たというジャムの感想がこれなのだから、その魔法力は推して知るべしだ。
「そんなにすごいのか?」
「恐ろしいくらいに非の打ち所がないのよ。魔法力は一部に特化された性質を持つのが普通だが、こいつはそれが〝ない〟んだ。まさに完璧だな。敵に回さないほうがいいぜえ、大将」
「心しておこう」
迷ったが、俺は王子に申し出て、ジャムを旅に同行させることにした。普段は表舞台を嫌う彼も、思うところがあったのか、俺の部下に身をやつして天都に向かうことを了承した。
同時に王子の同行も決定し、浮き足立つ部下たちを押さえ込むように、俺は強引に人員を編成し、馬車を仕立てて旅の途についた。
救いは、渦中にあるリオコが進んでこの旅に協力してくれることだ。もちろん言葉も通じないし、状況をきちんと把握していないのだろうが、最初の反応から泣いて抵抗されるくらいは覚悟していた俺にとって、彼女の反応は意外でもあった。
俺の体調を気遣ったり、わがままといえば御者台に乗りたいと言ったくらいで、無邪気に風景を見てあれはなんだと尋ねる程度。
本人は平凡な生まれだと言ったようだが、プライドばかりが高い貴族のお嬢様に比べて、よほどきちんと躾けられてきたのではないかと思う。王子の周りに群がる女性たちの扱いに辟易していた俺には、リオコのような女性は新鮮ですらあった。
野営のために馬車を停めたときも、みずからコマを連れて行こうとし、クルスが大慌てで止めに行っていた。
「ありがと、ございます。ハーゲン」
たいした仕事でもないのに笑顔でそう言われて、やに下がっていたクルスの間抜け面ときたら、見るに耐えなかった。クルスだけではない、ほとんどの部下がリオコのやわらかな雰囲気に惹かれていた。
「ここは是非、王子の妃になっていただかねば」
「神殿が承知せぬだろう。〝異界の乙女〟だぞ」
「ああ、残念だ。俺は王子よりも、リオコさまにお仕えするほうが百倍いいんだがな」
「まったくなあ。かわいらしいしお優しいし、そのうえいい香りはするし……」
「――おまえたち」
問答無用で俺が部下たちを殴りつけたのは、当然の帰結というやつだろう。
『異界の乙女は彼女です』
アクィナスが連れてきたもう一人の渡り人は、公式の審問会ともいえる王の御前での対面で、リオコとなにやら話した後、決然と言い放った。
――いったい何故……。
どちらかというと内気なリオコが、自分からそう主張するなど考えにくい。これもアクィナスの策略かと反対の壁に立つ金髪の魔法士を見れば、このうえない仏頂面を浮かべていた。
――……違うのか?
アクィナスといえば〝氷〟と称されるほど冷徹で、敵味方とも容赦ない男だと聞く。だが今見る限りでは、なりゆきが心配で仕方のない保護者にしか思えなかった。
俺が思いを巡らしている間に、とうとう二人の異界の乙女は、王に保護と生活基盤を保証させてしまった。
――まったく……この先が思いやられる。
突拍子もないマキというもう一人の乙女に、リオコが振り回されなければいいがと憂鬱に考える。だが、これまでにない晴れやかな笑顔と、その指に嵌まる魔法話の指環の存在に俺の頬も緩んだ。
これでようやく、きちんとした会話ができるのだ。魔法を介在して伝わってくる言葉は、少々耳に違和感があるものの、通じないもどかしさに比べればましだった。
指環を嵌めたリオコは、言葉が通じることを確認すると、俺とラクエルに向かって深々と頭を下げる。
『二人とも、これまで本当にいろいろとありがとう。これからも、よろしくお願いします』
魔法を使って伝えたい最初の言葉がこれだということが、素直に嬉しかった。ラクエルが半泣きのような笑顔になったが、感情が表に出にくいだけで、俺も同じような気分だった。
「もちろん、お傍におります」
「ああ、これからもずっと俺たちがリオコを守る」
〝俺が〟と言いたいが、断言はできない。彼女の周りには、王に王子に神殿。そしてアクィナスが関わる以上、魔法士も絡んでくるからだ。
さらにあの対面の場に顔を連ねていた、多くのクガイの存在も無視できない。国の主幹部たる天都では当然とも言える光景だが、政権を巡る争いが根を張っているならば、あの場は彼らにとっても敵味方を見極める舞台であったに違いない。
お披露目の夜宴に聖地への旅の支度と、一陣の疾風がすぎるごとく慌しく物事が進んでいく中、俺は気の休まらない思いでリオコの傍にいた。
――それにしても、なにが役に立つかわからんものだな。
不本意な栄誉と〝将軍〟の称号を得て良かったと思えたのは、これが初めてかもしれない。それがなければ、俺はリオコの傍に居続けることはできなかっただろうからだ。
アクィナスことルイセリオ・アクィナシア魔法士は、予想以上に接しやすい男で、彼の知己であるレスラーン・カシュゲート[弧月]士団長やヤーマトゥーロ神官長なども、恐れていたように自己の利益を優先させる人たちではなかった。
そのことには安堵を覚えたが、同時にプレッシャーも感じていた。そもそも、本来なら俺が逆立ちしても目通りの適わぬ人ばかりなのだ。
「これは驚いた。イェドの英雄に会えるなどとは……」
「乙女の警護はこれで安心だな。任せたよ」
「しっかり頼みますよ」
口々にそう言われれば、緊張せざるを得ない。幸いクガイに目立った動きはなかったが、盲点は身近にあった。アルマン王子だ。
異界の乙女が二人いるという異例の事態に、王位継承の件を一度白紙に戻そうとした王の処置が不満だったのか、王子は単身マキに接触したのだ。
――甘かったな……。
王位に翻弄され続けてきた彼の鬱屈した想いを、軽く見すぎていた。
王子と話がしたいとマキが言い出さなかったら、彼はどれほどの処罰を受けることになっていただろうか。なにしろ王が認めた〝異界の乙女〟に危害を加えようとしたのだ。下手をしたらイェドの領地を召し上げられ、身分剥奪のうえ受牢を申し付かってもおかしくはない。
――やはりクルスたちでは役に立たなかったか……。
一度に二つを守ることは出来ない。分かっていることながら、俺は万全の態勢を布くことの出来なかったおのれの不甲斐なさを恥じた。それなのに。
「俺は、おまえを決して裏切らない。ミア=ヴェール・アルマン・シド・マフォーラス・コーヅァ=イェドとしてここに宣言する」
――あの王子の心をマキが動かした……。
共にした朝食の席で、一皮も二皮も剥けたような穏やかな王子の顔を見ながら、俺は奇妙な感覚に襲われた。
ルイス、王子、そして俺自身。異界から来た二人の少女を取り巻くすべての環境が、怒涛のように滞っていたものを押し流し、未知のステージへ生まれ変わっていっているような――そんな気がしたのだ。
――扉、か……。
彼女たちが開け放ったのは、世界を繋ぐ扉ではなく、俺たちの心。運命だ。
転がりはじめた玉がすぐには止まらぬように、この変化は波紋を広げていくだろう。それが一体なにを引き起こすのかは分からない。その激しい波の中で、俺はこのままリオコの傍に居ることができるのだろうか。
――君を守るのは、俺であり続けたい。
その想いが〝守る〟ということから逸脱した感情だとは、俺はそのときまだ気付かなかった。