17-8
8
旅は真夜中からはじまった。目的地のタキ=アマグフォーラは、ここヒューガラナから徒歩で丸一日かけて歩いた先にある、タキ=アチファ高原のさらにてっぺんに位置している。
王様との約束の日から、今日で十日目。あれからまだ十日しか経っていないんだという気持ちと、もう十日も経ってしまったという不安が胸の中でごつごつぶつかった。
――時間は、あんまりないんだよね。
旅に慣れていないわたしたちのことと日中暑くなることを考慮して、夕食後仮眠をとってわたしたちは再び旅に出ることになった。
ジャムたちはもういない。旅の道の安全を確認するために、わたしたちより先に出て行ってしまったのだ。もちろん、あのミヤウのパンも一緒に。
タク曰く、
『ジャムは正式な魔法士の訓練をしたことがなくて、治癒術だけは致命的にへたくそなんだが、なぜか怪我をした動物になつかれる』
のだそう。
『話が通じるから安心するのかな?』
『ただ単に、野生動物と同類にみられているだけだろう』
冗談でもなくタクはそう言ったけど、口調はやわらかい。この二人、主従っていうよりも、不良のお兄さんとしっかり者の弟っていうほうが近い関係の気がするんだよね。
『荷物は詰めたか?』
『うん。けっこうぱんぱんになっちゃった』
『着替えなどの軽いものを下へ、重いものは上にしたほうが楽に運べる。それと、服は数枚重ね着しておくんだ。この先は低地よりも冷える。暑ければ脱げばいいから』
これから行く道は、岩と傾斜がひどくて馬車が使えない。仕方なく、それまで馬車に積んでいた荷物からぎりぎりのものを選んで、残りは宿に置いてゆくことになった。
夜中なのに、宿の女将さんと調理師長さんの、ウルマさんご夫婦が見送ってくれる。
『お気をつけて、行ってらっしゃいまし』
『行ってきます』
手を振って、元気に出て行く。わたしと真紀は、いつもの肩掛け鞄のほかに自分の着替えや水、身の回りの小物の入った小さなリュックを背負った。
タクとルイスは、自分の荷物以外に全員の食料やテント用具の入った荷物を持っていく。背負子(しょいこ)と呼ばれる木製の背当のついた台の上に載せられた二つの荷物は、小さな壁くらいの迫力があった。一番大きな背負子を軽々と担ぎ上げるタクに、ちょっと惚れ直してしまう。
普通聖地に巡礼する人はヒューガラナで荷物持ち兼ガイドを雇うことも多いらしいけど、ルイスは何度か来たことがあるみたいだし、ジャムたちもいるから四人だけで歩いていくことになった。
タクの言ったとおり、深夜の街は思ったよりも冷えている。マントのフードを被り、襟元をしっかり詰める。空が近いせいか、星たちがまるで目の前まで降りてきているような鮮やかさだ。月が出ていないから、さらに視界一面に星空が広がって見える。
魔法光を点したルイスが先頭、真紀、わたし、タクが続く。まだ街並みも途切れないころから道は徐々に上り坂になって、あまり体力のないわたしは少しずつ前の二人から離されていった。
足を緩め、真紀がふり返る。
「だいじょうぶ?」
『うん。まだ最初だもん』
「そだね。がんばろ」
コーラス部なのに運動部並みの筋トレをしていたという真紀は、すごく軽快に歩いている。前を行くルイスと目を合わせないのが気になるけど、他はいたって普通どおりだ。
出発する前、アマラさんとの間にあったことは聞いていた。真紀はなるべく気にしないようにしているみたいだけど、なんだか痛々しい。だけど、アマラさんの言動はただの嫉妬ってわけでもなさそうだし、気にしたところでどうしようもないから余計に励ましようがなかった。
さすがのルイスも真紀の様子がおかしいことに気付いて、アマラさんとも揉めたらしい(周りの状況から感じたことだけど)。それでも、真紀に直接訊くことまではできないようだ。
考えてみれば、真紀の態度も不自然だ。ルイスのことが好きじゃないというわりに気にしすぎている気がする。わたしからすれば、あれだけ気の許せる相手ってことは充分恋愛の範疇なのに、真紀的には、
「保護者ってゆーか飼い主ってゆーか、そんな感じだよ」
『お兄さんとかでもないの?』
「うちの兄あんなにやさしくないし。兄弟でそんなべたべたしないよ?」
べたべたしてる自覚はあるわけだ。なのに、どうしてそれが恋愛モードに突入しないのか、わたしは不思議でしょうがない。
二、三時間ほど歩いたところで、一度休憩をとった。すっかり街は抜けて、黒々とした夜の闇がごつごつした大地と空の境目を曖昧にしている。
道から少し入った岩陰に座り、ブッセージュ茶と干したアジュの実をもらった。両方とも疲れに効くのだとは、ルイスの説明だ。
『三十分ほど休もう』
歩くのを止めた途端、汗が冷えて急激に寒さを感じる。リュックから毛布を出し、真紀と二人で蓑虫みたいに体をぐるぐる巻きにした。
わたしがちまちまとアジュの実を食べている隣で、さっさと間食を済ませた真紀は、わたしの買った絵本を広げている。
「せ……ころ…んと? るーあ」
魔法の指環の威力はすごい。本人が言葉だと認識してないものは〝音〟にしか聞こえないのだ。意味の通じない歌詞みたいな感じだ。本人が意味を理解して発すると、それが正しい言語として聞こえる。
外国語だと思って聞いていた歌が実は日本語だったと知ったときのような、あの感覚に近い。もちろん、発音の上手い下手はある。
――どういう仕組みなんだろう?
左手の人差し指の紅い指環に目を落とす。最初は指環をずっと嵌めておくなんて慣れなくて、失くさないか心配だったけど、わりともう平気だ。
「るーあ……どれだろ」
『これじゃない? 〝月(ルーア)〟』
横から覗きこみ、ヘクターさんの授業ノートを指差す。本当はルイスかタクに読んでもらえば早いんだけど、教えてもらう知識だけじゃなくて、自分たちでちゃんと確かめたかった。結果、二人で頭をつき合わせて解読作業ってわけ。
絵本だけに文字数も少なくて、今もっている〝異界の乙女〟以上の知識が得られるとは思わないけど、ただ詰め込むだけの情報とは違うと思うから。
「月……より、来る……乙女。って、かぐや姫だよね?」
『わたしたち月から来たわけじゃないでしょ。絶世の美女でもないし、無理難題も出さないし』
「むしろ無理難題出されてるほうだからねぇ。あー、ユリアさんって一体何者なんだろ」
ちょっと離れた別の岩陰にいるルイスとタクを気にして小声になりつつも、わたしたちはぼそぼそ話し合った。
前の異界の乙女に関して、今のところ分かっていることはこうだ。
1.百五十年前の月の合のときに、突然現われた。
2.名前はユリア。黒髪黒目の若い女性(しかも美人)だったらしい。
3.二人の騎士と一緒に聖地に行き、無事水門を見つけて雨を降らせた。
4.その後、突然姿を消した。
元の世界に帰ったという説と、亡くなった(その身を引き換えに雨を降らせた)という二つの説がある。
以上。
「おおざっぱすぎだよねー」
『伝説なんてそんなものなんじゃない? ユリアって名前、やっぱ外国の人だったのかな?』
「でも黒髪黒目でしょ。日本人だって、いろんな名前つけるじゃん。麻理亜とか。まあ、日本人限定ってのも変な話だけど。そもそも、うちらだって何がどうなって来たのかも分からんし」
『そうだよねえ』
真紀は家のドアを開けた瞬間に眩暈がして、気が付いたらルイスの家の庭にいたのだという。わたしは道を歩いていて、角を曲がった瞬間に荒野にいた。
あのフラッシュのような強烈な光は見てないのかと聞くと、それはなかったらしい。じゃあ、あの光は一体何だったんだろう。
――わたしと真紀は、違う方法で来たのかな……。
別々の場所に現われたのだから、来る手段も違っていたのかもしれないと漠然と思う。ユリアさんの現われた場所ははっきり書いてないけど、もし会えたら、わたしたちとはまた別の話が聞けたのかもしれない。
解読した内容をメモろうと、リュックの中のペンケースを探る。ぎゅうぎゅうに詰め込んだ荷物から筒型の布製ケースを引っ張り出すと、一緒に小さな布袋が転がり出てきた。
五百円玉くらいのころんとした小さな巾着袋は、肌身守り。わたしがお守りを集めるきっかけになった、最初のお守りだ。手作りっぽいピンクの花柄の布も、だいぶ色あせてしまってる。
「――辛いことがあっても、絶対理緒子なら乗り越えられるよ」
その言葉と一緒に幼い頃にもらったこのお守りは、一番辛いときの心の支えになってくれたものでもある。鞄を返してもらったときも、内ポケットの奥にしまいこんでいたそれを見つけて、本当に安心した。失くしたらいけないので、荷物の底にそっと詰めなおす。
「ふーん。ニグルって〝黒〟っていう意味だけじゃなくて〝暗い〟っていう意味もあるんだね。ただ単に黒髪黒目って考えるんじゃ、違うのかもしんないなあ」
『そこ重要?』
「うーん……てゆーか、こっちの人って妙に黒髪黒目にこだわるじゃん。都合のいいように書かれてる可能性もあるし」
『それはあるとは思うけど』
「それに、こっちの人って黒髪っていっても、なんか色が入ってるでしょ? もしユリアさんが異世界の人じゃなくて実はここの人だとしたら、そのへんぼかされてるかもしれんし」
『わたしたちと同じところから来たんじゃないと思うの?』
「まったく別の世界から来たっていう可能性だってあるんだよ? あたしたちの世界からこっちへ来る方法があるなら、他の世界と繋がってるってこともあるはずだし」
真紀は発想が豊かだ。わたしには考えもつかなかった可能性を突いてくる。
メモる手を止めて考え込んでいたら、真紀がぷに、と指で頬をつついてきた。
「ほーら、眉間に皺寄ってる。かわいい顔台無し」
『いろいろ振ったの真紀ちゃんのくせにぃ』
「あたしは可能性を挙げてるだけ。いろいろ情報集めて、できるだけのこと考えておいたら、水門も探しやすくなるかもしれないでしょ?」
『探しやすくなる?』
「うん。いろいろ見る限り、全部の鍵は水門だと思うんだ。聖地に行ったときに、鍵になる情報を持っておくのとおかないのとじゃ、全然違うからね」
に、と力強く笑って、真紀が絵本をぱたりと閉じる。こういうときは本当イイ顔してる。アマラさんのことで悩んでいたのが嘘みたいだ。
わたしも笑い返して、ペンをしまう。
『うん。じゃあ、早く聖地に着かなきゃね』
「〝異界の乙女〟のオシゴトは、着かなきゃ始まんないからね」
真紀が冗談めかす。一緒になって笑いながら、わたしはふと不安に駆られた。
――だけどねえ……大事なことがひとつあるんだよね。
真紀にさえ、きちんとは言っていないこと。
――わたし、とっくに〝乙女〟じゃないんだよね……。
このことをタクが知ったら、一体どんな顔をするんだろう?
知られたら、絶対に軽蔑されそうだ。だけど、もし〝そのこと〟が水門を見つける鍵のひとつだとしたら――。
左手の指環をそっと抜きとり、足元に置く。唾を飲み込み、口を開いた。
「あのね、真紀ちゃん。わたし――」
17章終わりです~。次はタクの出番。
*2011/6/9改稿。時間の単位をなくしました。すみません。。。