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2-2


――なんでこうなっちゃったんだろう……。

 くり返しくり返し投げかけても、答えられることのない問い。

 涙が流れる。怖いというより、受け止められなくてぐちゃぐちゃの気分だ。

 不安、疑問、苛立ち、納得できない想い。そんなものが、心の許容量を超えて溢れていた。

 潤んで靄がかかった目を開くと、淡いオレンジの光に照らし出される白い壁、板張りの床と絨毯が視界に入る。今いるのは天蓋のついた一人用のベッドみたいだ。

 マフラーは外されて、右手にある窓辺の机に畳んで置いてある。靴も脱がされて――たぶん、どこかにある。

 鞄は見当たらない。気を失ったとき、どこかに落としたのかもしれない。被されていた布団も毛布も手触りがよくて、どこにも危害を加えられているようにはなかった。

 ここが、自分の家のリビングよりも広い一室であることは分かる。あのとき出会った人が、ここまで運んでくれたのかもしれない。だけど、それ以外は何一つ分からない。

 ここはどこか。いつなのか。なぜ、ここにいるのか。

 こつこつ、と控えめにドアが叩かれ、女の人が顔を覗かせた。

 長い髪をきつくポニーテールにした、二十代くらいの女性。薄手のドレスみたいな服を着ている。西洋風というより、どこかオリエンタルな雰囲気。髪と目が黒くて、肌も浅黒い。

 女の人はわたしが目を覚ましているのに気がついて、にこりと笑い、頭を下げた。そのまま開け放したドアの向こうに退る。

――なんだろう?

 不思議に思っていると、その人はまた戻ってきて、部屋に一本だけ灯されていた蝋燭を角の透明な筒に移した。

 途端、壁に沿って光が走る。四隅の燭台と天井のシャンデリアが煌々と明かりを灯し、まぶしいくらいに室内を照らした。目を瞬かせ、辺りを見回し直す。

――電気、じゃないよね……?

 知らない文明なのだと心の片隅で不安が囁く。それでも明るい室内に、少し気分も上向きになった。

 ドアから別の人が大股に入ってくる。入れ代わりに、女の人が頭を下げて出て行った。

――あ……。

 新しく現われた人を見て、気付いた。この人は、わたしが荒野で出会った人だ。

 そのときは暗くて顔も何も分からなかったけど、声と全体的な雰囲気でなんとなくそう思う。

 青いくらい艶のある黒髪を短くして、褐色の肌。切れ長の黒い瞳。

 背がすごく高くてがっちりした体格をしているから、軍服みたいな衣装とマントを着られると威圧感でこちらが竦んでしまう。

「xxx?」

 呼びかけられ、びくっと震えた。ただの質問だとは思うけど、言葉が分からないのと初対面の男の人と二人きりという状況に、ベッドの片隅に身を引く。

 その人はちょっと困った顔をして、手に持っていた水の入ったグラスを差し出した。飲むか、というふうに首を傾げる。

 わたしは、ふるふると首を振った。喉が渇いているかどうかなんて、感じる余裕もないのに。

 その人はグラスを近くの丸テーブルに置くと、しばらく黙った。悩んでいるようだ。

――困らせちゃったかな……。

 突然現われて倒れて、言葉も通じないのだ。向こうもわたしと同じくらい、困惑しているのかもしれない。そう思ったわたしは、少し勇気を出してみた。

「あの……ここは、どこですか?」

 ここ、とベッドを指で差す。まだ不安だから、毛布で半分体を包んだまま。

 その人は、同じように床を指差してゆっくりと答えた。

「イェド。xxx……xxxイェド」

 いえど、という言葉が二回聞こえる。地名なのかもしれない。わたしを指差して、

「ヴィ イェ カムポ ダ ムシャズ プロキシマ イェド」

 ヴィ、が多分わたし。あとは分からない。頭を横に振る。

「キオ ヴィ ナーモ?」

 首を傾げる。いくら聞かれても、頭の中はクエスチョンだらけだ。

「ミ ナーム イェ タキトゥス」

 自分を指差して、同じ言葉を繰り返す。名前を教えてくれているみたいだ。

「タキトゥス」

「たき……とす?」

 上手く発音できないでいると、その人がかすかに笑った。もう一度自分を指し、

「タク」

「たく?」

 馴染みのある音。日本人っぽい名前だ。

 タク、と呼ぶと、その人はまた嬉しそうに笑った。笑うと最初の恐い雰囲気が全然なくなって、とても優しいお兄さんって感じになる。

 わたしはやっと安心して、胸に人差し指を当てて自分の名前を名乗った。

「理緒子。高遠理緒子」

「リヨーコ?」

「り・お・こ」

「リオコ?」

 頷くと、彼は交互に自分とわたしを指差しながら、タク、リオコと呼んだ。

 意思の疎通ができるって、こんなに嬉しいことと思わなかった。わたしはほっとした途端、痛いほど喉がからからになっていることに気がついた。

「あの……お水、もらっていいですか?」

 彼の傍のグラスを指差す。タクはにこりと微笑んで、ベッドまでグラスを持ってきてくれた。

 知らない土地の水はお腹を壊すと聞いたけど、贅沢は言っていられない。グラスを両手で受け取って、口をつけた。

 常温の水。でもなにか爽やかな――レモンに似た香りがする。タクにじっと見られているのが恥ずかしかったけど、美味しくて一気に飲み干した。

「キオム ウヌ アクヴォ?」

 もう一杯いるか、というくらいなのだろう。いらないとかぶりを振って、グラスを返した。

 タクはそれを窓辺の机に置くと、椅子を引き寄せてベッドの近くに座った。上着の内側から紙を取り出し、わたしの前に広げる。

 見たこともない地図と文字。太くてごつごつした指が、王冠みたいなマークを差す。

「カステーロ イェド。ヴィ イェ シエーロ」

 今いる場所、なんだろうか。自分を指差し、またわたしを指差して、少し離れた何もない場所を示す。

「ミ トロヴィス ヴィ シエーロ ダ ムシャズ」

 なんだか国境のようなところに、わたしはいたらしい。それを彼がここまで連れて来てくれた、というところ。身振り手振りを加えて分かったのはそんなことくらい。

「キエル ヴェニス ヴィ ダ シエーロ?」

 地図を何度も指差される。なぜここにいたの?どうやってきたの?――そんな質問、こっちがしたいくらいなのに。

 黙ってうつむいていると、タクが心配そうに覗き込んだ。

「マルティーモ」

 まるてぃーも、と語調を落とした低い声がくり返す。

 心配するな、大丈夫だとでもいうように、黒い瞳が微笑んでいた。左目の上に白い傷があるけど、その笑顔はあくまで優しい。

 わたしのほうに右手の平を差し出す。握手かと思って手を重ねると、持ち上げられて――手の甲にキスされた。

「ミ ジュエリ クェ ミ ヴィ ディフェニトゥ アル エタルネル」

 まるで、それはお姫様に忠誠を誓う騎士のようで。

 わたしは一瞬どういう状況かも忘れて、真っ赤にのぼせあがった。



*文中訳はこちら。

「ヴィ イェ カムポ ダ ムシャズ プロキシマ イェド」→「君はイェドに近いムシャズの荒野にいた」

「キオ ヴィ ナーモ?」→「君の名前は?」

「ミ ナーム イェ タキトゥス」→「俺の名はタキトゥスだ」

「キオム ウヌ アクヴォ?」→「水はまだいるか?」

「カステーロ イェド。ヴィ イェ シエーロ」→「これはイェド城だ。君はここにいる」

「ミ トロヴィス ヴィ シエーロ ダ ムシャズ」→「俺がムシャズで君を見つけた」

「キエル ヴェニス ヴィ ダ シエーロ?」→「どうやってここに来たんだ?」

「マルティーモ」→「安心しろ」


…ほぼ蛇足ですね。最後の一文は内緒です(笑)。

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