第6話 アガペ・愛の物語
部屋に戻るなり、メルローは私の前に跪いた。そして、熱く語り出す。
「ラブリンコ様、いますぐ静養し、この世界の教義……愛の教えを学び、愛に満ちたマナを湧き出させるべきです!」
「残念ながら、あなたたちのように愛を盲信する気はないわ。それに、そんな教義で私のマナが満たされるなら、私は今までの人生と、自分を磨き上げてきた価値を偽ることになるわ」
『うげっ。直球で言うなよ。賢者の胃が完全に穴空くだろ』
影に隠れているマナモンが、脳内で毒づく。
「私の命を救うのは、教義ではなく情報よ、賢者様。……この国が聖女を召喚した本当の理由を、私が気づいていないとでもお思い?」
メルローの顔がわずかに強張った。
「それは……この国を覆う愛のマナ、その根源たる真実のマナに減少の兆候が見られたからです。原因は究明中ですが、聖女様さえ降臨すれば、愛の奇跡によってすべては解決すると……」
「おめでたいわね。原因も分からずに解決を期待するなんて。……あちらの世界で女神様から聞いたわよ。マナが減っている原因は、あなたたちが考えているような単純なものじゃないわ」
実際のところ、マナが目減りしているのは魔王軍による干渉が原因だと女神から聞いている。けれど、今ここでそれをメルローに詳しく突きつけたところで、ややこしくなるだけだわ。まずは泳がせて、こちらの地盤を固めるのが先決ね。
「私が事態を収束させる。そのために、三つの条件を提示します」
絶句するメルローを尻目に、私は指を三本立ててみせた。
「一つ。このアガペ王国の政治、経済、主要貴族の家系図、そして各地の情勢に関する詳細な資料を全て提供すること。感情論ではない、検証可能な事実だけが欲しいわ」
「二つ。私が自由に動けるだけの資金と、安全な移動手段を保証すること。もちろん、経費は全て王室が持ちなさい。これからの改革にはコストがかかるわ」
「三つ。この世界のレベルとマナに関する、基礎的な物理法則のレポートを提出しなさい。愛という曖昧な言葉に逃げず、検証可能なデータとして体系化されたものをね」
ターゲットの現状分析なしに、私の物語を構築することなどできない。私が合理的な戦略でこの行き詰まった体制を立て直すと宣言すると、メルローは顔を引きつらせながらも、最後には半ば諦めたように承諾した。
「……承知いたしました。そこまで仰るのなら準備させましょう。ですが、まずは我が国の教義を受けて貰いますぞ」
「わかったわ。どうぞはじめて」
長い長い説教を聞かされるのだろう。これは仕事と割り切るしか無いわね。賢者メルロー! 気持ちよく話させてあげようじゃないのっ!!」
「さあ、皆の者っ!! ラブリンコ様にお伝すますぞっ!! 我が国に伝わる至高の愛の物語を!」
「皆の者!?」
メルローの指示により、文官たちが大掛かりなセットを運び込んだ。どうやらこれから始まるのは、アガペ王国の文官が総動員して操る、大がかりな紙人形劇のようだった。
「かつて、決して交わらぬ敵対する二つの家門に、一対の男女がおりました。ロミエールとジュリオ。周囲の反対、降りかかる数多の試練。しかし、二人の愛は死すら超越したのです!」
一人の文官が裏声で「行かないで!」と叫び、もう一人が太鼓を乱打して悲劇を煽る。その筋書きにはあまりに強い既視感があった。劇は佳境に入り、バルコニーに見立てた衝立の上で、ロミエール役の人形が天を仰ぐ。
「ああ、ジュリオ。どうしてあなたはジュリオなの? お父様を否み、その名を捨てて。さもなくば、私を愛の生贄になさって!」
(……これ、男女の役割が逆転しているけれど、ほぼロミジュリじゃない。まさか、あっちの世界の有名な悲劇が、異世界では聖なる教義として扱われているなんて。脚本料でも請求してやりたい気分だわ)
劇の結末は、毒を仰ぐ代わりに、ロミエールが絶望のあまり制御不能なほどの愛の魔力を放出させ、光となって消滅するという派手な演出だった。
「おお、ロミエール! 君が光になるなら私も共に! 名前という記号など、バラの香りを変えはしない。愛こそがすべてなのだ!」
追いかけるジュリオの人形が激しくぶつかり合い、舞台裏で太鼓の音がクライマックスを告げる。
私は冷めた目で、激しく揺れ動く紙人形を見つめていた。
劇が終わると、アンナをはじめとした従者たちは「なんという純粋な愛……!」とハンカチを握りしめてギャン泣きしていた。
アンナが言うには、この国で過去にあった史実なのだという。本当かしら? 脚色強そうだったけど。
「さて、ラブリンコ様! ラブリンコ様のマナに変化が現れた事でしょう。お望み通り、体調面も含めて再鑑定させていただきますぞ!」
メルローは鼻息荒く実力測定の鑑定魔法を唱えた。空中に残酷な数値が浮かび上がる。
ラブリンコ:筋力 5、敏捷性 3、生命力 8、知力:測定不能(計測エラー)
「……ぐぬぬぬ……変化無しとは……」
配下の文官たちも一様に頭を抱えていた。
「ラブリンコ様、この数値はあまりにも低いですぞ」
「そうなの?」
「特に敏捷性 3 は、五歳の子供にも遅れをとるレベルです。貴女の命は、マナだけではなく物理的な無力さによっても危機に瀕しているようですな」
(知力が測定不能なのは、私の論理がこの世界の概念を超えている証拠かしら。前の世界でキャバ嬢の頂点に登り詰めた私を、単純な数値が測れるわけがないわ)
私はあえて、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてみせた。
「……素晴らしいわ、メルロー様。少しだけ、力が湧いてきた気がするわ(嘘だけど)。これがアガペのマナかしら?(嘘だこど)」
「おお……! なんとっ!! やはり愛の教義こそが貴女を救うのですね!」
「しかし、一度お話を聞いただけでは足りないようですわね。私も方法を探します。メルロー様、時折りで結構ですので、愛の講義をお聞かせください」
「ラブリンコ様にならば、毎日、いや、永遠に……」
「それは結構ですわ! ラブリンコ、体力が無いので!」
『おい、ラブリンコ。ジジイの説教のおかげで生き延びたことにするんじゃなかったのか?』
マナモンが呆れたような声を出した。
(それは後々の話よ。何事もトライアンドエラーを見せて、絶望を味わわせてからじゃないと、ありがたみがないでしょう? まずは自分の力で動けることを見せてから、本当に危ういところで救ってもらう……それが私の書いた台本なのよ)
「実は私が消滅しないための解決策をもう考えてありますの。……私が国民に愛を届け、新たな愛のマナをこの国に生み出すという方法ですわ」
メルローは眉間に複雑な皺を寄せた。
「それは……確かに理論上は可能ですが。しかし、ラブリンコ様のその……異色のマナが広く国民に伝播するというのは、少々、懸念が……」
彼は言葉を濁したが、要するに不純なマナが広まるのが怖いと言いたいわけね。
「回りくどいわね。私の虚飾のマナが国民に悪影響を与えるんじゃないかって、そう言いたいわけ? 精神の純粋さが売りの一般人じゃ、私の色に染まったマナには耐えられないかもしれない……ってね。図星でしょう?」
「そ、それは……! 滅相もございません。ただ、あまりに強烈な力ゆえに……」
「なら、器の大きい相手なら文句はないでしょう? 騎士団長様クラスの強者なら、私のマナを受け止めてもビクともしなくて?」
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メルローたちが部屋を出る。足音が完全に消えるのを確認した私は、焼きたてのパンを手に堂々と立ち上がった。
「ラブリンコ様!? どうなさいました?」
「アンナ、案内なさい。今からガウェイン様の元へ向かうわよ」
「えっ? でもこんな時間ですし……」
時計の針は深夜を指していた。
「相手が弱っている時こそ、こちらの誠意が最も深く刺さる瞬間なんだから……っ、あ」
その瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。膝から力が抜け、身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「ラブリンコ様!?」「聖女様!?」
パンを焼くのに全神経を使い果たした私の身体は、すでに限界をとうに超えていたらしい。
『……ほら言わんこっちゃねえ。夜の蝶どころか、ただのガス欠の蛾じゃねえか』
マナモンの声を最後に、私の意識は暗転した。




