第3話 魔王ドラグノフは、愛を冷笑する
魔王ドラグノフ視点
北方──。
極寒の地にそびえ立つ魔王城。その最奥にある玉座の間は、分厚い魔力のフィルターによってあらゆる雑音を完全に遮断し、氷のような静寂に満ちている。
巨大な黒曜石の玉座に深く腰を下ろし、俺――魔王アル・ドラグノフは、ただひたすらに退屈していた。冷徹な黒い瞳に宿るのは、この世界の単調な法則と、俺に課せられた残酷な宿命に対する飽き飽きとした諦めだ。
俺の前に跪く魔族の幹部たちが、代わり映えのしない報告を述べていく。
「……以上が、南方の徴収マナ量に関する報告にございます」
報告を終えた参謀の吸血鬼イザベラが退くと、入れ替わるように、甘ったるい香りが玉座の間を支配した。
「陛下ぁ! 聞きました!? あのアガペ王国のマヌケども、今回は『勇者』じゃなくて『聖女』なんて小娘を召喚するらしいですわよ!」
玉座の肘掛けに、音もなく、しかし厚かましく身を寄せたのはサキュバスの幹部、リリスだ。露出の多い衣装を纏い、俺の髪に指を絡めようとする。
「リリス。肘掛けから離れろと言ったはずだ」
「ひっ……! その氷のような拒絶……今日も最高に痺れますわぁ! ああ、陛下のこの冷たい魔力が私の胸を締め付ける……っ!」
こいつも魔族の中でも最強クラスの魅了術を持つが、その忠誠心は常に暴走して、歪な「情欲」へと変換されている。俺の注意を引くためなら魔王城の半分を更地にしかねない、この城で一番厄介な女だ。
「……聖女だと? 剣を持たぬ者を呼んで、何をさせるつもりだ。愛の力を示して、この世界が救われるとでも信じているのか」
俺は口元を歪めた。それは笑みではない。
この世界は、ある一つの「隠された理」によって縛られている。
(真実の愛を持つ者と結ばれた時、魔王は消滅する……)
それは、魔族の幹部も、女神に仕える聖教会の連中も知らない、魔王という座に就いた者だけが継承する呪いだ。
かつて、俺の周囲でその呪いが揺らいだ瞬間があった。……だが、それは遠い記憶だ。俺の持つどす黒いマナが、触れた光を維持できずに全てを塗り潰してしまった、あの時以来。
俺は消滅を願いながらも、自分を殺せるほどの「真実」には二度と出会えないと悟っていた。だから、聖女だの愛だのという言葉を聞くたびに、胃の底に澱のような不快感が溜まっていく。
その時だった。
突如として、城全体に張り巡らされた魔力網が、かつてない異常な波動を捉えた。
「……っ!?」
衝撃に、俺は思わず玉座から身を乗り出した。
イザベラも、軍団長ゴルカスも気づかない。俺に無視される悦びに浸っているリリスもだ。
だが、この世界の根源を識る俺には、そのノイズが脳髄を掻き回す不協和音となって響いた。それは遥か南、アガペ王国で「召喚」が完了した合図だった。
通常、聖女の波動は、純粋な慈愛が核となるはずだ。だが、今感じたものは構造が完全に歪んでいた。
自己肯定、承認欲求、優越感、そして徹底した自己防衛。
それらが、ガラスと鋼で編まれた鎖帷子のように、核である「虚栄心」を厳重に包み込んでいる。
「不味い……。酷く不味いな。まるで、腐敗した自己執着を美しく見せかけるための、悪質な偽装だ」
「陛下? 不味いって、私のことかしら!? 次はもっと、苦みと羞恥を混ぜた特注のマナを用意いたしますわ!」
身悶えするリリスを、俺は冷徹な眼差しで見下ろした。
直後、緊急の伝令が魔王の間に飛び込んできた。
「報告します! 南方の召喚、完了した模様! ……しかし、召喚された転生者はレベル1! あろうことか、マナ源は検出不能の『虚無』とのことです!」
「虚無だと? ……ふん、あのアガペの測定器がポンコツなだけだ」
俺は興味と嫌悪が混ざり合った、複雑な高揚感に支配されていた。
あの女の波動は、俺を消滅させる「真実の愛」とは程遠い. だが、愛でも憎しみでもない異物。これは、俺の宿命を揺るがす触媒になりうるかもしれない。
「イザベラ、南のレベル1、ラブリンコに関する情報の収集を強化せよ。彼女が何を話し、どのように世界を歪めていくのか。一挙手一投足、俺に報告せよ」
「ええっ!? 陛下! あんなゴミ女に興味を持たれるなんて、私、嫉妬でアガペ王国を地図から消してしまいますわよ!」
「無視はしない。ただし、討伐も無用だ。……あれは、俺の退屈を殺すための実験体だ。あの不味いマナが、この世界の法則をどう書き換えていくか。しばらく、観察させてもらうとしよう」
唇が微かに弧を描く。
それは純粋な嫌悪か、運命に投げ込まれた異物への期待か。
玉座の間には、再び、冷たくも熱を帯びた静寂が戻った。




