第八話 ─雨上がりの桜光─
雨上がりの街は、朝の光を受けてしっとりと輝いていた。病室の窓から差し込む光が、床に散る水滴に柔らかく反射する。59才の福田朋広は、ベッドの上でゆっくりと伸びをした。まだ体の痛みは残っているが、胸の奥で小さなざわめきが広がる。
(……昨日より、体が軽い気ぃするなぁ)
天然に呟きながら、手元のスマホを軽く操作する。画面には、昨日の事故のあとに届いた通知がいくつか光っていたが、朋広にはそれが何か特別な意味を持つとは思えなかった。原付の鍵を手に取り、軽く回してみる。こちらも無事であることを確かめ、ほっと息を吐いた。
そのとき、病室の扉が静かに開く。
「おはようどす、福田はん」
京都弁の声に顔を向けると、昨日と同じ高瀬みのりが立っていた。寝不足気味の顔も、自然な笑顔で柔らかく輝く。みのりはそっとベッドサイドに腰を下ろし、軽く手を振った。
「まだ痛みますか?」
「まあ、ぼちぼちやな。でも、こうして来てくれはるだけで、元気出るわ」
みのりは笑いながらも、ちらりとスマホを覗き込む。そこに表示される桜色の小さな光は、朋広にはぼんやりとしか映らない。しかし、読者には微かな力の気配として伝わる。
その瞬間、窓際に小さな影が揺れた。控えめな声が病室に響く。
「……あの……少し、お願い……しても……」
桐生さくらが手を差し伸べる。名札に書かれた文字と黒いチョーカーが、朝の光にわずかに桜色を反射する。朋広は笑って手を伸ばす。
「おお、ありがとうなぁ」
その手のひらに触れる瞬間、原付の鍵やスマホに微かな反応が走った。光はまだ弱く、主人公には明確には見えない。それでも、読者には「何かが芽生えつつある」という感覚として伝わる。
さらに病室の片隅で、通りすがりの患者や看護師が軽くつまずいたものを、朋広は自然に手を差し伸べ助ける。ぎこちない動きだが、心からの善意がそこにある。その一つ一つの行為が、無意識のうちに後の変身力の蓄積に繋がることを、読者だけが察する。
「ほんま、体は痛いけど、人に助けてもろうたり、こうして顔を見たりすると、なんや元気出るわ」
雨上がりの光が病室の壁に映る桜模様に揺れ、外の街路樹にも微かな光の筋が走った。読者だけが知る、普通の日常の中の小さな奇跡。まだ59才の福田朋広には、それが何を意味するのか理解できない。しかし、静かに、確かに何かが動き始めていた。




