五十七話 ──夜の街、桜色の気配
夜の伏見区は、昼間とはまったく違う表情を見せていた。街灯に照らされた濡れたアスファルトが、微かに桜色に反射して光を帯びる。福田朋広は団地の裏口から外に出て、ゆっくりと街を歩いた。手足は自由に動かんが、心は軽やかで、街の空気のひとつひとつを胸いっぱいに吸い込む。
通りを曲がると、桐生さくらの姿がふと視界に入った。距離はあるが、淡い光に照らされるその影が、何かを語りかけているように見える。視線は交わさない。ただ、そこにいるだけで、ほんのわずかな心の動きが生まれる。
少し歩くと、天音と美琴も街角で姿を見せる。軽く会釈を交わすだけのやり取りやけど、何気ない仕草や柔らかい笑みが、夜の空気に穏やかな温もりを添える。通り過ぎるだけやけど、微かに胸の奥に残る感覚が、街の一角に小さな光を落としているようやった。
さらに、遠くには高瀬みのりや水科澄の姿も見える。通り過ぎるだけの短い接触や視線の交わりで、心に小さな揺れが生まれる。言葉は交わさんが、桜色の夜の街の中で、人々の心が少しずつ近づき、微かな想いが重なっていくのを読者は感じ取れる。
夜風に舞う桜の花びらが街灯の光に反射して、柔らかく揺れる。原付やスマホも微かに光を帯び、街全体に静かな輝きを放っていた。朋広はふと立ち止まり、風に揺れる花びらを見上げる。誰も意識していない、けれど確かに存在している微かな繋がりを、街全体が包み込んでいるように思えた。
「…せやけど、夜の桜もええな」
独り言のように呟き、朋広は再び歩き出す。夜の街を漂う桜色の気配が、日常の小さな善意や微かな好意をそっと積み重ね、静かに物語を紡いでいた。




