二十一話 ──静かなる朝の兆し
雨の夜が明け、病室には淡い朝の光が差し込んでいた。
福田朋広は寝返りを打ち、まだ鈍く残る痛みに眉をひそめる。体の自由は完全ではないものの、目の前に置かれたスマホと原付のキーが、無傷であることに気づく。
「……おや、なんやこれ、新しい機種か?」
天然に呟きながら手元を操作する。
雨はまだ止まず、窓に落ちる水滴がゆっくりと光を反射している。
(ほんま、いろいろあったな……)と、胸の奥で思う。
そこへ、病室の扉が静かに開いた。
「福田はん、大丈夫どす?」
顔を出したのは、向島のコンビニ店員、高瀬みのり(21)。
黒髪をひとつにまとめた私服姿。近所の人が様子を見に来た、そんな自然さがある。
「おお、みのりちゃんか。わざわざ悪いなぁ」
「そんなん気にせんでええよ。向島で倒れはったって聞いたら、そら心配しますやん」
気さくで、誰とでもすぐ話せるタイプ。
読者にとっても、“ヒロイン候補”に見える絶妙な立ち位置だ。
「甘いもんとかいる? コンビニで買うてきますえ」
「はは、気持ちだけで充分や」
やり取りをしていると――
コン、コン。
「し、失礼します……」
扉から入ってきたのは、制服姿の少女。
胸元の名札には、桐生さくらと書かれている。
「こ、これ……道に落ちてて……」
さくらが両手で差し出したのは、朋広のスマホだった。
「おお、わざわざありがとうなぁ」
「い、いえ……お返し、だけ……」
さくらの声は小さく震え、表情も読み取りにくい。
みのりが横から興味深そうに覗き込む。
「えらい可愛らしい子やなぁ。福田はん、知り合い?」
「いや、初めて会った思うわ」
答えながらも、朋広の胸に微かな違和感がよぎる。
(……なんやろ? 聞いたことあるような声や……)
しかし、記憶は曖昧で霧のように流れていく。
「ほな、失礼します……」
頭を下げた瞬間、首元のリボン型チョーカーがわずかに揺れ、雨の反射により一瞬だけ桜色に見えた。
朋広もみのりも、特に気づく様子はない。
さくらが去ると、みのりがぽつりと言った。
「なんや、儚げな子やったねぇ。ええ子そうやけど」
「せやなぁ……」
雨音が静かに病室を満たす。
(……妙に胸ざわつくわ。なんでやろ)
ベッドの横の原付のキーとスマホに目をやり、朋広は無意識に頬を緩める。
胸の蕾が微かに桜色に揺れ、物語の小さな変化を静かに示していた。




