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百九十六話 — 喫茶《月待庵》、揺れる灯りの中で —

夜の《月待庵》。

昼間とはまるで別の顔を見せる、静かな大人の雰囲気。


朋広が扉をくぐった瞬間、

店内の淡い照明がゆっくり揺れる。

風は吹いていない。


誰もその原因に触れない。



カウンターでは 天音ルカ がグラスを磨いていた。


その胸元のタイバー。

装具としての光を宿した金属が、

朋広の姿を捉える瞬間だけ

ほんの僅かに深みを増す。


ルカは気づかぬふりのまま、

低く落ち着いた声で挨拶する。


「今日も、来たんやね」


「ええ、ちょっと書きに」


ただそれだけの会話。

だが、ルカの手元は一度止まり、すぐ動く。

止まった理由の説明はない。



奥の席には 響木しずく がいた。

アンクレットに小さな光が宿る。

足首を組み替えた拍子に、

その光はわずかに波紋のように広がる。


彼女は目をそらし、

すぐに手元のメニューへ戻る。


反応の理由は語られない。



店の隅、

常連席に座る一人の女性。


和服の端正な姿。

帯飾りが静かに揺れる—— 伏見美琴。


揺れは必ずしも歩いたり動いたりしたせいではない。

ただ、朋広が視界に入った瞬間、

飾りは微かに色を変える。


それを見たのは読者だけ。


朋広自身は、

注文したほうじ茶の香りに意識を向けている。


「落ち着くなあ、ここは」


そう呟いたとき、

三人の装具が同時に——

しかし誰にも悟られない程度に——

揺れた。



そしてもうひとつ。


カウンターの最奥、薄闇の席に

影のように静かに座る人物がいる。


桜か、冥か、それとも一般適合者か。

性別すら定かでない。

ただ、その影の胸元に

光の線が細く瞬いたように見えた。


朋広の筆が紙を走るリズムに合わせて。


その意味は、

まだ物語の中では誰一人知らない。


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