百六十二話 — 月待庵・夜の静寂と三色の光 —
雨はすっかり上がり、月待庵の窓からはしっとりとした夜の街が見える。
朋広はいつもの席に座り、ノートPCを広げた。
「ふぅ…今日は筆の乗りがええかもな」
カウンターの向こうでは、雛菊ゆらが静かにお茶を運ぶ。
手首の指輪が夜の灯りを受け、淡く透き通る薄紅色で揺れた。
彼女は無言でお盆を差し出す。指輪の光だけが、微かに波打つ。
朋広が受け取り、少し場所を移動して置いた瞬間、
指輪の桜の光が小さく弾むように揺れた。
*
窓際には葵月すみれが、ピアノ鍵チャームをかばんから取り出して整理している。
鍵の形の小さな装飾が、柔らかな深い宵桜色に光る。
朋広が椅子を直すために少し腰をかがめると、
チャームの光がさざ波のように揺れた。
「お、ここも整理できとるか」
すみれは微かに身をひるがえし、
チャームの光はふっと落ち着く。
*
さらに奥の席には鴉谷りつがカップを手に座っていた。
首元のピック型ペンダントが、濃桃桜の光を反射して小さく脈打つ。
朋広が資料を拾って渡すと、
ペンダントの光がわずかに跳ねた。
りつは軽く手を伸ばして受け取り、
光はすぐに落ち着く。
*
店内の空気は、三つの色の桜が静かに舞う。
薄紅、深宵桜、濃桃桜。
それぞれ微妙に揺らぎ、重なり合う瞬間がある。
朋広は気にも留めず、椅子に戻りノートを打ち続ける。
「……なんや、身体軽い気ぃするな」
雨上がりの月待庵の静寂に、桜の光だけが穏やかに漂っていた。




