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夜間警備


 通夜の参列客が、ぞろぞろと葬儀場を後にする。


 警備服に身を包んだ俺は、事務室からその様子をぼんやりと眺めていた。


 さて、後は門を施錠して施設をぐるっと見回りかな、と思っていた時――「あの」と声をかけられた。


「すみません。私たちも今日は一旦、家に帰ろうと……父をお任せしてもよろしいでしょうか?」


 喪主と思わしき男性が申し訳なさそうに頭を下げる。最近はよくあるな。夜を通して線香炊いて、棺桶の見守りなんて……したくないもんな。


「はあ、どうぞ」


 別に俺はこの葬儀会館の職員でも何でもない。好きにすればいい。

 遺族一家は、少しほっとしたような様子で荷物をまとめ始めた。


 ということで、今夜の俺は死体と二人きりだ。

 どうということはない。俺は幽霊なんて信じていないし、死体は死体だ。

 むしろ変な輩が忍び込んで設備を壊したり、金品を盗んだりするほうがよっぽど厄介だ。まあその時も警察を呼ぶだけだから、俺の出る幕ではないんだが。


 施設警備なんてそんなもんだ。特に俺はその中でも、人気が無くて金払いの良い「葬儀会館の夜間警備」を選んだ。


 遺族一家の車が門を出て行ったのを確認すると、俺は施錠に向かう。


 門を閉め、錠をかけたそのときだった。



 ひゅう、と夜風が吹き抜けた。



 遠くで、細い笛のような音がした。いや、風が建物の隙間を抜けただけだろう。

 それにしては、妙に――人の声に似ていた。子どもが鼻歌を歌うみたいな、かすれた音。


「……気味悪ぃな」


 そう呟いて肩をすくめ、懐中電灯を点けた。


 見回りを始める時間だ。



***


 静まり返った葬儀会館を、懐中電灯で照らしながら歩いていく。

 ロビーの隅に落ちていた紙屑を拾い、トイレの個室までチェックする。俺の足音だけが響く廊下には、線香の匂いがまだ残っていた。


 そして、遺体の棺桶が安置された和室に入る。掛け軸の前に置かれた棺桶は静まり返っていて、異常なし。


 軽く頭を下げて出ようとした、その時。



 ――カタン。


 背後で音がした。



 「いや、まさかな」と思いながら、もう一度中へ戻る。


 棺桶、異常なし。

 なんなら覗き窓を少し開けて中を確かめてみるが、普通に死化粧された爺さんの顔がある。


「……はっ、立派なもんだな」


 白い上質な布に囲まれた顔は穏やかで、先ほどの通夜では、息子夫婦がてきぱきと動いていたのを思い出す。親族葬とはいえ、参列者の数もそれなりにいた。

 いい人生だ。仕事も金もあって、最後まで誰かに見送ってもらえる。


 俺なんか、こんなふうに見送ってくれる奴、いるのかね。

 十年前に会社が潰れてから、転職もうまくいかずに警備の仕事を転々としてきた。

 夜勤の方が人と顔を合わせなくて済むし、文句も言われない。それに、葬儀会館ならなおさら静かでいい。誰もいない場所で、誰にも見られずに一晩過ごせる。


「……あんたみたいな立派な人間には、この世に未練なんてないだろうな。化けて出るわけがねぇよ」


 そう呟いて、覗き窓を閉めた。

 死者に嫉妬してどうする。生きてるだけで御の字だ。


「……馬鹿みてぇだ」


 そう呟いて、部屋を出ようとしたところで思い出した。


 ――ああ、そうだ。ここ、今日の昼間は遺族の控室として使ってたんだったな。窓の施錠を確認しておかないといけないんだった。


 部屋を横切り、障子窓に手をかける。開けにくい。

 まったく、古ぼけた施設だなほんと。


 ガタガタと音を立てながら何とか開けて、そのすぐ後ろにあるガラス窓を確認。施錠よし。


 障子を閉めようとして、ふと手に違和感を覚えた。



 ――じょり、とした感覚。



 ん?と思い、つまみ出してみると……長い糸。いや、髪の毛。それも束になっている。

 えっ、なんだよこれ……イタズラにしてはちょっと度が過ぎてる。


 障子とガラス窓の間には、まだ黒いもじゃもじゃしたものが詰まっている。



 ……人の髪にしか見えない。



 風で舞い込んだ? そんな量じゃない。

 誰かがふざけて突っ込んだ? いや、葬儀の席でそんな真似をする奴がいるか。


 背筋のあたりがじわりと冷えてくる。

 怖い、というより“引っかかる”。

 なんで、こんなものが、ここに。


 懐中電灯の光が震えた。

 それでも、目を逸らせなかった。

 見ちゃいけない気がするのに――確認しなきゃ、という気持ちが勝っていた。


 懐中電灯を構えながら、そっと覗き込む。

 光の筋が、その隙間の奥を照らした。


 何かが、内側から――動いた。



***


 朝、私はいつも通り職場に出勤した。

 門の前には、今日葬儀を予定されている御一家の姿があった。


「おはようございます、橋本さん!……どうかされたんですか?」

「あ、ええと。昨日、夜の番はせずに帰ったんですけど……朝来たら、門が閉まって鍵が掛かっていまして……」

「ああ、大変失礼いたしました〜」


 少し申し訳なさそうな顔をする橋本さんに、私は笑顔を向ける。

 正直、通夜後の宿泊はしてもらわないほうが職員としてもありがたかったりする。面倒ごとはできるだけ少ない方がいいからね。


 それにしても、警備員さん――「朝の開錠は忘れずに」と伝えてあるのに、居眠りでもしてるんだろうか。

 まったく、警備会社の人っていつもどこか抜けてるんだから。どうせ夜の見回りも、ちゃんとやらずに寝てるんでしょ。


 私は苦笑しながらキーケースを取り出し、門の鍵穴に差し込もうとした。


 ……ん?


 門の取っ手に、何か黒いものが絡みついている。

 細く長い、髪の毛。

 指先にまとわりつくそれを、ぶち、ぶち、と引きちぎりながら、私は門を押し開けた。


 その瞬間――ひゅう、と風が吹き抜けた。


 もう日は昇っているのに、妙に冷たい風だった。

 どこかで笛のような音がして、私は思わず肩をすくめる。

 ただの風音だ。そう思い込もうとしたのに、耳の奥で――確かに聞こえた。


 子どもが鼻歌を歌うような、かすれた声が。


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― 新着の感想 ―
福本センセの描くホラーの世界、堪能させていただきましたァ! ありがとうございます、ありがとうございます! ファンタジー世界じゃないワールドも、こんなに描けちゃうんですネ…ポッ♡ もう三度の飯よりホラ…
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