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【掌編小説】思考の浅瀬にて

作者: 昨日夜朝

 さて。わたしが言った。或いは声には出ていなかったかも知れない。


 「主人公に自己を投影出来ない」と言った。あるいは思っただけ。口に出すのは中々に躊躇われるが、今時自己投影ができない主人公は売れない。はっきりと言う。売れない!

 投影出来ない主人公は売れない、と言った現象さえ通り越してバグ扱いだ。読者はみな、自らを投影出来る人間を探しながらページを捲る。若しくは画面をスクロールする。そんな時代に、どうして、似せようとすらしない。いや、似せることさえ出来ない「我々」が生き延びようか。


 然し乍ら(しかしながら)私は逃げない。逃げずに椅子に沈み、右手で顔を支え左手は膝に。そう。まるで、オーギュスト・ロダンの作品の様に。かれこれ数時間はこの体勢だ。

 だが、考えているのは人類の未来でも、『神曲』の様な作品でもない。


 もっと、凡庸で、平凡な。そう。



 主人公の設定だ。



 一先ず、焦らずに主人公をキチンと定義付けようではないか。

 そうしなければ、誰の作品を無意識に模倣するか分からないので、これは恐ろしい。

 しかし、定義というものは大変なものだ。というのも、この瞬間から、私は読者に対して説明しなければならない。説明するという動作が義務付けられた。嗚呼めんどくさい。


 ……いや、待てよ。やはり私は素晴らしいな。


 いや、申し訳ない。

 私には哲学的語彙があまりに乏しいのだ。構造主義、記号論、物語構造論的観点、イデオロギー的なんとか。全て聞いたことはあるが、私には輪郭が掴めない。で、あるからして、私に定義づけは少し難しい。

なので、この場に限り定義づけることを止めようではないか。


 さて、そう、主人公の設定の話だな。


 私は勢いよく立ち上がった。特に目的があって立ち上がったのではない。体勢に飽きたというのも正しいが、腰が痛くなったのが最大の要因だ。

 立ち上がって、ゆっくりと背中を逸らしてから、部屋を何気なく見て回る。私の部屋だ。特に語るべくもない。机の上に先ほど食べた朝食の皿があるぐらいだ。

 窓を開けてみた。空気は濁っていて、思考が滞る曇った午後のようだ。


 事実、午後である。


 さて。再び続ける。


 私の作品はどんな間違いがあろうとも後世には残らない。

 何故か。それは敢えて記さない。しかし、私の作品は後世には残らない事だけは明瞭だ。


 どこからか、こんな文章を書いている間にさっさと進めろ愚図とか、そんな声が聞こえてくるが、私はそこまで能無しでは無い。

 これは主人公を考える上で最も重要なプロセスの一つなのだ。


 そうだ。羊を追いかけよう。


 はは。私には羊すら居なかった。


 では、理想の主人公とは何か。


 そうだな。こんなのはどうだろうか。朝目覚めたら虫になっている。そういう主人公に私はなりたい。違うな。正確にはそういうのを書きたい。いや、もう書かれていた気がするな。だから違うな。だから私の主人公には虫にならない。虫にもなれない。人間だな。人間のまま布団から出ずに運営にバグ報告をして静かに目を閉じる。そしてそのまま寝る。そんな存在だな。


 虫にもなれないのだから最悪せめて裁判にでもかけられようと思うたんだがどうにも起訴理由がわからないらしい。ふむ。困ったな。パンになればいいか。


 おや。パンになってしまった。パンは困る。パンは動けない。そういえば、このパンは私が朝食で食べたパンだ。


 という事は主人公じゃない。


 またやり直さなければ。


 では、理想の主人公とは何か。


 手法を変えてみよう。

 例えば、芥川龍之介が書いたような理知的で冷笑的な男。動機が不明でも、美麗な言葉で誤魔化せる。ああでも、最近の読者はそういうのは望んでいないらしい。残念だな。

 というか、私は芥川龍之介の本を読んだことがあったか?どうだろうか。もしかしたら無いかも知れない。

 ふむ。ふむ。それは危険だ。読んだフリは一番怒られるのだ。インタビューや記者会見で「好きな作家は?」と聞かれた時の練習を未だに続けているからこうなるのだ。全く。


 そもそも、彼のような人間を模倣してもそれは劣化にしかならないな。やめておこうか。


 では、ドストエフスキーはどうだろうか。誰かがとても好きだと言っていた気がする。しかし、私は全くもって知らない。何かの映画ならば……見たかも。といった有様だ。


 駄目だな。ああ。他の人間に聞ければいいのだが。


 ……おや、そういえば、読者が出てきていない。


 ふむ?これはまずいのでは無いのか。


 この作品には私と主人公候補しか出てきていない。

 いや、主人公候補たちはまだ決まっていない。つまり私だけだ。


 読者はどこにいる?一体何がページを捲るのだ?画面をスクロールするのは誰だ?


 呼ぶか


 読者を。


 しかし、どうすればいいのだ?

 この、始まってもない物語のどこに入れるのだ?

 入口もない。導入もない。終わりも近い。


 ……いや、やめよう。まだだ。まだ早い。読者は要らない。完成もしていないのだから。私はまだ一人で。浅瀬でもがこうじゃないか。


 どうせ読者はいつだって、浅瀬の向こうから私を覗いているのだ。



※後書き(半分くらい備忘録。読まなくても良いよ)


途中で出てきた「虫にもなれない」は、カフカの『変身』から。

ああいう極端な変化って転生ものっぽいね。私は布団から出るだけで疲れるよ。転生ものは好きだけど。異世界行きたいね。


「最悪せめて裁判にでもかけられようと思うたんだがどうにも起訴理由がわからないらしい。」この一文も同様にカフカの『審判』から。


「羊を追いかけよう」と言ってたのは、村上春樹の初期作品を思い出して。

でも、羊どころか人間も出なかったね。


芥川龍之介とドストエフスキーが好きなのは作者の私だね。

インタビューの練習は未だにしてるけどね。


恐らく1990年代のポストモダン好きには怒られるかも分からないけど、書いてしまったのだから出すしかなかった。


もしかしたら、作品の意図とか技術の解説も別途で出すかも知れない。ポストモダン文学の技術を好きなだけ詰め込みまくったから。




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