第4話 先発投手大炎上
◆◇◆
開幕日の朝がやってきた。
8:00に起床しリビングへ向かうと、今日はパートを休みにしているはずの母が出掛ける支度をしていた。
ソファに置かれたカバンは、昨日と同じ仕事用のものだ。
……あれ?
おかしいな、だって今日は……
「開幕戦ゆっくり観たいから、今日は仕事休みにするって言ってなかったっけ?」
対面式キッチンへ向かいつつ、声をかけてみる。
しかし、母は少し戸惑ったように、
「それは明日の話でしょう。もう、ユキナってば開幕戦楽しみにしすぎなんじゃない?」
と言って、苦笑いを浮かべていた。
……?
昨日も、リビングから玄関まで見送った気がするけど……?
母は、訝しむわたしに気づいていないらしい。
先ほどから、カバンの中身を確認している。
そして、慌てて2階に行くと、充電中だったというスマホを持って戻ってきた。
そしてカバンにスマホを入れると、安心したように「じゃあ行ってくるから」と、わたしに声をかけた。
……何もかも、昨日と同じだ。
「朝ごはんは昨日のカレーが残ってるから、温めて食べてね。夜ごはんはそのカレーにうどん入れてカレーうどんにしよう」
母が指さす先のコンロには、昨日空になったはずの鍋が置かれている。
中を確認してみると、昨日食べ終えたはずのカレーが残っていた。
……?
「お昼は自分でなんとかしてね。何かあるもので作ってもいいし、サギサワマートのお弁当買ってもいいし……洗い物、ちゃんとやっといてね」
母に「はーい」と返事をしながら考える。
お昼は、自分で作るの面倒くさいからお弁当にしよう。
唐揚げ弁当あるかな……
と、そこまで考えて気がついた。
昨日と同じじゃないか。
昨日と同じ……
そこでわたしは、ようやく昨日のまーちゃんのことを思い出した。
『ユキナは、明日もここに来るよ。そして、唐揚げ弁当を買って帰るところで、またあたしに会うんだよ。本当だからね』
「……まじか」
あのときのまーちゃんの言葉が鮮明に思い出される。
まーちゃんは真剣な顔をしていた。
それなのにわたしは、まーちゃんに会えるんだって思ったら、ちょっと嬉しくなっちゃって……
それはもう、まーちゃんの言ってることを信じてないってこと……
そういうことだって、気づいてなかったんだ。
「……ちょっとユキナ、聞いてるの? 返事ぐらいしてよね」
思わず口から出た「まじか」に反応した母の鋭い声に、話を聞いていなかったと焦る。
大変だ、お母さん今何て言った?
でもこれ、聞き返したら怒られるやつだ。
どうしよう……
と、内心で慌てつつ、待てよと気がついた。
昨日と同じってことは……
無理に聞き返さなくても、大丈夫なんじゃない?
昨日、何て言われたか忘れたけど。
たぶん、昨日も聞いてなかったんだろう。
じゃ、面倒くさくなる前に逃げよっと。
「うん、聞いてるよ、大丈夫」
「えー、ほんとー?」
「うん、本当。ほら、もう行かないといけない時間じゃない?」
わたしが玄関の時計を指さすと、案の定、母は「大変! じゃ、あとは頼んだからね!」と慌てて出て行った。
リビングの窓からは、走って行く母の姿が見える。
隣の家の生け垣と身長が同じらしく、その先は見えない。
昨日と同じ……!
キッチンへ戻り、恐る恐るもう一度コンロに置かれた大鍋の中身を確認する。
そこにはやっぱり、昨日食べ終えたはずのカレーが残っていた。
どうなってるの……?
いろいろ考えてみなくては。
そんな決意を新たにしたところで、わたしのお腹が応援団の鳴り物のように轟いた。
とりあえず、朝ごはんにしよう。
無造作によそったカレーライスを口に運びながら、テーブルに置かれている朝刊の日付に目をやる。
それは、まぎれもなく
3月27日 木曜日 大安
だった。
まさか、村山家にだけ古新聞、つまり昨日の新聞が届けられた、なんてことは……
ない、断じてない。
テレビでは、ちょうど朝のワイドショーをやっていた。
司会のアナウンサーが「3月27日木曜日、時刻は午前9時30分を過ぎました」と、にこやかに笑っている。
まるで、それが当然だと言わんばかりに。
「……」
わたしはカレーライスを食べる手を止めて、しばし呆然としていた。
これは、やっぱり……?
いや、まだだ!
まだ確認していないことがある!
わたしはテーブルのスマホを取り上げ、叩き壊す勢いで画面をタップし、次々とSNSの情報を確認していった。
フォローしているプロ野球関連のアカウントを片っ端から開いて、最新の投稿をチェックしていく。
今日が開幕日なら、かなりの数の投稿があるはずだ。
プロ野球球団の公式アカウントはもちろん、ファンの人たちも楽しみにしていて当たり前。
何かしらのイラストや写真を投稿しているに違いない。
突き指しそうなくらい、激しくスマホの画面をスクロールしていく。
しかし……
勢いよく走っていた指は、飛球がフライアウトになった打者のようにスピードを緩めることになった。
「なんで……? これ全部、昨日のままじゃん!」
開幕投手のコメント、新監督チームの紹介、FAやトレードで入団した新選手の意気込み、トライアウトを経て新天地で活躍を期待される選手のインタビュー……
あれもこれもそれも、ときどき入り込んでくるスマホゲームの広告まで、全部昨日見たまんまだ。
これは、なんというか……
まさに、
「シンジラレナーイ!」
じゃないか!
ああ……
1回表に満塁ホームランを打たれた先発って、こんな気持ちなのかな。
しかも、1本じゃなくて2本。
いきなり8点のビハインド。
もう、ぐうの音も出ない。
……ん?
ちょ、ちょっと待って……
昨日も今日もってことは……
もしかして……
ずっと、このままってこと……!?
わたしの手からスマホが滑り落ちていく。
しかし、わたしにはスマホを握り返す力なんて残っていなかった。
スマホはテーブルの上にゴトンと落ちた。
それはまるで、投げ出された膨大な情報そのもののようだった。
でも、今のわたしには、どうでもいいことだ。
だって、それどころではないのだから。
このまま、永遠に3月27日が続いたら……
プロ野球が……
開幕しないのだから!!
「そんなの絶対に嫌だあぁぁぁーっ!!」
ダンッ!
とテーブルを叩いた衝撃で、スマホがまたもやゴトンゴトンと音を立てた。
「……」
リビングには静寂が訪れた。
そこでふと、
『ユキナは、明日もここに来るよ』
昨日のまーちゃんの声が、頭の中に流れてきた。
そう、昨日から、まーちゃんはわたしに3月27日が繰り返されていることを教えてくれていたんだ。
と、いうことは……
まーちゃんなら、この状況をどうにかする方法を知っているかもしれない!
まだ1回表が終わっただけじゃないか。
こんなところで諦めたりなんかしないぞ。
8点ビハインドがなんだ。
それならこっちは、ホームランでもタイムリーでも打ちまくって、9点取ればいいだけの話だ!
母の推し球団なんて、10点差をひっくり返して勝った試合があるんだから!
わたしは大急ぎで食器洗いを済ませて、サギサワマートへと向かった。
3月下旬とは思えない寒風吹きすさぶ住宅街を、マフラーに顔をうずめて足早に歩いていく。
昨日と同じ寒さ……
コートを冬物にしてきてよかった。
さて、まずはまーちゃんに会ったら謝らないと。
せっかくいろいろと教えてくれようとしていたのに、何も信じようとしなくてごめん。
これで許してもらえるだろうか。
いや、許してもらえなくてもいい。
この状況がなんとかなるのなら。
1回ウラ、まさかの8点ビハインドで迎える初回の攻撃……
まずは、何が何でも塁に出なくては。
つづく