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第二十七話  最後の雫

アーカシ姫さまは旅支度を始めていた。聖エスカルゴ学院の滞在は長かった。オリビアはここで多くの学友と貴族令嬢としての新たな嗜みを得ていた。裁縫が得意で控えめな性格の侯爵家四女オリビアは、いまや屈伸運動200回、腕立て100回を朝・夕2セット毎日欠かさず行うまでに仕上がっていた。荷造りを終え一息ついているアーカシ姫さまに、オリビアが声をかけてきた。



「姫さま、紅茶はいかがですか」


「うん、貰うわ」


「お菓子はクルミでいいですか」


「ええな、貰うわ」



てっきりクルミのパウンドケーキだと思っていたアーカシ姫さまが見たものは、クルミの殻を素手で握りつぶすオリビアの姿だった。


パンッ!


クルミは粉砕され中身ごと粉々になってしまった。



「あらやだわ、私ほんと不器用で困りましてよ」



不器用とかそういう問題ちゃうやろ! アーカシ姫さまはそう思った。しかも貴族令嬢が集う学院での生活が続いたため口調まで影響されている。それはいいとしても筋力をここまで鍛え上げるとは……もっと早く学院を出るべきだった。遅かった。


オリビアも自分の荷物はまとめたらしい。モフモフに積もうと持ち上げればやたらと重い。まさかと思って中を見れば鉄の重りに砂袋。鉄の重りは筋力を鍛えるためだとは思うが、砂袋はまさか……



「おい、オリビア、この砂袋なんやねん」


「はい、淑女の嗜みとして拳 (こぶし) を鍛えようと」


「あほか!どっちも返してこい!」



これはいかん、エスカルゴの学風に染まりきっている。すぐにでも学院を後にしなければ! 準備を急ぐアーカシ姫さまだが、残念ながら今夜はふたりの送別会、主催する学院のみんながそうそう帰してくれないだろう。



◇◇◇



聖騎士サイファはミソノ・ユニバの街に帰らなかったが、信濃守千代丸は先に帰らせた。しばらく一人にしてくれと千代丸に告げると、彼は薄く笑い去っていった。サイファは街を遠く離れ、無人の荒れ地をさ迷い歩く。


昨夜、サイファは報復に来た多くの盗賊の血を浴び、そして千代丸の唇を奪った。情欲が涌きたてられ常軌を失いかけている彼はいきり立つ欲望を吐き散らさずには収まらない。だから街へは帰らないし、ゆえに千代丸は街へ帰した。


サイファの冷たい唇に残る千代丸の感触が、より安易な解決方法を彼に示す。信濃守千代丸は拒んでいなかった。そうだろう? サイファは自分にかけられた呪いに抗うことは諦めたが、自分で定めた誓いを破るほど弱くはなかった。


────信仰を守る人々の為に身を尽くす


同じ神を信じていなくてもいい、なんなら悪魔を信仰しても。あるいは無神論者で正義や思想を胸に抱く人も同じだ。それが誰かを救えると、信じて祈る人々を、身を尽くして守るのが聖騎士であるとサイファは定めている。結局彼は、人というものを愛しているのだ。


────人である最後の雫は、失いたくない


人外に堕ち、理性と感情が日々薄れていくサイファであっても、彼を信じ、その身を捧げようとした千代丸を汚すことは出来なかった。しかし血の香りに人外としての欲望が、唇に残る柔らかさに肌を求める情欲が、彼を闇へ誘い込むのだった。



夜になり、昨晩惨劇が開かれた現場に二人の男が立っていた。盗賊仲間が報復のため、彼らにも声をかけていたのだが、二人は気乗りなかったので参加しなかった。しかしあれから帰ってこないので、心配して様子を見に来たのだ。


踏み消された焚火の後を中心に、遺体がごろごろと転がっていた。彼らの仲間はそこにいた。すでに息絶え無残な姿を晒している。男は手を合わせた。



「女神メイ・ナンギさま、地獄でこいつらに手加減を……」



盗賊仲間はクズだった。人を騙し、人を襲い、奪い、踏みにじる外道としか言いようのない奴らだった。しかし友人だった。仲間だった。よく笑わせてくれる気のいい奴らだった。せめて手を合わせてやる。誰も悲しまないお前の死を、俺は悼んでやろう。来世は真っ当に生きろよ。



「おい、誰か来るぞ」



もう一人の男が声をかけた。彼は元兵士で盗賊の用心棒、殺しを伴う仕事には断固参加せず、煙たがられていた。子供が病気で治療費を稼ぐため、兵士をやめて仲間になったと言う。彼が内心は見下している盗賊連中も、この有り様では哀れに思えていた。それはそうと、足音がする。


振り向いた二人が見たものは、甲冑姿の騎士だった。兜は被らず栗色の髪が夜風になびいている。その顔は恐ろしいほどの美形。月に照らされたその姿は、この世の者とは思えないほどだった。


二人は警戒したが、騎士は剣を抜いていない。やや下を向いて歩いてくる。聞いていた報復相手は二人組と聞いているし、わざわざ一人で戻ってくるのも不自然だろう。なにより俺たちが見えているはずなのに躊躇なく近づいてくる。逃げたやつらの関係者か?あるいは初見の盗賊仲間?



「おいアンタ、ここにいた二人組を知ってるか」



美形の騎士は彼らを見て口を開けた

美形の騎士は彼らを見て口を大きく開けた

美形の騎士は彼らを見て口を大きく開けて中を見せた

美形の騎士が大きく開けた口にはびっしりと生えた牙が……


元兵士の用心棒の、首筋に食らいついた

元兵士の用心棒は、体が痺れて動けない

元兵士の用心棒が、口から血の泡を吹く

元兵士の用心棒へ、子供の祈りが届いた



「パパ……パパ……、早く帰ってきて……」



それは幻想だった

彼に子供などいない

何年も前に流行り病で死んだのだ


それは幻想だった

彼を救う神などいない

情欲で狂った死神ならここにいる


────信仰を守る人々の為に身を尽くす


薔薇の香水が漂う中、腰を抜かし座り込む盗賊の男

助けを求めるべき用心棒は、甲冑の騎士に咥えられ

口元で血の泡を垂らして恍惚とした表情で息絶えた



「 次 」



甲冑の騎士が初めて声を発した

盗賊の男は騎士が吐き捨てた肉の塊が

何の肉でどの部分なのか承知していたが

あえて絶対に何が何でも考えないようにした



「やめてくれ! 俺が何したって言うんだ! 」


「何もしてない、死ぬだけだ」


「許してくれ! 何でもするから! 頼む! 」


「何もいらない、死ぬだけだ」


「お袋がいるんだ! 幼い子供も! 慈悲を恵んでくれ! 」


「何も感じない、死ぬだけだ」


「アンタ何者だ! こんな酷い事する資格でもあるのか!」


「ある。俺は人ではない」



命乞いが嬌声にしか聞こえない今のサイファにとって

盗賊の絶叫がディナーを締めくくるメインディッシュ

やさしく彼の顔を指でなぞり

びっしりと這えた牙で食らう

喉、肩、耳、腕、鼻、頬、腹

月に照らされ死肉を漁る獣が

獲物を貪る歓喜に震えていた


────人である最後の雫は、失いたくない







【クルミのパウンドケーキ】

──注釈

健康を害する悪魔の食べ物

筆者は絶対に食べないどころか近づかない

特にバターが香るふわふわの食感で

紅茶やシナモンの風味を加えたものなど

筆者は絶対に許さない

ピスタチオ入りに至ってはもう……

それを一切れならまだしも

一本丸ごと筆者の家に持ち込んだ奴には

弁護士と相談し健康増進法違反による訴訟を検討している


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