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第二十三話  二匹の猫

レイコ・クリスティーヌは病室にいた。


正確には聖エスカルゴ学院・保健室なのだが、ベッドは全て個室。外科・内科・整形外科・耳鼻咽喉科・歯科口腔外科・その他多数の専門魔導士が常時待機しており、生徒たちの治療や健康管理を行っている。


レイコ・クリスティーヌは病気があるという訳ではなく、昨日校庭で全身を白く光らせ翼を生やしたり、垂直落下式DDTと顔にヘッドバット(頭突き)を十数回受けた程度の事だが、念のため入院した。光と翼はともかく、ケガに関しては少々鼻が赤く腫れた程度の事だ。



「しばらく……休んだら……お部屋に帰って……いいですよ……」



魔導士の外科医がクリスティーヌを診察し、大きなケガが無いことを確認した。魔導士は黒いフードを被り顔が見えないので性別はわからないが、優しい声と柔らかい手が女性ではないかと推測させた。もとよりこの学院には女性しかいないのだが、それは教職員や魔導士も同じだった。


過去に噂を聞きつけた盗賊たちが貴族令嬢である生徒たちを攫おうと襲撃したことが何度かあった。たいていは狂気山脈で消息を断つのだが、なかには学院まで辿り着いた猛者たちもいる。当時の生徒は大喜びで盗賊の襲撃を待ち構え、歓迎式典の準備まで行っていたのだが、そんな彼女たちの楽しみを当時の学院長は独り占めして、盗賊たちを校舎前の小高い丘で出迎えた。彼らはそこで手厚く葬られ、今もその丘は盗賊の養分で育った草木が生い茂っている。



コン、コン、コン。



「どうぞ、お入りになって」


「ほな、ジャマすんで」



レイコ・クリスティーヌの病室にノックが響き、彼女が声をかけると、入ってきたのは海野アケミだった。アケミはクリスティーヌのベッド脇に椅子を寄せ、見舞いと称して食堂で作ったお菓子を自分でぼりぼりと食べ、どこで手に入れたか挿絵入りの、猫が活躍するコメディ小説を取り出し読んで笑うのだった。



「ぎゃははははは! この小説おもろいわ!」



レイコ・クリスティーヌはそっぽを向いて窓の景色を見ていた。揺れるカーテンの向こうには、険しい山脈に生い茂る樹木、そして吸い込まれそうな澄んだ空。ときおり風が草木を揺らし、その音は流れる川を思わせた。



────このまま、時が止まればいいのに



実家の財産を使っても

貴族の身分を使っても

叶うはずのないクリスティーヌの我儘……



「おいクリスティーヌ! なんかして欲しいことないか?」



海野アケミが小説を読むのに飽きたのか、本をテーブルに放り投げ、クリスティーヌに声をかけた。この女はいつも空気をぶち壊す。そもそも見舞いに来て本を読むなんてどういうつもりなの。お菓子もひとりで食べ尽くしている。呆れた野良猫だわ。クリスティーヌはそっぽを向いたまま小さく呟いた。



「………………ちゅうして」


「はあ? なんて? 」


「………………なんでもない」


「もっぺん言って」


「………………なんでもないわよ! もう帰って! 」



拗ねて怒って振り向いたクリスティーヌの唇をアケミは優しく奪う。不意打ちのキスに唖然とする彼女の手にアケミはそっと触れた。シーツを掴んだ彼女の指がアケミの指と絡み合う。



唇はずっと重ねたまま

窓の景色は変わらない

風がカーテンを揺らし

小説のページをめくる

そこに描かれた挿絵は

二匹の猫が寄り添う姿



────神さま、時を止めてください



魔法が時を閉じ込めた

二人は小説の登場人物

ページを開けば永遠に

時は終わりを迎えない



…………にゃお。



◇◇◇



「うちはウォンターナ王家が長女、アーカシや」


「うちは海野アケミ、漁師の娘や、よろしくな」


二人は学長室で握手を交わした。オリビア・フェルナンデス侯爵令嬢とエスカルゴの学長が同席する中、アケミとアーカシ姫さまは前の世界について情報交換をした。


アーカシ姫さまの思った通り海野アケミも別世界の住民で、驚いたことに時代も国も、住所までほとんど同じだった。オリビアには理解できなかったが、別世界では「やきゅう」と呼称される棒を振り回し物を投げつける野蛮な遊びが人気らしく、ふたりが支持する戦闘集団も同じということで、その応援歌をふたりで歌い出した。


嫉妬で狂いそうなオリビアだったが、ふたりは大きく違う所もあった。生まれ変わったアーカシ姫さまとは違い、海野アケミは生きてこの世界に迷い込んだという。アケミはこの世界に転移した状況を説明した。



「阪神優勝を祝ってな、猪肉が食いたくなったんや」


「おお! ついに優勝したんたか!」


「スーパーに売ってへんから、山へ猪狩りに行ったんや」


「おお! ついに頭がイカれたか!」


「六甲山に入ったら道に迷って、ここに辿り着いたんや」



エスカルゴ学長が口をはさむ。海野アケミは狂気山脈で遭難中に救助され、エスカルゴ学院で保護したが、帰るところが無いので転校生という形で引き取ったという。アケミは前の世界に未練があるらしく、懐かしそうに語った。



「大統領選の前やったからな、結果だけでも知りたいわ」


「……へえ、大統領選ね」


「日本の未来を決める大事な選挙やで、気になるやん」


「……せやな」


「兄貴も徴兵に取られたままやし、親父寂しいやろな……」



アーカシ姫さまの全身に鳥肌が立つ。あまりに衝撃的で異常な事態に理解が追い付かない。前世を含め、何度も命を危険に晒し、実際一度死んでいる姫さまは知っている。危険と感じた時はすでに遅い、異常を感じた時に立ち止まり、状況を把握すべきと。



「……話は尽きんけど、続きは明日にしよか」


「ええで、うちも見舞いに行きたいし」


「……ほな、またな」


「ほなな! また明日!」



海野アケミは学長室を出て、元気に廊下を走り去った。

アーカシ姫さまは、立ち止まって動かない。


異常に気付いた学長とオリビアが心配して駆け寄った。

アーカシ姫さまは、とある仮説が頭を支配している。



────大統領選? 日本は総理大臣のはずや

    徴兵やて? 日本にそんな制度はない


    それでいて阪神タイガースは存在する

    住所が同じなのも不自然や

    そしてうちの親父も漁師やった……



ガタガタと震えるアーカシ・ウォンターナ

その表情に戸惑うオリビア・フェルナンデス


間もなく日が暮れる、世界を闇が覆う時間が近づいている。







【六甲山に入ったら道に迷って】

──注釈

六甲山は低く神戸の街から近いため、安全な山と思われがちだが実際はかなり危険。登山道から外れた所に数メートルの穴があっても枯葉などで埋め尽くされ気付けない。それは落ちた人も、捜索する人も同じ。

なお、作中設定で海野アケミはセーラー服でイノシシ狩りに向かっているが、あくまで創作であり、そもそもスカートで山に入るな。そしてイノシシを素手で倒すなど不可能。ただし六甲山にイノシシはウヨウヨいる。

 

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