第十九話 神も悪魔も避けて通る天と地の覇者
アーカシ姫さまとオリビアは、狂気山脈で前方から迫りくる数百体の物体、それも1体3m以上の怪物に対しどう対応するのか。当然逃げる。モフモフを左に大きく寝かし、左足を軸にアクセルを空ける。反転する車体、いわゆるアクセルターン。そのまま逃走。
赤い二本足の怪物が追ってくるもモフモフの加速にはついてこれない。逃げ切れる、そう思った時は大体ろくでもないことが起きる。
アーカシ姫さまがモフモフを止めた。
背後から怪物の群れが迫る。
オリビアは異常に気付く。
まず強い耳鳴り。
頭痛。
眩暈。
吐き気。
息が苦しい。
鼓動が激しくなる。
鼻に違和感、鼻血が垂れている。
倒れるほどではないが、意識が朦朧とする。
空気が振動し、聞き取れるギリギリの重低音。
アーカシ姫さまが前方を見つめ振り返らず言う。
「……オリビア、目を閉じろ、ええな、何も見るな」
言われるまま目を閉じるオリビアの頭上を何かが通過する。
近づいてくる何かが凄まじい圧力を帯びている。
体中の皮膚が痛い、火傷のような熱さ。
それは上空にあると思われた。
しかし大地が震えている。
耳が強烈に痛い。
頭が割れそうだ。
頭が割れそうだ。
頭が割れそうだ!
痛い! 痛い!痛い!痛い!痛いぃぃぃ!
「オ…………ア! ……撃……が……! ……え……!」
アーカシ姫さまが叫ぶが聞こえない!
聞こえないの!
何も聞こえないの!
強烈な振動、何もかもが大きく震えている。
目は閉じ耳は聞こえず強烈な頭痛、オリビアはパニックだった。
姫さまにしがみつきたいが、頭を押さえて手が離せない。
そして閉じた瞼でも見える閃光。
数秒輝いた後、後方から熱波が襲う。
情報量が多すぎて訳が分からない。
終りだ
この世の終わりだ
この世の終わりが始まったんだ
この世の終わりが始まって全てが終わるんだ!
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「もうええで、目を空けな」
アーカシ姫さまの声が聞こえた。オリビアは意識を失わないまま思考を失っていた。急な寝起きと例えるべきか、なんとも奇妙な感覚。そして焦げた匂いでむせ返りそうだった。耳鳴りは収まっていた。
振り返れば怪物がいた箇所が半円形に大きく抉れている。それは小型隕石の衝突を思わせたが、今はそんなことどうでも良い。それどころじゃない。
先日、魔導士の街で黒い神殿の最上階に昇ったアーカシ姫さまとオリビアだったが、それと同じ大きさだろうか? 非現実的に巨大な物体を、目視で測れるほどオリビアは器用ではないし、またそんな余裕もなかった。
生物進化の過程を無視する四本の足と羽のない翼。
青銅の鱗。
四本の爪。
長い首。
長い角。
長い尾。
人間などその足で数人は踏み潰せそうな巨体。
絶対の自由と暴力を行使する存在
生物の王
魔獣の王
神も悪魔も避けて通る天と地の覇者
ドラゴン。
この世界の住民でも実際に目にしたものは滅多におらず、時に酒場で酔っ払いがほらを吹く程度でしか耳にしない。オリビアですら絵本か物語でしか知らず、恐らくはフェルナンデス家の先祖を含め、目にしたのは彼女が初めてではなかろうか。
オリビアの膝が震えている。
モフモフに座ったままで良かった。
とても立っていられる状態じゃない。
剣も魔法も矢も投石も一切の効果が無いとされる。
アーカシ姫さまは黙って見つめている。
ドラゴンがこちらを振り向く。
ゆっくり。
ゆっくり。
ゆっくりと近づいてくる。
冷静さを失っているオリビアは気付いていないが、巨体ゆえにゆっくり歩いているように見えても実際の移動速度は時速90㎞を超えている。それでもドラゴン的にはゆっくりなのだが。
一歩踏み出すごとに大地は激しく揺れ、オリビアは怯えた。アーカシ姫さまにしがみつき逃げようと言いたくても声が出ない。オカルトにはない現実的な恐怖に侯爵令嬢の小娘は文字通り腰を抜かしていた。
アーカシ姫さまは腕を組み、大声で叫ぶ。
「おい! ドラやん!」
ドラゴンは口を開けるがそこからは声を出さない。理屈はわからないが振動で音声を発生させ、大音量でも無いのに全身が振動する不思議な声を発した。
──アーカシ姐さん! まじで久しぶりっすね!
「ドラやん爪増えとるやんけ!」
──わかります? やっと四本になったっすよ!
まるで居酒屋のオジサンのような会話を交わすドラゴンとアーカシ姫さま。オリビアの緊張は解け、気が抜けて逆に倒れそうになっていた。
「お前な、来るたび大げさやねん!」
──そりゃ仕方ないっすよ! この巨体っすから!
「はははははは!」
───いや笑わないで下さいよ! ハハハハハ!
「ほなうち行くわ! またな!」
──学院長によろしく言っといてね! んじゃまた!
再び耳鳴りと振動をオリビアは感じるも、先ほどとは違い非常に緩やかで不快というほどではなかった。ドラゴンは羽ばたかず垂直に浮く。周囲に風圧を与えず不可解な飛行をするドラゴンは、はるか上空に達すると、大きく羽を広げ、山脈の奥へ飛んで行った。
◇◇◇
「姫さまッ!」
「うわ! びっくりした。どないしたんや?」
「なんでドラゴンと気安く話してるんですか!」
「知り合いやねん」
アーカシ姫さまの言う所によると、ドラゴンは子どもの頃から聖エスカルゴ学院に友達をつれてよく遊びに来ており、特に学長から可愛がられていたという。ドラゴンの友達ってなんだ?そんな疑問も抱いたが、オリビアにそれを聞く気力は残されてなかった。
【四本の爪】
──注釈
ドラゴンと龍はファンタジー世界では定番である
それぞれ別種と解釈するのが通例だと思うが
あえて爪を東洋の龍(竜)として表現した
さて、東洋の龍(竜)は爪(指)の数が
一般的には3本
王族が絵柄のモチーフに用いるときは4本
皇族が用いるときは5本
指の本数は状況によって重要視する場合がある




