榎本武Ⅱ
【榎本武、あなたに執行者としての任務が発生しました】
そのアナウンスが聞こえた瞬間、武の背中がビクっと跳ね上がる
(またか!)
前回の任務?から三日しか経っていない。こんなにも頻繁にやってくるのか、武は今後のことを考えて頭が痛くなった
【10秒後に転送を開始します…9、8、7、6…】
(前回戦った堕天使はアラエルとかいうやつだったが、今回はまた別の奴と戦うのか?)
時間はまたしても夜で、風呂上がりにアイスでも買おうかと近所のコンビニに立ち寄ったときである
【3、2、1】と時間経過のアナウンスが過ぎていき、武は転送の際一瞬目を閉じた。次はどこに飛ばされるんだろう
コツッ、と地面に自身の皮靴が着地した小気味いい音。武が目を開けるとそこは一転、大都会の中心であった
(東京駅?)
またずいぶん遠いところに飛ばされたなと考える武。相変わらずピシッとキまりすぎているスーツ姿に、例のバカでかいピストルも持っている
(また人がいない…任務中は関われない、いや隔離されていると考えた方がよさそうか)
普段ニュースの映像などでよく見る東京駅が全くの無人という状況はこれはこれで新鮮で面白く、武は広大な東京というミニチュアの中に入ったような気分になった
(そういえば今日はやけに夜空がきれいだな)
煌々と輝く星々を居待月がさらに照らしている。こんな星空、人工灯だらけの大都会じゃ珍しいだろう
だが、そんな感動に浸っている場合ではないことを武はすぐに告げられることになる
(ん?なんだあの影)
東京駅の象徴、赤レンガ駅舎の真上に妙な人影を発見した。妙な機器を使って天上を観測しているようにも見える。一般人はいないはずではなかったのか、なんて甘いことを考える武ではない
(あれは敵だ)
駅舎の上で天体観測にいそしむ人間などいるわけがない、堕天使だ。武は即座にピストルを構えてトリガーを引き、解析を開始するが瞬間、武は背後から無数の視線を感じた
「!?」
振り返ると空間が捻じ曲げられ、そこから飛び出した望遠鏡らしき物体のレンズの中から幾多にも無限にも感じられるほど小さな大量の眼球がこちらを覗いている
【אני מסתכל עלייך!】
再び、駅舎の方を見ると両翼ずつで六芒星が描かれた巨大な翼をもつ怪人が襲い掛かってきた!
「やべぇ」
その裂爪で地面をえぐり切りながら迫ってくる巨漢の大男、武はすんでのところで回避したが地面は悲惨なことになっている
「くっ!」
ひたすら解析を続けるも、当たり前だが解析中は全く堕天使に対してダメージを与えられないので逃げ回るだけのジリ貧だ。そんなただ構えることしかできない武に対して堕天使は振り向くと何かボソボソと呟いたうち、なにかを嘆いたようなそんな様子を見せた
(いったん距離をとらないと…えーっとこうか!)
舞村が羽を広げその力で後退すると、堕天使は縮地でも行ったかのように瞬時に移動し、武に爪による二撃を食らわせた
「ガァッ!!!!!!」
顔と胸から出た鮮血を散らしながら吹っ飛ばされた武。機動力でも負けている
(うう…ただ逃げまわればよかったアラエルとは格がちげぇ)
吹き飛ばされた打撲による痛みはないが、直接やられた顔と胸は焼けるようにイタイ。顔からの血が涙のように垂れる
もう一度ピストルを握ろうとするも今度は長い脚で蹴っ飛ばされる。肋骨にピシっと音が入った気がした
「あぁぁぁぁぁっ!!!」
傷みに悶絶する武。数秒のたうち回ったあと震える体を止めながら何とか立ち上がり解析を再開するも刻一刻と歩いて迫ってくる脅威を相手にスキャンが完了しないかぎりほぼおもちゃ同然の銃をただ構えるさまは滑稽の極みだ
かたや全身の肌を嬲るように右手の裂爪が暴れ、かたや的確に内臓を打ち抜くように穿たれる左手の裂爪。半ば涙を垂らしながらそれをぎりぎりで回避する武、遊ばれているようだった
(うぅ…)
痛みと恐怖に耐えながら隙を見て解析率を見るもそこには絶望の32%の文字。途中で引き飛ばされたりしたせいで全然スキャンが進んでいなかったのだ
武は自身の死を覚悟すると同時に怒りも覚えてきた。なんでこんなゴミ武器渡したんだと、“任務”を与えたものは何を考えてこの武器で1対1でこんな怪物相手に勝てると思ったのか
(しょせんおれの命は使い捨てか?ふざけんな)
“任務”を与えた存在、が神なのかなんなのかは知らないが、このまま死んだら全力で祟ってやると思いながら生存本能に任せて思い切って堕天使の足元に飛び込み、自身の上がった膂力を信じて柔道の足車をしかける。あまりの体格差に倒せるところまではいかなかったものの意表をつけたのか体制を崩すことには成功した
即座に戦線離脱し、羽で空にとんだあと建物の一角に乗り、スキャンを再開する
(配られたカードで勝負するしかない…本当に大嫌いな言葉だ)
不登校気味になり、最近追いつめられていた武にとってこんな更なる地獄、本当は耐えがたかった。ただ逃げるという選択肢ははじめから存在せず、生きるために戦えという思考のもと無意味に思える作業を続ける
堕天使も当然武のいるビルに飛翔し、ビル群での鬼ごっこが始まった。ただ垂直に飛びながらビルの高低差を利用して攻撃を回避し、エイムを合わせ続ける武と、飛行力に分があるのでなんとか何もない空中まで誘い出したい堕天使
あちらもあちらで武の武器を理解しているのか死に物狂いで爪をふるいながら突進してくる。何度も撃墜されそうになりながらなんとか60%代の大台を突破した
(ハァ…ハァ…よし)
武はビルの側面にぴったりと張り付きながら頭上の月を背後にその無数の目をぎらつかせる相手を見る。突っ込んできたところを回避して今度は下へ逃げるつもりだ
(来た!)
またしても両手を開いたままその裂爪でビルごと切断する勢いで突っ込んでくる堕天使。下へ回避する瞬間、両爪から放たれた衝撃波が本当に窓ガラスとコンクリを破壊する映像が見られた
あれを食らっていたら終わっていたなんてことを考えたとことに今度は堕天使は空を蹴ったと思ったらそのまま武のいる真下に垂直落下してきた
(げぇっ!!)
そのままクロスチョップを食らうことは避けたものの地面に激突する直前すさまじい勢いで方向転換してきた相手の追撃により背中と背中に生えた羽を裂かれ、倒れたところをとうとう追いつめられてしまう武
オフィスビルの入り口で息も絶え絶えで切り裂かれたボロボロの翼を引きずったままトロトロと歩いて逃げる武、背中から胸から血が流れる。スキャンは行っていない。現在72%だが終えられる気がしなかった
そんな彼の後ろを垂れた血を長い舌でなめとりながら今までしぶとく逃げられたことへの鬱憤を晴らすがごとく爪を研ぎながら迫る堕天使
蹂躙が始まる
「こないで…」
とうとう動けなくなったところを武はその女性のような美しい顔をゆがめ、泣きながら懇願した
何を?神に助けを求めているわけではない、堕天使は端から話が通じないと思っているので許しを乞うているわけでもない
彼は本当にただ“来ないで”ほしかった。近寄ってきてほしくなかった。そんな彼の純然たる願いに大気が、世界が、彼自身が反応する
バン
その白い肌に暴力的な爪が振り下ろされようとした瞬間、“無”から鎖が幾重も出でて堕天使を拘束した
【???בלתי ניתן להחלפה!!!】
(?何が起き、いやチャンスだ!)
動けなくなった堕天使にひたすら解析を進める。80%、83%、87%、ドンドンとスキャンを進める中堕天使の抵抗は続く。いまにもちぎられそうなその鎖は本当に何もない虚無空間から出てきているが、鈍色に光る普通の鎖に見える。長持ちするようには見えないが実際抑え込められているので何としてでもこの隙に決めないといけない
90、93、95、もう少しで97といったところで鎖がちぎれた。烈火のごとく怒り狂う堕天使だがすでに武は解析できるギリギリの距離までかなり離れていたのですぐに消される心配はなかったが足での速度などたかが知れている。またしても縮地のような瞬間移動レベルの移動で即座に距離を詰められる武
せめてこの羽が動けばと自分の羽を見ると、みるみるうちに切断箇所が再生していく白き羽。何が何だか知らないがやはり天に仇なった堕天使と戦うだけあって天はおれの味方のようだと有頂天になりながら宙へ逃げる武。先ほど天を祟ると言っていた様子とは大違いだ
激昂している堕天使も自身のテリトリーである空中に再び入ったことでそこで確実にしとめようと息巻くが再びの鎖。舞村の再びの堕天使が“来る”という恐怖に反応した事象であった
98、99、100
ピーという機械音、表示された【解析完了 タミエル】の文字を皮切りに堕天使の肢体が爆散した
武はしばし爆散した肉片と頭上の星空とビル群を見て放心したのちその事実に気づいた
勝ったのである、武は狂喜しようとしたが全身から流れる血と今まで流れ過ぎた血がそれを許さなかった。その場に倒れこんでしまう
失血状態でもうろうとする中武は泣きながらこの勝利をかみしめていた。またこの任務で生きのこれたということに未来の不安も何も考えずにただ喜んだ
だが現実はそう甘くはなかった、奴はまだ生きていた。四肢も脳みそも消し飛んだものの吹き飛ばされる直前ある魔術を完成させていたのだ
肉体の一部から体全体を再構成する術式…コガビエルは堕ちたと言えど天使だった頃は星と星座の運行を司る一連の天使のリーダーであるほどの智と力を有しているのでこの程度の魔術などわけなかった。
完全に再生し、気を失った武に忍び寄る残酷、狡猾に喉を掻っ切られる寸前、すさまじい轟音とともに極太のレーザーが発射され、タミエルの上半身がまるごと焦げ付き果て、術式も使い切っていた堕天使はそのまま絶命した
「イテェ!なんだ、なにが起き?」
「馬鹿ね、仕留めそこなっていたわよ」
熱波と轟音により気絶中であったにも拘わらず、膝の一部が焼かれ飛び起きた武。その目の前には漆黒の仰々しいドレスを纏った黒髪碧眼の蔑んだような目つきで見てくるいかにもなメスガキが立っていた