陸-黄鬼
■陸-黄鬼
命を奪う、覚悟……
「でも、決闘を言い出したのは、桃さんのほうでしょ!」
「黄鬼よぉ」桃さんは、三和土から一段上がった床に、僕と対峙するように座り、「別に、誰のせいにするつもりもねえんだが」と、前置きした上で話し始めた。「そもそも、俺はもちろん、爺ちゃんも婆ちゃんも鬼退治には反対なんだ」
「え? じゃあ、誰が言い出したことなんですか」まさか、梅子ではあるまい。
「お前らに迷惑かけられてる、村のみんなだよ」
桃さんは僕の目をまっすぐ見据え、話を続けた。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
むかしばなし『ももたろう』
ある日、暴れる鬼たちに困り果てた村人たちは、桃太郎の家に集まった。そして、桃太郎に頭を下げて言った。「鬼を退治してくれ!」
桃太郎は困り果てた。それが鬼であれ、生き物の命を奪うことに嫌忌の念を抱いていたからだ。しかし、村人たちの気持ちも分かる。桃太郎は、不承不承と鬼たちに宣戦を布告した。
「二十日後、鬼ヶ島で首を洗って待ってろ!」
二十日後にしたのは、知恵を絞り出すための時間稼ぎだった。
しかし、その間も、鬼たちは村を襲った。桃太郎は、必死で鬼を追い払うが、同時多発的に村を襲う鬼たちに対して、当然、村の全域を網羅することは不可能だった。
桃太郎は、戦いを避ける良い方法がないものかと知恵を絞ったが、実現可能な案は生まれなかった。
ところが、決闘を一週間後に控えた日から、鬼たちは村に来なくなった。鬼たちに不測の事態が起きたのかと考えたが、そうではなかった。鬼たちは、桃太郎を迎え撃つ準備のために、鬼ヶ島に籠り始めたのだ。
戦闘準備に一週間かかる――
桃太郎は閃いた! 決戦の当日、なんらかの理由を付けて、決戦を一週間延期するのだ。そして、また一週間後、理由を付けて延期にする。それを繰り返していけば、永遠に村が襲われることはない!
こうして、村は鬼に襲われることなく、村人たちは幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
「バカな! あり得ない!」無策にも等しい案に、僕は呆れる他なかった。
「その場しのぎの姑息な手だってことは分かってる」呆れる僕とは対照的に、桃さんは真剣だった。「でも、俺はバカだから、誰も死なねえ妙案なんて出てこねえんだよ!」桃さんは俯き、膝の上で両こぶしを強く握った。
「桃ちゃん……」梅子の目に浮かんだ涙は、ゆっくりと流れ落ちた。
襲って来る熊も、鬼も殺さない。小さな頃から強くて優しい桃さんは、年月が経っても強くて優しい桃さんのままなのだ。
だが、桃さんの策が、愚かな噴飯物であることには変わりない。
「いくら桃さんが決闘を延ばしても、島の食料が尽きたら、流石に村に奪いに行きますよ」戦闘準備を優先して、餓死することなどあり得ない。
「鬼ヶ島の周りは海じゃねえか。魚を獲り方教えてやるよ!」
「鬼が漁!?」僕は、鬼たちが船に乗って漁をするところを想像してみた。ダメだ、想像するだけで情けない。それに「米や野菜はどうするんですか。岩ばかりの島では、作物なんて育ちませんよ!」
「鬼ヶ島には財宝がたくさんあるんだろ? それを金にして、米や野菜を買ってくれ! あと、牛や山羊の乳も買えるぞ!」奇想天外な提案は更に続いた。「で、お前らが乳製品を作ったら村人が買うし、海水から塩なんか作ったら、それも買ってやるよ!」
桃さんは、僕たちが方々から奪ってきた財宝を使って、人間と交易をしろと言っている。それが人間の倫理観に反する行為だとは分かっているのか。それとも、これが誰の命も奪わずに治めるための、桃さんが考える最高の妥協案なのか。
「俺はこの案を、村のみんなに話す。だから黄鬼、お前も鬼ヶ島に戻って、赤鬼たちに提案してくれ」本当は僕みたいな下っ端に話す予定ではなかったのかもしれない。が、桃さんは切羽詰まったように続けた。「村のみんなを困らせたくない! 俺も死にたくはない! そして、お前らも殺したくはねえんだ! なあ! 俺が言ってるのは我儘か!」
僕は、鬼の中でも少し特殊だ。それは、子どもの頃に桃さんと遊んだ経験によるものなのかもしれない。普通の鬼なら、人間が怯え苦しむ姿を見て悦に入る。でも、僕には葛藤や罪悪感が生まれることが多々ある。大人になれば、その感覚もなくなるものだと思っていたが、そうはならなかった。
桃さんが言うように、鬼も人間も楽しく暮らせる。そんな楽園のような世界ができるのであれば、僕も協力したい。
でも、鬼たちがそんな提案を受け入れるわけがない。人間を苦しめてこその鬼なのだ。
「申し訳ありません。桃さんの提案は受け入れられません」僕は土間に跪き、土下座をして言った。
「なんでだよ! 赤鬼に伝えるくらいいいだろ!」
桃さんは安易に考えているが、僕が赤鬼さんに意見することですら、重大な背任行為となるのだ。「申し訳ありません」僕は頭を床につけたまま言った。
「……だったら」桃さんの声は、低く冷たいものに変わった。「俺と、一対一の勝負をしろ!」
僕は、背筋が冷たくなるのを感じた。――殺される。
条件が飲めないのなら、死ね。そして、これ以上、死人を出したくないなら言うことを聞け。鬼が使う常套手段を桃さんが使うとは……僕が恐怖に震えながら頭を上げると、桃さんは僕の顔の前に、掌を上に向けて出していた。
桃さんの掌にあるのは……貨幣だ。
「裏表勝負だっ! 俺が勝ったら、俺の提案を赤鬼に伝えろ!」
桃さんの勢いに一瞬怯んだが、すぐに我を取り戻した。「桃ちゃん!」梅子の声が聞こえた。
「ちょ、ちょっと待ってください! その勝負は桃さん、今まで」一度も勝ったことがないはずだ。
「受けるのか、受けねえのか!!」僕が言い終えるのも待たずに、桃さんは大声で迫った。
本当に忘れてしまっているのか、それとも、そこまで追い詰められているという意思表示なのか。
「……受けて立ちます」これを受けないほど、僕は腐ってはいない。
「よっしゃっ! 梅子、頼む!」桃さんが貨幣を手渡すと、梅子は静かに首肯した。
梅子は僕と桃さんの間に立ち、「では!」と、貨幣を握った手を前に出した。
「表だっ!!」桃さんは、間髪を入れず宣言した。
「……裏でお願いします」
「表、裏、揃いました……では、参ります」梅子はそう言って、握った手の親指に載せた貨幣を弾いた。貨幣は回転しながら、ゆっくりと天井近くまで上がった。
「表、出ろ! 表だ!」桃さんは拳を堅く握って叫んだ。「表、表!」梅子は両手を胸の前で組み、祈った。
貨幣は、ほとんど角度のない放物線の頂点に達し、ゆっくりと回転しながら下降する。そして、鋭い金属音をたて、床の上で回転を続けた。
「表、出ろ!」桃さんは叫び、梅子は祈り続けた。
梅子の統計によれば、裏が出ることは明らかだ。それに、もし、万が一、表が出たところで、僕が桃さんの提案を伝えるだけだ。赤鬼さんが受け入れることなんてあり得ないのだ。
それでも、奇跡を信じるかのように、二人は叫び続けた。
貨幣はだんだんと回転を静めた。間もなく、審判は下る――
僕も、心の中で思い切り叫んだ。
――表、出ろ!