18 犯人は
何故、昨日教授室に案内してくれた彼が、部屋の前で聞き耳を立てているのだろう。
そんな僕の疑問が透けて見えていたのか、青年は慌てて曽根崎さんに弁解した。
「すいません! たまたま部屋を通りかかったら知らない話し声が聞こえたので、誰かなと思いまして……!」
「ああ、どうも。私共は警察です」
「け、警察!? だって貴方、昨日は記者だって……!」
「刑事ですから。刑事は事件の真相を解明する為に嘘をつくのが仕事ですから」
嘘を重ねるな、嘘を!
口から出まかせばかり言うオッサンを後で阿蘇さんに突き出さなければと心に決めながら、僕も椅子から立ち上がった。
「実は昨日、和井教授の遺体が発見されたんです。こうして改めてお邪魔しているのも、事件に犯罪性が認められ、捜査の必要ありと判断されたからでして」
「えええ!? は、犯罪性、ですか……!」
「ええ。もしよろしければ、教授の研究室に所属されていたあなたにもお話を聞きたいのですが、構いませんか」
「で、でも……」
「あまり時間はいただきませんので」
「な、なら、はい……」
よし、了承を得たぞ。
僕は青年を部屋に迎え入れ、和井夫人の隣のパイプ椅子に腰かけるよう促した。
「……俺は、深馬仁といいます」
居心地悪そうに肩を狭めた彼は、自らをそう名乗った。
「確かに、俺の所属は和井教授の研究室でした。でも教授のことはあんまり知らないし、役に立てるかどうか……」
「些細なことでも構いません。例えば、和井教授周りで恨みを持っている人などはいませんでしたか」
「さぁ……ですがワガママな人だったので、敵は多かったと思います。六屋准教授ともトラブルがあったと聞いたことがありますし」
「その件ついては先ほどご夫人からも伺いました。准教授はどちらに?」
「あ、すいません、奥さんの前で……。それが准教授、今日は出勤していないっぽいんですよ」
「何故?」
「理由は知りません」
意外な情報だ。曽根崎さんの顔を盗み見ると、彼は穴が開くほど深馬さんを凝視していた。
何か思う所でもあったのだろうか。
深く椅子に腰かけ頬に指をあてる曽根崎さんは、僕に代わり尊大な態度で彼に尋ねる。
「……深馬さんは最近、海外旅行をされたのですか?」
「え? なんでです?」
「鞄からパスポートが見えていますよ」
その言葉に驚いた深馬さんは、自分のショルダーバッグに手をかける。少しだけ開いていた鞄から紺色の手帳を取り出した彼は、困ったような顔で曽根崎さんに笑いかけた。
「これ、ただのスケジュール帳ですよ。パスポートじゃありません」
「それは失礼しました。よく似ていたもので」
「いえいえ」
だが、曽根崎さんの目は笑っていない。相手を射抜くような鋭い目を向けたまま、彼は口を開いた。
「実を言うと、犯人は海外渡航歴のある人物という所まで分かっているのです。刑事とは人を疑う仕事、ついなんでもない手帳までパスポートに見えてしまいました。すいません」
「大丈夫ですよ、気にしていません」
「六屋准教授……それこそ彼は、ほんの数日前までアメリカにいたのです。ここだけの話ですが、我々は彼を犯人と見て捜査を進めています」
え、そうなの?
ご夫人と共に思わず目を見開いたが、曽根崎さんは知らんぷりである。胸ポケットから手帳を取り、開いて深馬さんに差し出した。
「もう少しお話を聞きたいのですが、あいにく時間がありません。明日改めて貴方の証言を聞きたいのですが……いや何、そう身構えるようなものではありませんよ。准教授が不在の今、和井教授が殺された日の足取りを辿るのは至難の技。そこで、彼の周りにいる学生や先生方より情報を集め、当日の足取りを追いたいのです」
「は、はぁ……」
「貴方には、そのパイプ役を担ってもらいたい」
この人は何を言い出すのだろう。
曽根崎さんの意図が全く読めず困惑する僕だったが、何か考えがあるのだと信じ黙っていることにした。
対する曽根崎さんはいよいよ深馬さんに詰め寄り、プレッシャーをかけて切願する。
「私共警察は、なんとしてでも当日の六屋准教授のアリバイを崩したいのです。ご無理は重々承知ですが、どうかご協力くださいませんか」
「……はい、分かりました。こんな俺で良ければ」
圧に耐え兼ねたのか、警察という威光に屈せざるをえなかったのか。深馬さんは頷き、曽根崎さんに渡されたペンで手帳に連絡先を書き込んだ。
それを見届けた不気味な男は低い声で礼を言い、椅子を後ろに引く。
「助かります。これでまた一歩、事件解決に向けて動くことができました」
その一言がお開きの合図となった。僕らは深馬さんと別れ、大学前まで和井夫人を送り届ける。
彼女の為のタクシーを待つ間、僕は感謝の意を込めて深く頭を下げた。
「本日はご協力ありがとうございました」
「いいえ、何もお力になれず申し訳ありません。……あの、主人の遺体は……」
「捜査が終わるまでは、こちらで預からせてください。無事に解決しましたらすぐに連絡致します」
「わかりました」
タクシーが到着する。それに乗り込む寸前、彼女は一度こちらを振り返った。
「……一つ、昨日のことで思い出したことがありますの」
「なんですか?」
「どうも昨晩、私がいない間に家に無断で侵入した者がいたようなのです」
「え、泥棒ですか?」
「ええ……」
なんだかはっきりしない態度である。興味を引かれたのか、曽根崎さんが僕の前に出て質問をした。
「どうして警察に届けないんです?」
「それが特に盗られたものも無かったんです。私達、金目のものは全て別所に預けておりましたから。……だからあの家に誰かが盗みに入ったところで、捜査してもらおうとも思わなくて」
それに……と彼女は言いにくそうに付け加える。
「私、あの人と離婚するつもりでした。荷物も少しずつ運び出して、今はもう殆どあの家に帰ってなかった。なので侵入に気づいたのも、今日の昼頃だったんです」
「……それでは、空き巣は監視カメラなどから判明したのですか?」
「いえ、昨日の夕方に施錠したはずの南側の窓が、一ヶ所壊れていたんですの」
話はそこまでだった。余計な詮索を恐れたのか、夫人はサッとタクシーに乗ると、あっという間に見えなくなってしまう。
……何も盗らない泥棒、ねぇ。
それの意図する所を考えながらタクシーを止めようとしたが、曽根崎さんに肩を叩かれた。
「少し歩かないか」
その言葉に頷き、大通りまで歩いていくことになった。
やっと緩めることができたネクタイを指にかけ、僕は深呼吸をする。やたらと疲れが溜まっていたが、まだこの人と話したいことは山ほどあった。
とりあえず、一つ目は苦言である。
「……曽根崎さん、どうして事前に言ってくれなかったんですか」
「何をだ?」
「犯人ですよ。分かってたなら早く言ってくれれば良かったのに。驚いてるのがバレないよう顔に出さないのも大変なんですから」
「……え、アレで出してないつもりだったのか? 私は君の百面相に皆の目が行かないよう苦心していたのに。……え、マジで?」
うるさいオッサンである。足を蹴り、僕というお手伝いさんに犯人を教えてくれなかった言い訳を待った。
対する曽根崎さんは腕を組んで、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「事前になんて言えるわけないだろ。犯人と気づいたのはあの時なんだから」
「でも、海外渡航してたからこそ曽根崎さんは六屋准教授が犯人だと分かったんですよね? それだったら調べてた時に教えてくれたって……」
「おや、君は何か勘違いをしているな」
「勘違い?」
「ああ。犯人は深馬氏の方じゃないか」
え、そっち!?
声にこそ出さなかったが、驚愕が丸々面に出ていたのだろう。曽根崎さんは僕の顔を見て吹き出した。
「君、ほんと嘘がつけないんだな」
「いやいや、だってアンタ准教授が犯人って……!」
「あの場で彼を犯人と糾弾すれば、彼は逃げて行方をくらましていただろう。君や夫人に危害が加えられる危険性もあったし」
「だ、だからって野放しにしていいんですか!?」
「次に狙われるとしたら藤田君だ。だがその藤田君は弟に任せている。手は打った」
曽根崎さんは淡々と事情を語る。納得はしきれなかったものの、次々に浮かぶ聞きたいことに押され、ひとまず首を縦に振った。
「……それで、どうして深馬さんが犯人だと?」
「ふふ、初歩的なことだよ、ワトソン君」
「そういうのいいんで」
「はい。……まず違和感を抱いたのは、最初に会った時だった」
曽根崎さんは無精髭の残る顎に手をやり、謎解きを始める。
「深馬氏に和井教授の無断欠勤について尋ねると、『自分はあまり“その辺り”のことを知らない』と言った。つまり、元々知ってたんだよ。普通、所属する研究室の教授が無断欠勤していると聞けば、まず驚いた反応をするもんだ」
「そんな早い段階で疑ってたんですか?」
「あくまでも違和感さ。だが、そんなものでも積み重なればどんどん怪しくなる。和井教授の遺体が発見されたと君が彼に言った時もそうだ。深馬氏は教授の死についてよりも、浮かび上がった犯罪性について聞きたがっていた」
「あ、そういえばそうですね」
「あと、六屋准教授の出勤についての返答も変だったな。事務の掲示板で確認したが、そもそも准教授は今日出張で大学にはいないはずなんだ。深馬氏がそれを知っていれば出張と言ったろうし、知らなければそもそも普段関わらない人間が大学内にいるかどうかなんて、ハッキリ答えられるとは思わない」
「友人に聞いたとかじゃないんですか?」
「勿論その可能性はある。しかし、もう一つそう断言できるケースがあるだろ?」
彼は、冷えた眼差しを僕に向けた。
「――准教授が、既に死んでいると確信していた場合だ」
「え?」
その一言に僕は凍りつく。
……六屋准教授が、既に死んでいる?
僕の脳内に、三つ並んだ死体袋の浮かんだ。その一番右端にあった遺体に、イメージの中の僕は近づいていく。
全身を滅多刺しにされた男の死体。その顔が、昨日会ったばかりの准教授とぼんやり重なった。
「……まさか、あの身元不明死体の?」
「あたってみる価値はあると思うよ。そうだとしても、何故彼が殺されたかまでは分からんがな」
「いや、でも……なんで」
「分かったかって? 彼の靴には多量の泥が付着していた。准教授の死体が見つかったのは都内の山中だ。そこに踏み込んでいけば、あれぐらいは汚れるかなと推測した」
曽根崎さんは、ビニールの小袋をポケットから出して見せてくれた。
「彼の靴から落ちた泥だ。鑑識の人が調べたら、何か手がかりを見つけてくれるかもしれない」
……身元不明死体が見つかった山中の土と成分が同じであれば、そこに行った証拠になったりもするのだろうか。だけど、そんな刑事ドラマみたいにうまくいくなんて……。
僕の不安を掬い取った曽根崎さんは、ニヤリと口元だけで笑う。
「ま、以上の理由で深馬氏の怪しさは十二分なんだ。その上、適当にカマをかけた時の反応を見るに、ヤツは海外渡航もしている。しかも後ろ暗い理由でな」
「そんなことまで分かるんですか」
「海外に行かない人間がパスポートを持ってるかどうか確認する為に鞄を漁るかよ。そして結局、海外渡航したかどうかは答えないままだ。できるなら、答えたくなかったんだろうな」
……なんでこの人、ただ話してるだけでここまでアレコレと推測が立てられるんだろう。推理ドラマならフンフンと見ていられるが、実際目の前でやられると少し怖い。
「というわけで、裏付けを取らにゃならん事はたくさんある」
片手を挙げる。なんだろうと見ている間に、タクシーが僕らの前で止まり、そのドアを開けた。
話に夢中で気づかなかったが、もう大通りに出ていたのだ。
片足をかけて、曽根崎さんはその身を車内に押し込む。その際、何の感情も読み取れない声で彼は呟いた。
「――あと二日か」
それは、彼の命の残り時間であった。
その言葉に、また僕の心臓はギリリと痛んでいたのである。





