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続・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第3章 彼女を覗く窓
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19 悪い人間

 気絶するのは、僕にとっての防衛本能なのだろうと思う。


 まともに受ければ頭が変になる量の情報を、一旦遮断させ、整理する。

 だから目が覚めた時には多少落ち着き、事態を説明できる状態になっていると――。


「……そういう次第で」

「へぇ、なるほど」


 曽根崎さんの真っ黒な瞳は、事務所のソファーの上で縮こまる僕を見下ろしていた。


「……で? 脳に備わった素晴らしい機能を説明してくれた所で、君が取った勝手な行動の言い訳はまだしてくれないのかな?」


 おおおお怒っておられる。

 あまりの居心地の悪さに、僕はできるだけソファーの端に寄った。


 時計を見ると、タクシーを降りた時から五時間ほどが経過していた。窓の外はまだ暗いが、いずれ朝日が昇るだろう。


 いや、今は呑気に時間を気にしている場合じゃない。

 僕はべたりとソファーに這いつくばった。


「怖すぎて早く帰りたくてつい状況を確認してしまい自らの身だけではなく曽根崎さんまで危険に晒してしまい本当にすいませんでした!」

「……なんか最近よく謝られるなぁ。まぁ、ビビり過ぎて動けず、君を止められなかった私にも非はあるよ」

「あ、あれビビってただけだったんですか」


 別の理由があったかと思えば、そんな情けない理由かよ。

 それこそ、こっそり奈谷に呪文を使い、その反動で動けなくなっていたのかと思っていた。


 ――そこまで残酷な人ではないか。僕は首を横に振り、憮然とした顔の曽根崎さんに尋ねた。


「僕が気絶してからどうなったか、聞いても構いませんか?」

「ああ、いいよ」


 曽根崎さんは僕の向かいに腰を下ろした。

 月明かりが、不審者面をおぼろげに浮かび上がらせる。


「君が私に倒れてきて、とりあえずヤバイ展開になっているらしいと分かったからな。そこからしばらく大人しく隠れ続け、結局状況を見ることができたのは忠助が到着した後だった」

「……車の中は」

「忠助と改めたけど、一つの水晶が運転席に転がってた以外は何も無かったよ」


 何も?

 意外な答えに首を傾げる僕に、曽根崎さんは頷いた。


「そう、何も。奈谷氏の死体はおろか、毎回現場に残っていた青い膿すら無かった」

「そんな、嘘でしょう。だって僕は、膿だけじゃなく赤い血肉も見て……」

「私もそう推測していたんだが、実際は消えていた。君の言葉通りとするなら、その血肉は例の黒い男か奈谷氏を殺したヤツが片付けていったのかもな」

「どうしてです?」

「知らん。何かイレギュラーでも発生したんじゃないか」


 なんでもない曽根崎さんの一言に、突如、あの時運転席に見た赤黒い肉の塊が脳内に再生された。

 ぐっとこみ上げてきた吐き気を堪え、僕は曽根崎さんに言う。


「……奈谷さんの死体が無かった理由なら、答えられますよ」

「なんだと?」

「覗いた時に、気がついたんです。あの場で、あの怪物が何をしていたのかを」

「話してくれるのはいいが……君すごい顔色だぞ。大丈夫か」

「正直ギリです」

「ギリかよ」

「でも、話せばちょっとは楽になるんじゃないかなと期待しています」

「それ、聞く側の私もダメージを受ける話だな?」


 しかし曽根崎さんは了承してくれたので、僕は話を続けることにした。深呼吸をし、口を開く。


「……僕が車を覗いた時、奈谷さんは生きたまま全身の皮を剥がされ、運転席に横たわっていました。彼女の皮を剥いだヤツは、とても臭くてドロドロとしていて、この世の汚れを全てを集めたような姿で……。その怪物は奈谷さんに跨り、体から出した細長い針みたいなものを彼女に突き刺していました」

「細長いもの、ねぇ……。どうやらそれが、一連の事件の凶器なんだろうな。それじゃ、奈谷氏はその怪物に血を吸われて死んだのか」

「いえ」


 否定する僕に、曽根崎さんは驚いたようだった。


 のたうつ肉塊の映像が、また脳に蘇る。

 そう、違うのだ。僕の目が見たものは――。


「――彼女は、その体に注入されていたんです。恐らくは、怪物の体液を」

「体液を?」

「はい」


 訝しげに目を細める曽根崎さんだったが、すぐにそのおぞましい行為の意味に理解が至ったのだろう。

 壊れた感情が、彼をニヤリと笑わせた。


「……そうか。まったく、とんだイレギュラーがあったものだな」

「……」

「ああ、だからアイツは現場を片付けたんだ。 “ こちらが全て解決させたら預かりものは返す ” 。 彼女が怪物と共に去り、その制約を果たすことができないなら、無かったことにするしかない」


 曽根崎さんは推理を呟くと、僕に向き直った。


「言いたいことは分かったよ、景清君。――君は、奈谷氏が怪物の “ 同族 ” になった瞬間を見てしまったんだな」


「……はい」


 青い体液が注がれ、奈谷の肉塊はみるみるうちに腐食していく。やがて、腐った肉は赤から青みがかった色に変わり、一度大きくぶるりと身震いした。


 ――そこまでだった。脳内にこびりついたイメージに、僕はまたせり上がってきた吐き気を飲み込む。


 一方で、伝えたい内容を掬い上げてくれた曽根崎さんに、僕は不思議な安堵を覚えていた。


「一つ、君を褒めてやらなきゃいけないな」


 曽根崎さんは、右手で何かを優しく撫でるような手つきをする。


「精神を犯されるような光景を見たにも関わらず、君は叫ばずに耐えてくれた。万が一悲鳴を上げていたら、きっと君と私はここにいられなかっただろう」

「……僕の勝手な行動で、曽根崎さんまで巻き込むわけにいきません」

「それでもだ。君はよく頑張ったよ」


 ……なんとなく、少し無理して慰めてくれているように感じた。

 不甲斐ないお手伝いさんで申し訳ない。僕はため息をつき、うなだれた。


 ――しかし、それにしても分からない。

 何故、多くの犠牲者が出た中で、奈谷だけがあちらに連れて行かれたのだろう。

 それこそ、あの怪物に “ 同族 ” として見なされる何かが彼女にはあったのか。


 あるとしたら、やはりそれは――。


「……曽根崎さん」

「ん?」

「奈谷さんは、本当に光坂さんに恋をしていたんですかね?」

「うーん……あのなぁ、転移性恋愛の話は真に受けるなと言っただろ。あれは彼女を追い詰めるために、それっぽく適当に言っただけの話だ。本当に恋してたかどうかは知らん」

「ひでぇ」

「ひでぇものか。実際彼女は焦ってボロを出しただろ」


 それはその通りだ。

 だが、ボロを出したということは、やはり奈谷にとってあながち的外れな指摘ではなかったのかもしれない。

 そんなことを思ったが、僕はあえて黙っていた。


 ――満たされなかった愛情を、別の人に移し、また底無しに求めてしまう。


 そんなものでも凝り固まれば、あちら側に連れて行かれるほどの不浄となり得るのか。


「……景清君」


 ぼんやりと考えていたが、曽根崎さんの声に思考を止められた。前を見ると、彼は既に真顔に戻っている。


「なんですか」

「あんまり考え過ぎるなよ」

「大丈夫ですよ」

「そうか? それならいいんだが……もし君が落ち着いたというのなら、ちょっと話しておきたいことがある」

「まだ何かあるんですか?」

「うん」


 一体なんだろう。


 曽根崎さんはソファーに座り直し、ネクタイの緩みを正した。


「……さっき私は、忠助が来てから君を連れて動いたと言ったな」

「ええ」

「実はその少し前に、近隣住民が奈谷氏の悲鳴を聞きつけ通報をしていたらしくてね。あの時、忠助以外の警察もぞくぞくとやってきていたんだ」

「……ほう」


 なるほど。ぞくぞくと警察が来ていたのか。


 女装のまま気絶した僕と、忽然と事件の痕跡が消えた後の空き地に。


 なるほど。


 なるほど……。


 ――それは、僕にとってとても悪い話である気がする。


 僕の引きつった顔を無視し、曽根崎さんはビシリと片手を立てた。


「ほら、あの時間に女性がいるのも珍しいだろ? 君の姿は大層目立ち、忠助のパトカーに放り込むまで警察野次馬諸々の人目に晒された。すまん」

「ああああああアンタなんてことを!」


 予想が的中し平静さを失う僕に、しかし曽根崎さんは平然として言った。


「いや、私も早く隠してやれば良かったなーとは思うよ? だが、そもそも女装でのこのこと外に出てきて気絶するヤツが悪いよな」

「おっしゃる通りです! 今すぐ僕の息の根を止めてください!」

「そう早まるな。大丈夫だよ、誰一人君が女性と疑う者はいなかった。何なら連絡先を聞いてくるヤツもいてだな」

「事件現場でナンパを許すな警察!」

「彼女は誰かと聞かれたから、とっさに『助手候補です』と答えたよ。人間嘘はつけない」

「アンタ普段から嘘ばっかついてるじゃねぇか! 誰が助手候補だよ誰が!」

「おや、一度考えてみないか? うちの助手は正社員扱いになるから、時給も上げてやれるが」

「え? 嘘、マジで?」


 今でさえ相当高給なのに、これ以上上がるってどうなるんだよ。すごいことになるんじゃないか?

 ……いやいやいや、僕は学生だから。学生だから曽根崎さんとこに就職はできないから。……できないよな? しちゃダメだよな?


 誘惑に揺らいで口をつぐむ僕に、曽根崎さんは憐れみを浮かべた目をして言った。


「……景清君は結構なんでも本気にするから、私は心配だよ」

「ちょっと待ってください、さっきの嘘だったんですか?」

「嘘とは言わんが、即座に断られると思ってた。なぁ君、世の中には案外悪い人間も多いんだぞ?」

「そ、それぐらい僕にも分かってますよ」

「いいや、分かってない。そういう人間ってのは意外と身近にいるもんだ」

「そうでしょうか……」

「そうだとも」


 不安になる僕に、曽根崎さんの骨張った指が向けられる。


「例えばほら、君の知らない間にワンピースのファスナーを壊すヤツとか」

「オイあれアンタの仕業だったのかよ!」

「女装を恥ずかしがってた君なら、服を脱げなくすれば事務所に閉じ込めておけると思ったからな。まぁ結果は残念なものだったが」

「お前ええええ! そこに直れ! 叩っ斬ってくれるわ!!」

「何故武士」


 半日女装を晒す羽目になった原因の男を、当然僕が許すはずはない。怒りに任せて立ち上がり、その辺の箒を手に取り振り下ろした。が、難無くかわされ、挙句片腕で抱きとめられる。


 負けじと第二の攻撃に移ろうとするも、がっつりと押さえこまれて動けない。往生際悪く暴れる僕の耳元で、涼しい顔の曽根崎さんは低く囁いた。


「……景清君、私は悪い人間だよ」


 背中のファスナーに手をかけられる。首筋に触れた彼の手の冷たさにゾクリとし、僕は動くのをやめた。


 ――雰囲気が、変わっている。

 彼のあまりの温度差に戸惑い、僕はどうしていいか分からなくなった。


 心臓を揺さぶる曽根崎さんの声が、耳に届く。


「……深淵に向かわせると知りながら、なおも解放を良しとしない。その先に訪れるのは、逃れ得ない破綻と分かっているにも関わらず」

「……」

「それは一人の人間として、軽蔑せざるを得ない行為だと私は思う」


 ――彼は、一体何の事を言っているのだ。


 淡々といつもの調子で言葉を落としていく曽根崎さんに、僕は少しでも内容を理解しようと彼の言葉を脳で反芻していた。


 ほんの僅かな時間、事務所に沈黙が落ちる。

 が、やがて気を取り直すように、曽根崎さんは言った。


「……ま、難しい話はいいんだ。ただ、そうだな」


 少しファスナーが下ろされ、また戻される。どうやら直してくれたらしい。

 ようやく離してくれるかと思ったが、まだ彼の腕は僕に回されたままだった。


 顔の見えない曽根崎さんの声が、真上から降ってくる。


「――君だけは、私が悪い人間であることを知っておいてくれ」


 そして、僕の記憶をぼやけていく不気味な呪文を、言葉の後に続けたのであった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
小説家になろう 勝手にランキング script?guid=on
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