10 車中
「お前アホか」
失踪事件の現場に行く車中、曽根崎は弟からの容赦無い一言にグッサリ胸を貫かれていた。
「ンな危ねぇ女の所に、景清君を連れて行こうとすんなや。しかも女装させて? 手数が欲しいか知らんが、お前の趣味と思われても何も言い返せねぇぞ」
「女装するのは誰でも良かったよ。忠助以外なら」
「するつもりは無かったけど、一応ワケ聞いてもいいか」
「元の顔がキツイからな。流石の私も、隈取りレベルの化粧が施された君を隣にして『こちら運命の彼女です』とは言えない」
「殺すぞ」
「すまん。……で、柊ちゃんはあんな感じだし、藤田君は多忙だしで、信用できて場慣れしてて金で釣れる人間といったらもう景清君しか思い浮かばなかったんだ」
「人間関係狭すぎんだろ。そして今しれっと酷いことを言ったな。景清君にチクッてやる」
「やめてくれ」
運転席の阿蘇は、イライラと頭の後ろをかいた。対する曽根崎は既に平然としており、弟の苛立ちなどどこ吹く風で窓に頬杖をついている。
見慣れた街並みに落ちていく陽を眺める兄に、阿蘇は少し躊躇った後、また話しかけた。
「……本当の所はどうなんだよ」
「何が」
「兄さんが景清君を連れ回す理由」
「あ?」
鬱陶しそうな曽根崎の返事に、また阿蘇はイラッとする。だがよく考えれば、彼にしては珍しい反応ではあった。
「……あれもどうしたもんかね」
彼も反省したのか、ちゃんとした回答を返す。
「巻き込めば危険と分かっちゃいるんだが、さりとて何も知らせずに放置することもできない。彼は決して馬鹿ではないが、感情的な一面がある。ましてや肉親との縁を切ったばかりの不安定なこの時期だ。下手に情報を隠すと、逆に彼の正義感を暴走させてしまうかもしれん」
「そんじゃ、そうならないよう見張りの意味も含めて、できるだけ近くに置いてるってことか」
「まぁそういう解釈でいい」
「どうして偉そうなんだよ。腹立つな。……でも、そんならなんで今日は事務所に残してきたんだ? 兄さんの論で言えば、景清君が追っかけてくる可能性もあるだろ」
「今の彼は女装をしている。彼の性格を考えると絶対外に出てこようとしないから、事務所に閉じ込めておけると判断した」
「服着替えりゃ普通に出れると思うけど」
「だから背中のファスナーを壊してきたんじゃないか」
「最低だ……」
曽根崎の横暴に唖然とする阿蘇である。……こいつ、ここまで考えて彼に女装させてたのか? いや、俺の登場に事態を察して、臨機応変に利用しただけだろう。
なお悪いわボケ。
車が信号で止まる。阿蘇の胸中の悪態など知らず、曽根崎は窓の外から目を離さないまま、ぽつりと呟いた。
「……だが、そうだな」
無意識ではあるのだろう。しかし、微かに曽根崎の声のトーンは暗く落ちていた。
「……私という人間は、彼をここまで引き込んでおいてなお、ただ事務所で雑用だけしてくれていればいいと思うことがある」
その一言に、阿蘇は「へぇ」と曽根崎を見た。
合理的で、かつある種の倫理観が抜け落ちている兄である。口ではあれこれ言いつつも、結局はどこかで割り切り、便利な人間として景清を使っている節があると阿蘇は思っていたのだ。
それが、こうも人間らしい矛盾した感情の狭間で揺れているとは。
そんな兄の姿を初めて見た弟は、半ば感心したように言った。
「兄さん……人間らしくなったな」
「失礼だな。私は生まれてこのかた人間以外になったことはないよ」
「嘘つけ。着実に人間やめていってるくせに」
「実の弟から酷い言われようだ」
普通の人間は不気味な呪文など使えないのである。それを言ってしまうと、自分も該当するのだが。
「……なんにせよ、多少は景清君のことを考えてるようで安心したわ」
「私は彼の雇用主だからな」
「自覚あんならいいけど、相応の責任はしっかり取れよ」
「責任? 何すりゃいいんだ。嫁に迎えろってか」
「誠実でいろってことだよ。どうせまだ景清君に “ 更新 ” の話は言ってないんだろ」
阿蘇の発言に、曽根崎はギクッとした。
「……言ってない」
「ほらもうその時点でクソなんだよ。……早く言っとけ、多分景清君も巻き込まれるんだから」
「んー……」
「……」
「……」
「……あ、まさかテメェ」
阿蘇が何かを察知したが、それを口にする前に飛び出してきた猫に気を取られた。急ブレーキをかけ事無きを得るも、反動で体が前につんのめる間に会話の先手を奪われてしまう。
「忠助、その話はまた後でしよう。今大事なのは事件現場に行くことだ」
「……」
「……君が睨むと本当怖いな。でも兄さん譲らないから」
「……」
返事の代わりに、阿蘇は車を発進させた。緩やかに加速していく優良な運転の中、彼は兄に一つだけ忠告する。
「兄さん」
「ん」
「俺と藤田のようにはなるなよ」
「ああ、君らも大概特殊な関係だったな」
分かっているのか分かってないのか、曽根崎はうんうんと首を振った。分かってない気がする。ウゼェ。
――まあ、俺の直感が正しければ、そういった関係に至る以前の問題になってしまうのだが。
自分でもよく分からない憂慮に頭を痛めながら、阿蘇はアクセルを踏み込んだのであった。





