14 もう一人の仲間
時間を遡ること半日前、曽根崎は阿蘇の指示により旅館へと連れ戻されていた。
「大人しくしててくれよ。お前すぐ余計な事すんだから」
「弟に迷惑をかけるつもりは無いよ」
「ということは、いつものアレコレは無自覚でやってたんだな? 初情報だわ、一生軟禁されてくれ」
恐ろしいことを言う弟である。もしかすると、これもオカエリ様の影響かもしれない。
曽根崎は窓側の椅子に腰掛け、手入れされた庭を眺めた。
「……で、忠助はいつまでこの部屋にいるんだ」
「もう出て行くよ。部屋の外には見張りがいるから、逃げようなんて思うんじゃねぇぞ?」
「窓も嵌め込み式だし、そんな問題行動を起こす気はさらさら無いね」
「そこをしっかり見てる時点で怪しいんだよ」
睨みつける阿蘇に曽根崎は聞こえないふりを貫きつつ、代わりに部屋を出て行こうとする彼を呼び止めて尋ねた。
「ところで、私は儀式に参加できるのか?」
「不穏分子が参加できるわけねぇだろ」
「せっかく景清君の晴れ舞台なのになぁ」
「残念だろうが諦めてくれ。少なくとも今日一日はここで軟禁状態だ」
「やれやれ、とんだ慰安旅行になったもんだよ」
大袈裟にため息をついてみたものの、阿蘇は一顧だにせず襖を開けた。その身を向こうにやりながら、隙間から一言だけ投げつける。
「……数分前に兄さんのスマホを見たが、何の返信も来てなかったよ」
「手元に無いとは思っていたが、忠助が持っていたのか。友人が少ないっていうのも寂しいものだな」
「気にしたことねぇくせによく言うよ。じゃあな」
軽い音を立てて、完全に襖は閉められた。曽根崎はしばらくそのままじっとしていたが、やがてむくりと身を起こす。時計を見上げると、ちょうど12時を指していた。
……返信が無かった、ということは、無事に計画が進行している証拠だ。ならば、急がなければならない。
曽根崎は真っ先に、部屋にかけられている小さな絵の元に足を運んだ。初めてこの部屋に案内された時に気づいたのだが、額縁を取り外しひっくり返すと、四ヶ所で留められている金具の内一つが不自然に取れてしまっていることがわかる。
頻繁に中の絵を取り替えているならこのような事もあるだろうが、絵は日に焼け随分長く放置されているようだった。となると、旅館の関係者でない者が、この部分を外した際に壊してしまった可能性がある。曽根崎は手早く他の金具を外し、裏板を取った。
――ビンゴだ。
絵の裏に隠された皺くちゃの紙切れを、彼は慎重につまみ上げた。
震える字で書かれた内容を確認した曽根崎は、小さく舌打ちをしてポケットにねじ込む。――やはりか。想像が確信に変わっただけであるが、それでも大きな成果である。もっと早くここを調べておけばよかったと思うも、すぐに無駄な後悔と割り切った。
さて、まずは彼女と合流する所から始めよう。
曽根崎はスーツの裏ポケットに隠していた小さなドライバーを取り出すと、畳の隙間に突き刺した。
畳の下がすぐに床板になっていたのは幸いだった。もし断熱材などを敷かれていたら、別の手を考えないといけなかっただろう。
埃まみれになりながら床下を這い、曽根崎はあっさりと旅館を脱出した。
しかし問題はここからである。次に村人に見つかろうものなら、今度こそ鉄格子付きの部屋に入れられることは想像に難くない。そうなれば、いよいよ自分の命は危うくなってくる。
かといって、このまま旅館の裏でじっとしているわけにもいかない。誰かがチラとでも部屋を見ようものなら、すぐに自分の脱走がバレてしまうからだ。
曽根崎が次の一手を考えていると、突然派手にエンジンをふかすバイクの走行音が耳に飛び込んできた。静かな田舎に似つかわしくない空吹かし音が盛大に鼓膜を叩き、つい曽根崎は両手で耳を覆う。
なんだ? 暴走族か?
だが、彼はすぐにそんな自分の察しの悪さに頭を抱えることになる。
「シンジィーーーー!!!! 隠れてないで出てらっしゃーーーい!!!!」
あらん限りに張り上げられたハスキーボイスは、紛れもなく “ 彼女 ” のものだった。
……なんで、よりにもよってあんな目立つ登場をしてくるんだ。村人にバレないよう秘密裏に来いと指示したのに。
いや、無理か。無理だな。
彼女にこっそり来いなんて、無理難題を言ったこっちが悪いわ。
曽根崎はとっとと諦め、そして覚悟を決めて音のする方へ走り出した。
「柊ちゃん! ここだ!!」
「あら、そこにいたのね? もー、ホント探し回っちゃったわよ」
フルフェイスのヘルメットを着用し、緑のバイクにまたがるのは柊である。曽根崎の逃亡に気づいた村人が慌てて駆け寄ってきたが、その前に柊は曽根崎にヘルメットを投げてよこした。
「後ろに乗りなさい! そんでしっかりボクに掴まってるのよ!」
「恩に着る」
「アンタに恩を売るなんてゾッとしない話ね!」
曽根崎が柊の腰に腕を回したのと、柊がアクセルを回したのはほぼ同時だった。バイクに飛びつかん勢いの村人を置き去りにし、二人は瞬く間に走り去っていったのだった。
「……助けに来い、来られるなら返信不要、だなんて何事かと思っちゃったわ」
「急にすまなかったな」
「いいわよ。ボクだって遊びに来たかったんだし」
そう言ってケラケラと笑う柊に、曽根崎は小さく頭を下げた。
二人がいるのは、人気の一切無い山の中である。バイクは適当な場所に隠し、追ってくる村人から逃げるためにここまで歩いてきたのだ。
予定ではこのまま一旦第五地区から脱出するつもりだったのだが、予想外に手の回る村人らにより唯一の道は強固に封鎖されてしまっていた。
柊は細い指先を頬にあて、空を見上げる。
「不思議よね。僕が来た時にはせいぜい二、三人が見張ってるぐらいの手薄っぷりだったのに」
「へぇ。で、そんな彼らを君はどう説得したんだ?」
「説得なんてするわけないじゃない。面倒だからバイクで突っ切ったわよ!」
「よーし、急に厳重になった警備の原因が判明したぞ」
まあ、全てが全て上手くいくとは思っていない。むしろ、オカエリ様の影響を受けていない仲間が一人増えただけでも上出来である。
一通りじゃれて満足した柊は、スッと美麗な顔を引き締めると曽根崎に問いかけた。
「……で、ホントなの? アンタが書いてた村の全貌」
「全貌とまではいかんよ。概ね当たってると踏んでるがね」
「証拠は?」
「まずはこれだ。これは、旅館の部屋にあった絵の裏から見つかった」
曽根崎は、ポケットに突っ込んでいた皺くちゃの紙切れを柊に差し出した。それを見た柊の表情から、サッと血の気が引く。
「これ……アンタが言ってた橋野って人の?」
「そうだろうな」
書かれていた内容は、こうだ。
“ この村は異常だ。一緒に来た友人はまるで村人の一人になったかのように振る舞い始めた。自分は儀式の間の記憶がまるで無い。ただ酷く疲れている。今日は四日目だが、もう立ち上がることすら辛い。誰も信用できない。自分自身すらも。オカエリ様が愛しい。村民が愛しい。この紙に気づいてもどうか逃げないでくれ。この村を守って欲しい。ハシノ ”
「……これ、どういうこと?」
前半と後半で大きく主張が変わった奇妙な文に目を通した柊は、整った眉をひそめて言った。曽根崎は、そんな彼女に淡々と告げる。
「恐らく彼は、半分オカエリ様の洗脳にかかっていたんだ。寝ている間に巧妙に刷り込まれ、自分でも気づかないうちに操られていた」
「え……だとしたらシンジ、アンタだって……」
曽根崎から距離を取る柊に、彼はぞんざいに片手を振ってみせる。
「私は問題無く私のままさ。まさか不眠症がこんな場所で生きるとも思わなかったけどな。私の夜更かしに付き合っていた景清君も、とりあえずは無事だ」
「アンタら二人、夜中に何してたのよ」
「調査や枕投げや水鉄砲」
「ちゃっかり小旅行を満喫してんじゃないわよ。羨ましいわね」
柊になじられたが、曽根崎はそれにかぶせるよう言葉を続ける。
「……だが、弟と藤田君は刷り込まれた」
その一言に、柊の肩がピリッと震えた。風が吹き、ザワザワと頭上の枝葉が揺れる音がする。
張り詰めた声で、柊は尋ねた。
「……それ、どうすんの?」
「とりあえず放置」
「放置!? いいの!?」
「いい。それより、頼んだものは持ってきてくれたか」
戸惑いながらも柊は頷き、肩にかけていた鞄からそれを取り出して曽根崎に見せた。彼は頷き、丁重に受け取る。
「さて、これで必要なものは、あと一つだ」
曽根崎は柊を真正面から見据え、真っ黒な瞳を細めた。
「言い出しっぺは君なんだ。協力してもらうぞ」
「言われなくても。で、今回の最終目標は?」
「そんなもん決まってる。私は “ 怪異の掃除人 ” だよ?」
風が止む。一瞬何の音もしなくなった山の中で、一人の男の低い声だけが響いた。
「潰すぞ、この村」
まるで蟻を踏み潰すかの如く、事も無げに彼は言った。
 





