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続・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第6章 ミートイーター・裏
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28 アンタの目に

 双眼鏡を目に当てる。息の詰まりそうな数十秒の後、曽根崎さんの唇が動き始めた。


「――」


 変化は、すぐに訪れた。ぐらりと一度大きくよろけた弾みで、曽根崎さんが双眼鏡を取り落としそうになる。慌てて双眼鏡に手を添えた僕は、彼の腰に腕を回して体を支えた。


「曽根崎さん」

「――」


 呪文は途切れていない。目も、まだレンズの向こうを見つめている。

 まだ、まだ大丈夫だ。奥歯を噛みしめ、彼を掴む手に力を込めた。


「――。――」


 曽根崎さんの体は冷たい。なのに呼吸だけはやたら荒くて、妙な熱気をまとっている気がした。


 窓の外から見える藤田さんは、阿蘇さんに抱えられてうずくまっている。

 その目からは――。


「……!」


 見覚えのある光景だった。二度と見たくないと願った光景だった。

 涙のように血を流す二つの眼孔からは、桃色の蔓が突出していたのである。


 それを、後ろから藤田さんを抱えた阿蘇さんが、片手で掴んで引きずり出していた。藤田さんの体は時折痙攣し、開けっ放しの口からは一筋の血が伝っている。


 だが、それも長くは見ていられなかった。


「!?」


 突如隣にいる曽根崎さんの体がビクンと跳ね、崩れたのである。膝をつきながら目をやると、彼は空いた手でボサボサの髪の毛を鷲掴み、うつむいていた。

 ……様子がおかしい。


「曽根崎さん、大丈夫ですか!」

「――」


 唇は動いている。双眼鏡も藤田さんを向いている。けれど、だからといって今この人の発している言葉が呪文であるとは限らない。

 意を決して、右の耳栓を外す。


 その次の瞬間、僕は戦慄した。


「りりりりり、り、りり、り、りり、りりり、り、りり、り、りりりりりり、り、りり、り、りり、りりり、り、りり、り、り」


 ――違う。

 呪文じゃ、ない。


 全身から一気に血の気が引いた。僕は曽根崎さんの手から双眼鏡をもぎ取り、空虚な彼の目に自分の顔を近づけた。


「しっかりしてください、曽根崎さん!」

「り、り、り、り」

「曽根崎さん!」

「りりりり、りり」


 藤田さんを顧みる。――悲鳴を上げている。つまり、まだ生きている。

 確か昨晩、曽根崎さんの呪文は阿蘇さんのものと違って序盤は数秒途切れても問題無いと言っていた。

 だったら、きっとまだ間に合う。一刻も早くこの人を正気に戻さねば。

 僕は右手を振りかぶった。


「落ち着け!!」

「ぐぅっ!?」


 ベチンという小気味良い音と共に、曽根崎さんの妄言が途絶える。

 ……そりゃ骨折ったり爪剥いだりはできないと言ったさ。でも平手打ちぐらいはする。それぐらいは覚悟決めなくてもできる。


 真っ黒な瞳に僕が映る。それを確認した僕は、彼が何か言う前に双眼鏡を押しつけた。


「続けますよ! 現在、ミートイーターの摘出度は二十パーセントほどです! 恐らく、もう少し摘出が進めば阿蘇さんが片方の蔓を千切ると思われるので……!」

「か、景清君?」

「はい、なんでしょう!?」

「……どこにいる? 何故いきなり暗闇になった? 何が起こっている?」

「――え?」


 曽根崎さんを振り返る。真正面にいるはずなのに、何故か彼の視線は僕に合わなかった。

 彼の前で手を振る。しかし、やはりその目は全く僕の手を追わない。


 ――まさか。そんな。こんな時に。


「……目が、見えないんですか?」

「……」


 曽根崎さんの顔が怒ったように歪む。戸惑っているその表情が、僕の問いに対する何よりの答えだった。

 

 なんて、ことだ。


「……どうして」


 呪文の反動かもしれない。狂気に陥りかけた影響かもしれない。けれど、今曽根崎さんの言動はまるで正常だ。これ以上僕の力で視力を取り戻させる方法なんて、見当もつかない。


 ……いや、悩んでいる暇は無い。

 僕は双眼鏡を奪い取ると、代わりに曽根崎さんの手を握った。そして、彼の目が見えないと知りながらギッと睨みつける。


「事情は分かりました。だったら、今から僕がアンタの目になります」

「……景清君が?」

「描写して、解説して、お伝えします。それを聞いて、アンタは呪文を唱えてください。……アンタの事だ。どうせ藤田さんの脳のレントゲンだって記憶してるんでしょう」

「それは覚えてきたが……」

「オーケー流石。でも、そうなると僕は曽根崎さんの方を見る余裕は無くなると思います。だから正気を失いそうになったら、最後の力を振り絞って僕の手を振り払ってください」

「君の手を?」

「僕は耳栓をするし、それぐらいでしか曽根崎さんの状態を把握できませんから。いいですね? 分かりましたね? 返事はハイ以外認めません。よろしくお願いします!」


 言いたいことを言った僕は、一度手を離して耳栓をつける。再び音の無くなった視界の中、手を握った曽根崎さんの口が「分かった」と動いた。

 双眼鏡を目に当てる。鮮明で生々しい映像として飛び込んできた藤田さんの状態につい目を逸らしそうになったが、なんとか堪えた。


 ミートイーターの種子は目の奥に張り付き、そこから脳に向けて根を張っていく。そして花を咲かせる部分は、ちょうど種子から二股に分かれて両の眼球に向かって成長していくのだ。ならば、今のあの状態は……。


「――五十パーセント時点は、ミートイーターの二股になっている部分として定義します。その上で、現在の摘出度は三十パーセントです。藤田さんは痙攣しています。阿蘇さんは変わりなしです」

「……――。――」


 曽根崎さんが呪文を唱え始める。すると心無しか、藤田さんの表情が和らいだように感じた。だけど完全に彼の痛覚を遮断させることはしない。それをすれば藤田さんの状態を判断する指標が一つ減るからだ。


「――」

「摘出率は……」


 握った曽根崎さんの手が汗ばみ、震えている。この人、ここまで酷い状態だったのか。

 ……ふざけんなよ。僕を頼るんだろ。もっと任せときゃよかったんだよ。

 震えが少しでも止まるよう、僕は彼の手をギュッと握った。


「……摘出率、四十五パーセントです。阿蘇さんが今、ミートイーターの先端を潰して……」


 あ、と声が出る。初めて、阿蘇さんの拘束が緩んだのだ。その隙に藤田さんが腕の中から飛び出す。


「藤田さんが逃げました!」

「――」


 この時、曽根崎さんが何をしたかは分からない。けれどすぐに藤田さんは阿蘇さんに捕まり、また抱え直された。

 安堵する。僕はまた、描写解説に戻る。


「……左側のミートイーターの蔓が、今切断されました。今後は右の目からのみの摘出になります」

「――」

「摘出率六十パーセント」


 ――もう少しだ。

 確か、七十パーセントまで外に摘出されてしまえば、脳や神経に張り付いた根は分離した事になるはずだ。藤田さんはまだ生きている。大丈夫。大丈夫だ。


 だが、今度は藤田さんに異変が起こった。


 突然、体を折り曲げ咳き込み始める。口から夥しい量の血が飛び散り、服を汚す。

 ドキリとした。それは、阿蘇さんも同じようだった。


「……藤田さんの意識が、戻ってます」


 殆ど無意識に、僕はそう言っていた。……それほど信じられないことだったのだ。ミートイーターに脳を侵されている現状と、施術でズタズタにされた肉と神経。状態を鑑みても、彼が思考できる状態にあるとはとても思えない。


 でも、阿蘇さんの腕に乗せた手も、言葉を紡ごうとする唇も、僕のよく知る優しい藤田さんそのままだった。


「……藤田さん……」


 僕は、なんでか無性に泣きたくなった。


「――!」

「痛っ!」


 その時、曽根崎さんの爪が僕の手に食い込んだ。痛みでようやく言葉が止まってしまっていると気づいた僕は、思わず曽根崎さんを見る。

 最初は、窘められたのかと思ったのだ。しかしすぐにそれは自分の被害妄想だと知った。


 曽根崎さんは、僕の手を振り払おうとしていたのである。


「……ダメです、曽根崎さん!! あと少しなんです!!」


 僕は、曽根崎さんの手を強く握りしめた。双眼鏡を持ち直し、阿蘇さんと藤田さんに向ける。


「すいません、耐えてください!! 阿蘇さんも今ギリギリなんです!!」


 束の間戻った藤田さんの意識に、阿蘇さんの感情は大いに掻き乱されていた。藤田さんを抱き締め、叫ぶように呪文を唱えている。

 ――あの人も大概異常だ。常人であれば、あんな極限の状態で更なる負荷を自分にかけられるはずがない。

 無事でいられるはずがないのだ。だから、今こそ曽根崎さんのサポートが必要だった。


「あと……あと少し……!」


 ……できるなら、曽根崎さんに代わって僕が呪文を唱えたかった。彼の負担を丸ごと全部背負ってしまいたかった。

 けれどそれができないから、僕は卑怯にもこんな安全な場所で声をかけ続けることしかできない。


「曽根崎さん!」


 僕の呼びかけに、曽根崎さんが強く手を握り返す。痛い。指の骨が軋む。少しでも力を抜けば大きな手に潰されてしまいそうだ。

 ……無理をさせてすいません。応えてくれてありがとうございます。大丈夫ですよ。大丈夫。本当に、あと少しなんです。


「もう……十秒だけ……!」


 雨が強くなる。藤田さんの血が洗い流されていく。誰も彼も、もう限界だった。


 阿蘇さんの手が、動いた。


「……ッ! 曽根崎さん……!」

「……」

「今、終わりました! ミートイーターが、七十パーセント摘出されました! もう終わりです!」


 絡んだ指を解き、僕は言う。

 双眼鏡の先では、阿蘇さんが深呼吸をしていた。……山場は越えた。あとは、抜かれる植物を追って彼が傷を癒していくのみである。

 曽根崎さんの役割は、ここまでだ。


「曽根崎さん」


 だが、僕が彼に向き直るのと、曽根崎さんの手がずるりと離れるのはほぼ同時だった。支えるのも間に合わず、彼の体は床に投げ出される。


「え、ちょっと!」


 耳栓を投げ捨て、上体を抱き起こす。狂気に至っているのかと勘繰ったが、どうも違うようだ。首を横に振り、彼は低い声を振り絞った。


「私……は、大丈夫だ……。だから、君は……先に……」

「で、でも、曽根崎さんが……!」

「まだ、目も見えない……。心因性の、ものだから、少し休めば、すぐ元に戻る……。後で必ず、行くから……」

「言ったな!? 言質は取ったぞ!? 来なきゃ絶対アンタの葬式出てやらねぇからな!」

「君の切り替えの早さは尊敬に値する」


 僕は曽根崎さんを床に置き、立ち上がった。


 ……烏丸先生も言っていた。一分一秒が藤田さんの命の有無を決めるのだから、悩むよりは行動すべきだと。だから僕は、いくら曽根崎さんの言葉が死亡フラグっぽくても藤田さんの元に行かねばならない。


「ほんとちゃんと来てくださいよ! 藤田さんはしっかり助けておきますんで!」


 ――阿蘇さんと曽根崎さんが繋いでくれた彼の命を、僕の数秒の迷いで無駄にしてたまるものか。


 僕は床を蹴ってカビ臭い部屋を後にした。ドアを閉める瞬間に小さく聞こえた、曽根崎さんからの労いの言葉を、胸にしまいながら。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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