20 その取引相手の名は
目隠しをつけられた阿蘇と藤田は、手を縛られぞんざいに車内に転がされていた。
時折小さな段差に跳ねる車に少し酔いながらも、藤田は小声で尋ねる。
「阿蘇、怪我の具合は?」
「平気だっつったろ。もう血も止まってる」
そうは言うものの、これもどこまで本当か分からない。藤田は、阿蘇忠助の我慢強さをよく知っていた。
「それよりお前だよ」
「オレ?」
阿蘇の言葉に、藤田は土の匂いと煙草の匂いが染み付いたマットから顔を持ち上げる。車外の音やエンジン音に紛れる彼の声を、聞き漏らすまいと思ったからだ。
「あの時フラついてたろ。どうしたんだ」
「ああ……なんだか、突然耳が聞こえなくなってさ。そんでバランス感覚もおかしくなって、目も見えなくなって」
「そうか」
「多分ミートイーターの影響だろな。限界が近いのかもしれねぇ」
「……」
「いきなり開花宣言したらごめんな」
「春の訪れみてぇに言うんじゃねぇ」
阿蘇のツッコミに、藤田はへへへと笑う。
しかし、状況は全く笑えるものではない。阿蘇の目が見えないのをいいことに、藤田は真面目な顔で考えた。
……こんな奴らを雇ってまで、オレを誘拐するぐらいだ。きっと犯人の目的は、オレの体内に巣食う寄生植物だろう。そして、もし犯人がミートイーターを回収したい理由が新たな宿主を増やすことなのだとしたら、きっと次の犠牲者に選ばれるのは共に連れてこられた阿蘇に違いない。
ならばその前に何とか抜け出さなければ。藤田は、男から奪って服に隠していたナイフの存在を指先で確かめた。
――場合によっては、最悪の事態も覚悟しておかないと――。
「まあ大丈夫だよ」
思い詰める藤田の様子に気づいたのか、阿蘇が穏やかな声で言う。
「そんなに心配しなくていい。だから間違っても車内でどうこうしようとか考えるなよ」
「なんだよ。アテでもあるのか?」
「無いといえば無いし、あるといえばある。でも、とりあえず今できることはねぇんだ。ゆっくり休んどけ」
もう少し聞きたいことはあったが、間も無く阿蘇の寝息が聞こえてきた。こうなれば邪魔できるはずもなく、藤田は口をつぐむ。
こんな状態でも寝られるなんて、コイツどんだけ疲れてんだよ。
……いや、それもオレのせいか。
頭を床に預けて体を丸め、藤田は寝息を立てる友人の隣で小さく呻いた。
「オラッ、降りろ!」
乱暴に車から降ろされて、藤田はよろめいた。
声から推し量るに、人数は五人といった所か。拘束を解かれたとしても、二人で太刀打ちするには難しい数である。
舗装されていない地面と、湿った草の匂い。加えて口を塞がれていない所から考えるに、ここは助けを呼んでも決して人には届かない場所なのだろう。こめかみに突きつけられている銃のことも含め、今は抵抗するだけ無駄だと藤田は思った。
「花尾、水中、お前らは外で見張っていろ」
指示が飛ばされた後、シャッターが開けられる重い音がする。藤田と阿蘇は、カビ臭い匂いが鼻をつく薄暗い場所へ押し込まれた。
「おーい、深馬さんよ! 約束の男を連れてきてやったぞー!」
……深馬?
藤田は、聞き覚えのある名前に首を傾げた。
深馬って、昨日阿蘇が上げていた名前の人か。
――ああ、思い出した。確か神菅大学の学生にそんな人がいた気がする。学会で名前を聞いたのだ。
……え? その人が犯人なの? 和井教授を殺して、オレにミートイーターを植え付けた?
なんで? オレ、何かしたっけ?
彼との間に起こったトラブルに心当たりは無かったが、そうでなくても人とは知らぬ内にでも恨みを買ってしまうものである。この事は後で考えようと割り切り、藤田は逃げる隙を探ろうと耳をそばだてた。
ところが、この男の呼びかけに応える者は誰もいなかった。苛々と舌打ちし、男は再度声を張る。
「おい、どうなってんだ! こっちは大金がかかってるからここまでリスク犯してやったんだぞ! お前の名前も住所も掴んでんだ。反故にするってんならコイツらを殺して、お前も……!」
その時、奥の方でガタリと音がした。即座に銃が向けられる気配と短い悲鳴が続く。声は男のものだったが、彼が深馬とやらだろうか。
藤田の頭に銃を突きつける男が、低い声でその人物に問いかけた。
「……なんだテメェは」
「じ、銃を下ろしてくれ! わ、私は深馬く……いや、深馬の使いの者だ!」
……深馬ではなく、使いの者?
この件は複数人、あるいは組織による犯行なのだろうか。
「信用ならねぇな。先に取引のブツを見せろ」
「と、取引の……?」
「金だ金! まさかここに持ってきてねぇとは言わねぇだろうな……!?」
「あ、ああ、アレのことか! すまない、決して中を見るなと言われていたものだから……! ほら、ちゃんとここに用意している!」
ドサッと何か重たい物が置かれる音と、紙が散らばる音。こちら側にいる男共の嬉しそうなざわめきに、彼らの満足いく量の金が準備されているのだと分かった。
しかし一人の男が前に進もうとした所、深馬の使者が声を荒げる。
「ま、待て! 取引をする前に、彼らがキズモノになっていないか確認させてくれ!」
「あ? 俺らは別にコイツらに手を出しちゃ……」
「目隠しを外してみろ! こ、今回の誘拐は、目に傷がついていたら全部オジャンになるんだ! 分かっているだろう!?」
「はぁ!? あのガキは生きてたらいいって……!」
「そんなことはない、確かに言ったはずだ! べ、別に手足の拘束を取れと言ってるんじゃない、目隠しだけだ! なら、そう不都合も無いだろう!」
いっそヤケクソ気味な使者の勢いに押されたのか、藤田の後頭部に手がかけられる。薄暗い場所だったので、自由になった視界に目が眩むことはなかった。
いや、それを気にする余裕すら無かったのだ。そこに見た使者の正体に藤田は驚きで息を呑んだ。
「な、なんで、六屋准教授が……!?」
「……!」
その男とは、神菅大学の六屋実成准教授だったのである。
――なんということだ。植物学界隈において実績を重ねてきた彼ですら、一大学院生である深馬側に立っているなんて。なんなんだ。一体どうなっているんだ、今回の件は。
「何故あなたが!? どうしてこんな所に……!」
「藤田君……そうか、あの脳は君の……!」
「おいオッサン、テメェこの兄ちゃんの知り合いかよ」
「あ、ああ。いや、ううん、そこまでの仲ではないな。お互いうっすら名前を聞いたことがあるぐらいの……」
「ンだよ、ハッキリしねぇな。……まぁいい、これで確認は済んだろ。早く金を寄越せ」
高圧的な態度で笑う男。だが、彼の優位はそこまでだった。
「――ふぅむ、金ねぇ」
背後にて、耳に心地よいバリトンボイスが響く。しかし振り返る前に、藤田はドンと突き飛ばされた。
「なっ……!?」
たたらを踏みつつもなんとか体勢を立て直す。押し出されたのは阿蘇も同じようで、転ばないよう踏ん張ると即座に後ろを睨みつけた。
現れたその男は、今し方藤田達を捕らえていた男らの後ろに立っていた。全員が動けないでいるのは、主犯格の男の後頭部に銃口が押しつけられているからだろう。
和装のロマンスグレーは、煙草を咥えた口の端から皮肉めいた言葉をこぼした。
「――金、金、金。大切にするのは全く結構なことだがねぇ、その為に誘拐や殺人すらも手段に入れちゃあおしまいだよ。そこまで強欲極めるというのなら、いっそかの有名なミダース王の手を切り取って君のものと交換するのはどうだろう。ああ、それができたならきっと、僕人生最高の善行になると思うんだがなぁ」
「な、なんだ、このジジイ……!?」
「おや、僕について知りたいのかい? ……君如きの耳に突っ込んでやれるような立派な名など無いが、そうさなぁ、強いて名乗るとするなら……」
銀縁眼鏡の和装の男は、涼しげな目を細めて撃鉄を起こした。
「正義」
銃声が、澱んだ空気に風穴を開けた。





