8 不法侵入
そうして、日の暮れかけた高級住宅街にて。
僕と曽根崎さんは、とある家の前で足を止めた。
「……出てきたぞ」
曽根崎さんが言う。彼の視線の先にいたのは、家の戸締りをする和井夫人であった。
「よし、そんじゃ行くとするか」
「正面玄関から入るんです?」
「まさか。この塀を登って南の窓に直接向かう」
「ザ・コソ泥って感じでワクワクしますね」
「おや、君もこの背徳の醍醐味が分かってきたか」
「いや普通に罪悪感ありますよ。嫌味に決まってんでしょ」
先に塀を乗り越えた曽根崎さんが手を伸ばしてくれる。それを掴み、僕もよいしょとよじ登った。
さぁこれで僕らは共犯だ。誰に見つかっても言い逃れはできない。
「この窓が手頃かな」
目星をつけた曽根崎さんが、どこからともなく取り出したドライバーと金槌で、手早く窓ガラスの一部を割る。手袋をつけた手を差し入れ、中から鍵を開けた。
そして僕らは和井教授宅に踏み込む。……一応、靴をビニール袋で覆って、土足にはならないよう配慮しながら。
「うーむ、どこから手をつけたもんか」
遠慮なく電気をつけた曽根崎さんは、腕を組んでぐるりと部屋を見回す。
ここはリビングであるようだ。広い部屋の中で一際存在感を放っているのは、天井まで届かんばかりの本棚である。そこにぎっしり詰められた本は、流石教授宅といった風格を漂わせていた。
「そこの本棚には何も無いよ」
早速漁ろうとしていた僕は、曽根崎さんのその一言に手を止める。
「恐らくそれは“見せる為の”本棚だ。自分がどんな分野の人間か、ということを示す為に置かれている。勿論利用することもあるだろうが、もっとディープで、かつよく使われる本は別にあるはずだ」
「そんなことが分かるんですか」
「大事な本を、料理中の油やら何やらで汚れそうなリビングに剥き出しで置くかよ。加えて、和井教授の名前が並ぶ本が読まれた形跡もあまり無いしな」
ほら、と声をかけられる。曽根崎さんはドアノブを握り、ガチャガチャと回していた。
「この部屋は厳重に鍵がかかっている。恐らく、目当てのものはここだ」
厳重にと表現した割には、あっさりとドアは開いた。何か怪しげな器具をポケットにしまった曽根崎さんは、スルリと身を滑り込ませる。
慌てて後を追った僕は、アッと声を上げた。
「な? ちゃんとこういう場所があると思ったんだ」
そこは、教授の書斎であった。
所狭しと積まれた本に、乱雑に本棚に押し込まれた本や資料。足元には、ゴミ箱から溢れた紙ゴミなどが転がっている。
……なんというか、散らかってるな。
「リビングは夫人の管轄で、この部屋こそが教授の棲家だったのかもな」
やはりここでも迷わず電気をつけた曽根崎さんは、早速机の周りを漁っている。
「ミートイーターに関する資料を探すぞ、景清君。探し物は君の方が得意だろ」
「そうですかね」
「ああ。オカエリ様の時にも、君はいい働きをしてくれたし」
おだて上手な雇用主にまんまと乗せられてやり、僕もあちこち探してみる。机は彼が探しているので、本棚に備え付けられた引き出しを見てみた。
木製の丈夫なそれは、資料の量に耐えきれず半分ほど口を開けている。だけど、どこか妙な違和感を僕は抱いた。
――あ、紙の資料の真ん中辺りに折れた跡があるのか。ちょうどまとめて上に持ち上げ、その下に何か隠したような……。
「あれ」
同じようにしてみて、僕はあるものを発見する。そんな僕の声に、曽根崎さんは耳聡く反応した。
「やったか、景清君」
「何だよその問い。いえ、やったというか、ちょっと見つけたというか……」
「見せてみろ。……おお、コイツは」
曽根崎さんが僕の近くに来て、引き出しの中を覗き込む。そして紙の資料に混ざっていた掌サイズの異物を取り出し、灯りにかざした。
「手帳じゃないか」
持ち直し、ページをめくる。すると半分ほど繰った所で、彼の目が止まった。
なんだなんだと眉をひそめる僕を見下ろし、ヤツはニヤリとする。
「……君はという奴は、実にいい仕事をするな」
「ってことは、ミートイーターに関することが書かれてたんです?」
「うむ。しかもこれは、博士から口頭で聞いた内容のようだ。つまり藤田君が盗んだ資料には記載されていない、ピッカピカの新情報」
「……何と書いてあるんですか」
「ん」
曽根崎さんは前後のページをめくりつつ、慎重に言った。
「……これによると、寄生したミートイーターは宿主と同じ遺伝子情報を持つようになるらしい」
「同じ遺伝子情報?」
「ああ」
「要するに、ミートイーターが完全にその人の肉体の一部と化してるってことですか」
「そうなるな」
「うわ、気持ち悪。でもそんなのどうやって調べて……あ、そうか。博士は腕にミートイーターを寄生させてたんでしたね。だから切片の採取も容易だったのか」
「その点についてなんだが」
難しい顔をした彼は、いつもの癖で顎に手を当てている。
「博士曰く、腕に寄生したミートイーターは、ある日を境に枯れて彼から分離したらしい」
「そうなんですか?」
「うん。しかも、何故かミートイーターの中にあった種子が無くなるというオマケ付きでな」
「え、それって」
青ざめた僕に、曽根崎さんは頷いてみせる。ということは、僕の考えは当たっているのだろう。
「……ミートイーターの種子が、博士の目に入ってしまったということですか?」
「恐らくな」
「彼が自分で入れたとか? 確かに、腕に寄生させるマッドっぷりを考えればやりかねませんけど……」
「……」
曽根崎さんは鋭い目つきで文字をなぞっている。そして、パタンと手帳を閉じた。
「……私はこう考えていた。もし、種が自ら土壌を求めて移動していたとしたら、と」
「え?」
「あくまでもしもの話だよ。植物は自身の種をできるだけ拡散するため、様々な方法を取る。有名なのはたんぽぽの綿毛だな。彼らは風の力を利用して、遠くまで運ばれようとする」
「……それを、ミートイーターの種子もやったというんです?」
「確実なことは何一つ言えんがな。あるハエは、人間の目を舐めたいが為に執拗に顔の周りを飛ぶという。なんせ訳のわからん新種植物だ。繁殖のため、生物の目に吸い寄せられるという特性があってもおかしくない」
「……」
ゾッとする話である。自分の知らない内に、目の中に入り込んでくる種だなんて。
「……興味深いのは、博士がある晩、強烈な快感を得る体験があったと述べていたことだ」
曽根崎さんは続ける。
「うとうとしていたのか、あるいは研究に没頭していたのか。とにかく、その瞬間は突然訪れたらしい。夢のような凄まじい快感があり、その翌日からミートイーターが枯れ出したという。まるで、己の役目を終えたかのように」
「……強い快楽……そういえば、確か深馬も種を植え込んだ時に似たような反応をしてましたね」
「そうだな」
「もう絶対間違いないじゃないですか。そこですよ、種を植えられたXデーは」
「私もそう思うし、ライト博士もそう思ったらしい。実際、彼は自分の目の奥に何かがいると怯えていたそうだよ」
ここで、曽根崎さんがはたと顔を上げた。教授の手帳を懐に押し込み、リビングの方を振り返る。
その不審な行動に、僕は首を傾げた。
「どうしました、曽根崎さん?」
「……いや何。一つ抜けていたな、と思って」
「何をです?」
「……なんせ私は、南の窓から入れば問題ないという点ばかりを考えていた。だから、その、すっかり忘れていてな」
「何をです」
「……防犯サービスの有無」
「……」
「――逃げるぞ、景清君」
一も二もなかった。僕らはできるだけ足音を殺し、教授の私室を出てリビングを走り抜ける。曽根崎さんが先に窓から出て、僕が後に続いた所で玄関のドアが開く音がした。
図体の割に身軽な彼が塀の上で待っており、僕を引っ張りあげてくれる。持ち上がった体が塀を越え足が地面についた時、僕はやっとまともに息をすることができた。
辺りに目をやる。なんとか、誰にも見られることなく脱出できたようだ。
「……し、心臓が止まるかと思った……!」
「よくやったぞ、景清君。収穫は上々だ。後は何食わぬ顔で歩いて帰るだけでいい」
「危うく前科がつく所でしたよ……! しかし曽根崎さん、よく誰かが来てるのに気づきましたね」
「車の音がしたからな」
手袋を外すついでに、トントンと自分の耳を叩く。何でもない声色で、彼は言った。
「昔から、耳はいい方なんだ」





