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続・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 深淵の果てにて
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19 煙草の匂い

「そういやさ」


 運転の荒いタクシーに体を揺らす慎司が、ふと僕に話しかけてきた。


「この時代のお前ってどこに住んでんの?」

「え? ああ……確か親の仕事の都合で遠くにいたかな。それこそ飛行機を使う距離の」

「そりゃ残念。せっかく十一歳のお前のアホ面を拝んでやろうと思ったのに」


 その一言に、グズリと胸が疼いた。

 彼に気づかれないよう窓の外に顔を向け、言い返してやる。


「別に今とそんなに変わんないよ。あと誰がアホ面だスットコ慎司」

「スットコ慎司!?」


 僕の罵倒に動揺する慎司を捨て置き、流れる景色を睨みつける。

 どうしようもない後ろめたさを、ごまかす為に。


 僕は彼に嘘をついた。本当は、ここから車で三十分ほどの距離に十一歳の僕はいたのである。


 ――とても言えなかったのだ。この時代の僕は、喘息予防の吸入器を手放せない、ヘラヘラと迎合した笑いを浮かべる暗い目をした子供だったのだ、と。

 会いたいとは思えなかった。ましてや、慎司に会わせたいなどと。


「……十一歳の景清も、今のお前みたいにクソ生意気なんだろうな」


 モヤモヤとしたものを抱えた僕は、慎司の筋違いな予想を無言で聞き流していた。










 どうにか廃墟までは、四つ足に襲われることなく到着できた僕らである。

 入り口に隠していた鉄パイプを装備し、辺りを警戒しながら慎司と進む。


「なんというか……ほんとに何かのゲームみたいだな」

「いつ現れるか分からないゾンビ犬から逃げるゲームってか。リアルに死ねるだなんて、体験型にもほどがあるぜ」


 慎司は笑っていたが、僕はそこまで悠長にはなれなかった。なれるわけないだろ。

 そうして僕がすっかり神経をすり減らしきった頃、やっと例のグラフィティアートまでたどり着いたのである。


「ちょっと待ってろ」


 慎司はビデオカメラの前に走って行き、すぐさま中身を確認した。鞄の中から持参した手帳を取り出して、映像と交互に見ては何やら書き込んでいる。

 そんな慎司を、僕はジリジリと背中が焼けるような気持ちで見ていた。だが、焦る気持ちはあれど僕にできることは彼の頭脳を信じて待つだけである。周りに気を配りながらも、僕は黙って突っ立っていた。


 それから十分余りが経ったか。


 慎司は突然、音も無く立ち上がった。


「……慎司?」


 背の高い後ろ姿に声をかける。しかし彼は何も言わない。口をつぐんだまま、グラフィティアートを見つめている。


 ゆっくりと肩が上下する。深呼吸でもしたのだろうか。


「景清」


 低くてよく通る声が、コンクリートで囲まれた部屋に反響する。振り返った慎司の目は、いつも通り冷えたものだった。


「どうやら、俺らは今日でお別れらしい」


 その一言に全てを察した僕は、滲む寂しさを悟られないよう、真顔で頷いたのである。










「そうと決まれば、作戦を立てなきゃな」


 パン、と胸の前で両手を合わせ、慎司は持ってきた鞄を地面に下ろした。


「白い浮浪者は悪手を打っていた。だから黒い浮浪者は今、白を嵌める手を仕掛けてきている。対する白はアホだからな。まんまと罠にかかって、きっと次のターンでは異次元を開く手を使ってくるだろう」

「……白はアホなの?」

「おう。白は試合の運び方からして何度も下手を打ってるよ。バカだよな、俺に代わってくれればもっといい勝負に持っていってやるのに……」

「おい異次元開放に加担すんな」

「とにかく、黒は白が異次元を開く手を使ってくることを読んでいるはずだ。だから、殆ど思考時間を使わずに現れるだろうと推測される。つまり……」

「……白が異次元を開いてから、黒が現れるまでそう時間は無いってことか」


 僕の言葉に、慎司は指を鳴らして肯定してくれる。


「じゃあ、白い浮浪者が線を引いていなくなったら、その間に僕は慎司を水晶で観測して、異次元に飛び込まなきゃいけないんだな」

「そう。それに加えて、まず間違いなく現れる四つ足を撃退しなきゃいけない」

「前に慎司が話してくれたね」

「ああ。ゲーム展開的に考えても、このタイミングで現れない方がおかしいし」

「その発想、分からないではない」


 むしろ同感である。僕も水晶を覗き込んだ瞬間、きっと四つ足は現れるだろうと思っていたからだ。

 けれど、そうなると慎司が危ない。僕は異次元に行けばいいだけだが、彼はここに一人残されてしまうのだ。四つ足の狙いが元々慎司だったことも考えると、彼が無事でいられるとはとても思えない。


 ……慎司を連れて異次元に行ければ一番いいのか?

 いや、逆に……。


「僕が慎司の身代わりになって、異次元に四つ足を誘き寄せれば、解決するんじゃないか……?」

「あ?」

「そうだ、四つ足を異次元に飛び込ませるんだ。その隙に、慎司は四つ足が匂いを追えない場所まで逃げればいい」

「でも、それだとお前が……」

「僕は異次元の向こうに行くんだ。恐らく逃げ切れると思う。……結構いい案だと思うよ。だって考えてもみろ。上手くいけば、四つ足を異次元に閉じ込められるかもしれない。水晶も僕が持っていくし、そうなれば二度とヤツは慎司の世界に出てこられなくなる」


 僕の案に、慎司は腕を組んで渋い顔をしていた。だが、やがて懸念事項を一つ口にする。


「四つ足の探知能力は、前よりも上がっているだろう。その上で、お前は前回以上に俺の匂いに近づけるってのか?」

「案外簡単だと思うよ。僕が慎司の匂いに近くなって、慎司は別の匂いをまとえばいい。そうすれば、相対的に僕の匂いはお前より“慎司”になれる」

「……」


 慎司は複雑そうな顔のまま、鞄の中から消臭スプレーを取り出した。なんだ、お前も分かってんじゃん。


「それじゃ、俺は後でこれを浴びときゃいいのか」

「そうだね」

「耳だけ残してみたらどうなるかな」

「どこの芳一だよ。余計な好奇心出すんじゃねぇ」

「でもお前はどうする? 一応俺の服着てるけど、まだ何かやっとく?」

「んー」


 一つだけ思いついたことがあった。それは僕にとって、実行が躊躇われるものだったが。

 ……でも、やれることは全部やっておいた方がいい。

 僕は心の動きが表に出ないよう気をつけて、慎司に片手を差し出した。


「お前、今煙草持ってる?」

「ああ、持ってるけど」

「お願いがあるんだけどさ。……その煙草に火をつけて、煙を僕の全身に吹きかけてほしいんだ」

「え? いや、お前気管支弱いんだろ。大丈夫か?」


 そうだ。それを気遣って、慎司はこの一週間禁煙してくれていたのだ。

 僕は迷ったが、頷いた。


「一応、喘息は薬が無くても大丈夫なぐらいには寛解してる。息を止めてる間に、フーッとやっちゃって欲しい」

「そう言う割には、あんまり大丈夫な顔はしてねぇぞ」

「……」


 自覚はある。

 喘息というものは、僕にとってトラウマに近いものだったのだ。


 発作時の息ができない苦しさと、親の冷たい視線。

 “そう”なることは、みっともないと。薬を与えてやっているのに、“そう”なるのは親不孝だと。

 だけど、父さんと母さんの足を引っ張るこの迷惑な発作は、僕自身の意思で止めることはできなかった。


 だからだろうか、僕は発作が怖くて仕方なかった。今回はなんとか許してもらえたが、次は見捨てられるのではないか。そうなったら、次は何をすれば許してもらえるのだろうか。そんな不安に、僕は常に怯えていた。

 ……喘息は、僕の“喪失”を引きおこす、恐ろしいトリガーだったのだ。


 勿論、今でも他の人に比べれば気管支が弱いのは事実なので、警戒するに越したことはない。それでも、少し前に煙草に関する怪異に巻き込まれたこともあってか、こと煙草に関しては精神的な面から来る恐怖心が強かった。


 ……が、しかし。


「大丈夫」


 大丈夫である。

 何故なら、今はそんな事を言っている場合では無いからだ。


 それに、これを躊躇って慎司が四つ足に襲われでもしたら、僕は一生後悔するだろう。作戦を立てるからには、一つでも不安要素は潰しておきたかった。


「……四つ足と初めて会った時、慎司の煙草の匂いは今より強かった。だから、煙草の匂いがついてれば、ヤツは確実にそっちを狙うと思うんだ」

「まぁな。……いや、俺はお前がいいならいいんだよ。そっちの方が俺が助かる可能性は上がるし」

「うん」

「そんじゃ、お望み通り思いっきり吹きかけてやる。そこ立ってろ」

「ありがとう。……あ、そうだ。慎司、今僕が着てるお前の服は未来に持ってくけどいい?」

「いいも何も、お前ここで俺が『ダメだ』っつったら素っ裸で帰んのかよ?」

「素敵な服だね大事にするね」


 慎司は鞄からケースを出し、煙草を一本取り出して口に咥えた。それからライターの火を近づけ、「息を止めろ」と僕に視線を向ける。僕は、思い切り肺に空気をためて目を閉じた。

 数秒おいて、ふわりとした風が僕の髪をなびかせる。その後に手を引かれ、少し歩かされた。


「はい、おしまい」


 彼の声に、目を開けた。かすかに煙草の匂いが残ってはいたが、咳き込むほどではない。移動させてくれたことで、周りの空気からも煙草が薄れたのだろう。

 僕は服についた煙草の匂いをはたき落とそうとしないよう気をつけつつ、慎司にお礼を言った。


「ありがとう。これでかなり慎司の匂いに近くなったと思う」

「うん。俺のスケープゴートよろしくな」

「口悪いな……。慎司こそ口の中消臭スプレーかけとけよ」

「無難にガム噛ませてくれ」


 そうやって話していると、慎司がプイと顔を背けた。気を悪くさせたかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 彼の目は、入り口に向けられていた。


「……さて、来たぞ」


 白い影が、ズルズルと汚らしい布を引きずってこちらに歩いてくる。


「俺の読み通り、白がアホであることを祈ろうぜ」


 僕の隣にいる男の言っていることは最低で、何なら楽しげですらある。それでも僕は彼という恩人を軽蔑する気にはなれず、緊張に一つ頷いたのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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