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続・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 深淵の果てにて
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7 黒い浮浪者

 集団暴行など、見ていて決して気持ちのいいものではない。けれどもアレはただの人間ではないらしいと分かったお陰で、多少なりとも胸の燻りは消えていたと思う。

 奇妙なことに、その浮浪者は体を庇う動作さえしていなかったのだ。彼は砂袋のように重たく横たわり、甘んじて暴力を受け入れていた。


「――動いた」


 突然、隣の男が低い声で告げる。ビクリとしたのは僕だけではなく、男共も同じだった。

 浮浪者は機械的な動きでむくりと起き上がると、平気な顔をして歩き出す。服こそ靴裏や床の埃によって汚れていたが、それ以外何の異常も無いように見えた。


「……やはりだ。彼はあの部屋に向かっている」


 冷静に分析する慎司だが、あの四人はそうはなれないらしい。浮浪者の前に周り、ドスのきいた声であれこれと難癖をつけている。


 しかし彼は止まらない。男らの恫喝や暴力など意にも介さず、ズルズルと裾を地面に擦って先へと進む。

 こんなものを見せられては流石に怖気付いたのか、四人の内二人は接触を躊躇し始めていた。が、残る二人はなおも野蛮をやめない。

 もっとも、もう引っ込みがつかなくなっているだけかもしれないが。


「いい感じに不気味だな。いよいよもってバケモノらしい」


 すっかり気持ちを昂らせる慎司を抑えつつ、僕らは忍び足で彼らの後を追う。幸いというか向こうは浮浪者に夢中で、こちらに気を向けることは無かった。


 そして、例の部屋に到着する。黒い浮浪者は白い浮浪者と同じく、少し離れた場所で絵を吟味していた。その間も彼は執拗な妨害を受けていたが、沈黙と無視を徹底したまま白い浮浪者がいた場所まで移動する。


 だが、ここで大きく事態が動いた。

 未だ暴力を振るっていた男の一人が石を拾い上げ、彼の前で黒い線の一部を削り取ったのである。


「――!」


 その男にとっては、単なる嫌がらせの一つだったのだろう。

 しかしその浅はかな行動は、浮浪者の体に意思を宿らせた。


 ぐちゃりと粘着質な音を立てて、胸から煤けた腕が突き出る。絵筆のように無数の細い指が広がった手が伸び、男の頭を鷲掴みにした。当然抵抗する男であるが、浮浪者はビクともしない。むしろ手に力が込められたらしく、男は更なる苦痛に喚いた。


 男の体が、腕の力だけで持ち上がっていく。その顔には、絵筆の手から染み出したのか黒い塗料がドロドロと垂れていた。


「……景清、見てるか」


 慎司が僕に尋ねる。目の前の光景が信じられない僕だったが、なんとかぎこちなく首を縦に振った。


「……た、助けに」

「バカ言え。行けるかよ」


 彼の声は、こんな時ですら淡々としている。


「よしんば助けに行ったとして、アレに邪魔だと判断されたらどうする。次はお前の頭を持っていかれるだけだ」

「……でも、残る三人と力を合わせれば」

「悪くないが、それよりも逃げるのを手伝ってやる方が感謝されると思うな。……ほら」


 黒い髪と髭で覆われた浮浪者の顔が、若者三人に向けられる。まず一人が短い悲鳴を上げれば、あとは雪崩のようだった。互いにもつれながら僕らに気づかず真横を駆け抜けていく彼らに、僕は言葉を失っていた。


「……ショックをお受けの所申し訳ないが、ヤベェのは浮浪者だけじゃない」


 一方慎司は、人が死にそうだというのに落ち着いたものである。ほんと最低だなコイツ。

 だが、そんなツッコミをするよりも先に、僕の目は慎司の言う“後ろの絵”に釘付けになっていた。


 男が石で削った部分に沿って壊れた、壁。

 よっぽど強く傷つけたのか、まだポロポロと黒い線が剥がれ落ちている。


 けれど、塗料が剥がれたその向こうにあったのは、ただのコンクリートではなかった。


「――あれは……目?」


 そう。そこにあったのは無数の緑色の目だったのである。その発光体はまばたきをするたびにカチカチと耳障りな音を立て、脊髄が疼くような恐怖を煽り立てていた。

 だけど、耳を塞ぎ目を逸らしたくなるようなおぞましさを僕が直視し続けていたのは、勇気や克己心からではない。


 その目は。


 おびただしい数の緑の目は、全て、


 ――一つの例外もなく、まっすぐ僕に向けられていたのである。


「景清?」


 慎司に声をかけられ、ハッとする。立ち上がりかけていた僕の服の裾は、また彼に引っ張られていた。

 自分の見たものを説明すべきだと思った。しかし、僕の口は勝手に動いて言葉を紡ぐ。


「……行かなきゃ。僕は、あそこへ飛びこまなければならない」

「ああ? どういうことだよ」

「僕はここに来る時もあの目を見た。だからきっと、あの隙間に入れば僕は帰れる。曽根崎さんを助けに行くことができる」

「……」

「だから離せよ、慎司」


 だが、慎司は離さない。彼の顔にあった好奇心の熱は消え、今は凪いだ海のように静かで冷たくなっていた。


 数秒存在した不思議な空白の後、ようやく彼は呟いた。


「……まだだ」

「え?」

「まだ、足りない」


 どういう意味かと尋ねようとした瞬間、凄まじい絶叫に遮られた。見ると、男の体が緑の目が待つ隙間に無理矢理ねじ込まれようとしていた。


 隙間は、体格の良い男がギリギリ入らないぐらいの大きさである。ならば潰して合わせてしまえばいいと言わんばかりに、関節だらけの浮浪者の腕は男の体を押し込めていく。

 血は出ていなかった。

 いや、出てはいたが、ことごとく隙間に吸い込まれていた。


 そして僕の目は、緑色の目がこちらに視線を向けたまま、けたたましい笑い声を上げて血を啜るのを見たのである。


「……ッ!」


 悲鳴を上げかけた口を慎司に押さえられる。おかげで、かろうじて呻き声を漏らしただけで済んだ。


「……」


 男の体は、今や完全に隙間に飲み込まれてしまっていた。

 途切れ途切れの絶叫に、押し殺していた罪悪感が滲み出てくる。けれど、もう手遅れだ。僕が何かできる時間はとっくに過ぎてしまった。


 黒い浮浪者は、また機械的な動きに戻っていた。腕を持ち上げ、丁寧に黒い線を引いていく。するとあっという間に隙間は元のコンクリートの壁に変わり、男の絶叫もピタリと止んだ。

 続けて浮浪者は、白い浮浪者が描いた真新しい線の上に新たな線を加える。それで仕事を終えたのか、長い腕をしまうとズルズルと服の裾を引きずり僕らの方へと近づいてきた。


「――景清、移動するぞ。見つからない所にいた方がいい」

「……わかった」


 瓦礫や家具に隠れつつ、慎重に浮浪者から離れる。やっと姿を視認できない場所まで来た僕らは、互いを見合い、同じタイミングで大きく息を吐いてうなだれた。


「……慎司」

「何?」

「助けてくれてありがとう」

「あ? 何かしたか俺」

「僕が悲鳴上げないように止めてくれたろ」

「……まあ、俺も壁削ろうとしてお前に止めてもらったしな。お互い様だよ」

「そっか」


 お互い様か。

 もう一度ため息をついた僕に、慎司はゴソゴソとポケットを探りながら言う。


「噂の火元はアレのようだな」

「そうだね」

「色々考える必要がありそうだ。できることなら一晩中様子を見たいが……」

「ああん?」

「ちょっと疲れたし出直すか」

「それがいいよ」

「お前結構怖い顔するんだな。無害そうな見た目してんのに」

「迫力の無い顔で悪かったね」

「別に」


 カチッとライターの音がする。いつの間にやら慎司は煙草を咥え、火をつけようとしていた。

 僕は急いで立ち上がり、彼から距離を取る。


「何、嫌煙家?」

「いや、元々気管支が弱いんだ」

「オイ早く言えよ。煙草一本無駄にしたわ」

「あ、消してくれるんだ」

「まぁな」


 いい奴だ。

 まだ匂いは残っていたが、慎司の厚意をありがたく受け取りいそいそと彼の隣に戻った。


 けれど少し間が開くと、さっきの男の最期が蘇ってしまう。黙っていられず、よせばいいのに僕は口を開いた。


「……あの男の人は」

「殴ったら殴り返されただけだ。自業自得だろ。異変に気づいて引き返すチャンスも山のようにあった」

「……」

「それよりお前、あの隙間通ったら帰れるって本当か?」

「あ、うん、多分」


 話題を変えるためだけの質問だったのかもしれない。けれど、改めて問われると自信が無くなってきた。

 でもここに来るまでに見た光景と同じだったし、他に手があるとも思えない。

 そう伝えると、慎司は鼻で笑った。


「お前の実家ヤベェとこにあるんだな」

「ほっといてくれよ」

「差し詰め“カントリーロード・オブ・ザ・デッド”ってとこか」

「人一人死んだ後にその発言は不謹慎すぎない?」

「俺その手のタイトルの映画好きなんだよな。お前はどう?」

「……少なくとも映画館では見ないかな。どうせなんの脈絡も無くゾンビが出てくるんだ」

「そしてバカスカ人が死ぬ。あとなんの脈絡も無く思い出したようにアダルトシーンが入るんだ」

「それそれ。結局ラスト五分だけ見たら内容が分かるやつね」

「お前いい趣味してんなー」

「慎司に言われたくない」


 ふと視線がかち合う。相変わらず冷たい目をした慎司だが、なんとなく最初に会った時よりは表情が緩んでいる気がした。

 どうやら、この短時間に起きたゴタゴタを通して、僕らは少しだけ仲良くなったらしい。


「んじゃ、帰るとするか」


 陽が傾きかけた外に目をやり、慎司は言う。同意して立ち上がろうとした僕は、はたとある事実に気づいた。


「……慎司」

「ん?」

「お願いがあるんだけど」

「なんだよ」


 僕という人間は、曽根崎さんを助ける為だけにあの穴に飛び込んだ。必要なものだけを最低限、身につけて。


 ――“最低限”、身につけて。


 ……だから、なんというか、その。


「僕、一文無しなんだよね……」

「……」


 思いきり顔をしかめる慎司に、僕は勢いよく頭を下げた。


「頼む! お願い! 家に泊めてください!」

「ええー……」

「でなきゃお金貸して! 二日ぐらい過ごせるホテル代と食費! あ、着替えとかも買いたいから雑費も少々……!」

「いきなり図々しいなお前」

「どうせ借りるならしっかり借りるよ僕は。あ、それか水晶返してくれない? 質に入れたら当面のお金は工面できるかも」

「嫌だ。それをするぐらいならお前を泊めてやる」

「ねぇその執着なんなの?」


 水晶が気に入ったのか、何なのか。分からないが、とにかく泊めてくれるらしい。

 そういうわけで、僕は慎司とカントリーでもデスでもない帰路についたのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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