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続・怪異の掃除人  作者: 長埜 恵
第5章 深淵の果てにて
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4 四つ足

「曽根崎さん!」


 名を呼ぶと同時に、突き飛ばした。間髪入れず、僕らの頭上を何かが通り過ぎる。

 状況が飲み込めない様子の曽根崎さんを残して、僕は体勢を立て直した。彼に襲いかかったものの正体を掴む為に。


「……っ!」


 ――それは、この世の不浄のすべてを凝縮させたようなおぞましいバケモノだった。


 全身から立ち上る腐臭と、皮を剥かれた赤黒い肉。紫色の体液がぼたぼたと滴る肉体は、獣のごとく手足を地面についている。

 ――人間のようだった。無理矢理例えるなら、獣の脳みそを入れられた人間が皮膚を剥がされて、そのまま腐っていく過程に似た……。


 唾を飲み込む。

 僕は何故か、このバケモノを知っている気がした。


「なんだ、コイツは……!」


 が、見極めようとする前に、動揺した曽根崎さんの声に気を取られる。思わず彼の顔を振り返った僕は、ギョッと全身を硬直させた。


「……怖ぇ……!」


 驚くべきことにその男は、眼前のバケモノに興奮し笑っていたのである。


 しかし彼の一言に、四つ足のバケモノが反応した。がちゃがちゃとぎこちなく動いて曽根崎さんに照準を合わせ、口からズルリと細長い舌を垂らす。

 ――アレで、刺す気だ。

 気配を察知した僕は、咄嗟に近くに落ちていた鉄パイプを拾い上げた。


「曽根崎さん、逃げて!」


 彼を庇い、バケモノに向けて鉄パイプを構える。

 ……こんなものがコイツに効くとは思えない。けれど、ここで曽根崎さんが死んだら、未来の曽根崎さんだって死んでしまうことになる。


 ならば、今の僕にこうする以外の選択肢なんて無いじゃないか。


「来るなら来てみろよ……! 串刺しにしてやる!」


 がらんどうの眼窩を睨みつける。

 四つ足の腐った皮膚が滑り落ちて、ペシャリと音を立てた。

 ……ああ、やはりあれは人だったものに違いない。よく見れば、鼻や耳の部分にもぽかりと穴が開いている。


 ――けれど、それがどうした。

 僕は、汗で滑りそうな鉄パイプを握り直す。

 ――そんなこと、この人に触れさせるこれっぽっちの理由にもなりゃしないだろ!


 息を詰め、震える足を前に出す。バケモノににじり寄り、威嚇する。


 すると、ふいに四つ足は動きを止めた。かと思うと、迷うようにぐらぐらと横に揺れ始める。


 ――え、怯んでる?


 そんな考えがよぎった次の瞬間、バケモノは右の方向へと身を躍らせていた。

 あまりにも速すぎたせいで、ちっとも目で追えない。僕が右を向いた時には、既にバケモノの姿は無かった。


 静かになった埃っぽいホールに立ち尽くす。全身を緊張にこわばらせた状態で、僕は呟いた。


「……に……逃げ、た?」

「そのようだな」


 僕の後ろに隠れていた曽根崎さんが顔を出し、答える。その落ち着いた声に、ようやく僕は全身の力を抜くことができた。


「……は……ああああああっ……!」


 大きくため息をつく。

 どっと恐怖が押し寄せてきて、鉄パイプを支えにうなだれた。


「こわ……かったぁぁ……!」


 そうなのだ。本音を言うと、めちゃくちゃに怖かったのだ。

 正直、もう無理だと思った。未来に帰れず、ここで死んでしまうのだと。


 曽根崎さんを助けなければという使命感だけで頑張っていたが、それでも怖いものは怖い。

 でも、良かった。なんとか追い返すことができた。


 そうやって脱力していた僕を、若い曽根崎さんは不思議そうに覗き込んできた。少し血の気の引いた顔で、片眉を上げてこちらを見つめている。


「お前……」

「……何?」

「……本当に、一体俺の何なんだ?」

「はい?」


 何なんだ、……って何なんだ。

 訳の分からない問いにポカンとしていると、曽根崎さんは付け加えた。


「あの四つ足のバケモノは俺を狙っていたから、お前は逃げようと思えば一人で逃げられたはずだ。……けれどそれをしなかった。お前は恐怖を押してまで、俺を助けようとした」

「まあ、うん」

「どうしてそんなことをした? 何故自分の命を張ってまで俺を助けた?」

「ああ……そんなこと」


 まだ恐怖による疲れが残っていた僕は、対応が面倒くさくて片手を振った。


「普通助けるだろ。ほっといたら襲われて死ぬんだから」

「はー?」


 僕の回答に、曽根崎さんは思い切り顔を歪める。理解しがたい、といった風だ。


「どうして死ぬと分かって……いや、だとしたらどんだけ人がいいんだ、お前」

「知ったことじゃないよ。ってか何? アンタもアンタでなんであの時逃げずにニヤニヤ笑ってたんだよ。何なの? 死にたいの? ンなことしてる時間あったら逃げろよ、バーカ」

「バッ……」


 言いたいことを言ってやり、そっぽを向く。……なんというかコイツ、そこはかとなくムカつくヤツなのだ。斜に構えているというか何というか。

 あの曽根崎さんも常々腹が立つとは思っていたが、若い頃の曽根崎さんときたら相当である。

 やはり、三十年も歳を重ねれば、それなりに丸くなっていたということか。


 曽根崎さんは少し黙っていたが、やがてまた疑問が湧いてきたのだろう。僕の機嫌など一切顧みることなく、質問をぶつけてきた。


「お前」

「景清」

「景清。……結局、あの四つ足のバケモノは何者だったんだ?」

「……うーん」

「知ってるが、うまく説明できないといった顔だな」

「さっきから僕の心情を読むなよ」

「読まれるような顔をする方が悪い。……この水晶が原因なのか」


 彼は、未だ奪ったままの水晶を僕に見せてくる。こうなってしまえば隠していても仕方ないので、頷いた。


「それ、過去が見える水晶なんだよ。だけど覗いたら最後、バケモノに襲われる仕組みになってる」

「そんなもんこの世にあるかよ」

「あるんだな、ここに」

「……俺には過去なんて見えなかったが」

「知らないよ。角度が悪かったんじゃない?」

「んー……」


 顎に手を当てて考えている。この癖は変わらないんだな。


 そういえば、どうして曽根崎さんはこんな廃墟を訪れているのだろう。見たところ、誰か友達と肝試しに来たわけでも無さそうだし……。

 気になって尋ねてみると、淡々とした言葉が返ってきた。


「この廃ホテル内に異次元に繋がる場所があるという噂を聞いてな。それが本当かどうか確かめに来たんだ」

「なんで?」

「なんでって……面白そうだろ」

「面白そう? どういうこと?」

「火の無い所に煙は立たない。なんでそんな噂が立つに至ったか知りたいと思ったんだ」

「本当だったらどうすんだよ……」

「それならそれで面白いだろ」


 そう言い、また例の四つ足を見た時の笑い顔を僕に向ける。ニヤッと口角を上げた、悪い笑みだ。

 ……アンタそれ、未来では怖くて堪らない時の顔だからな?


「……退屈なんだよな」


 曽根崎さんは水晶を自分のポケットにしまいながら、ぼやいた。


「怖いことでもなんでも、刺激に飢えてる。だからこういう場所にでも来ないと、つまらなくて仕方ない」

「……アンタ」

「何」

「今いくつ?」

「今? 二十一だけど」

「二十一でその落ち着きの無さはヤバくない?」

「あ、お前さては俺の発言をちょっと恥ずかしいものにしようとしてるな? その手には乗らねぇぞ」

「多少の自覚はあるんじゃないですか」

「うるせぇ、あっち行け」


 乱暴に吐き捨てて、曽根崎さんはどこかへ歩き出す。僕も慌ててその背中を追った。


「ついてくるなよ」

「いや、返せよ水晶」

「拾ったならもう俺のものだ。ストーカーの物は俺の物、俺の物も俺の物」

「ストーカーじゃねぇっつってんだろ」

「じゃあ早く俺が納得する答えをよこせよ。それまでお前に対する認識は俺のストーカーだ」

「暴論が過ぎる」

「暴論も理屈が通れば正論だ。……そこ、足場崩れてるぞ」

「うわ、ありがと」


 落とし穴になっていた場所を危うく避ける。……根っから悪いヤツ、というわけでは無さそうだ。

 まあ、曽根崎さんは曽根崎さんだしな。


 それよりコイツ、放っておいたら何をするやら分かったものではない。スリルを楽しむ悪癖の為に、平気でこんな所に来るぐらいだし。目を離したらまた危ないことをしでかして死にそうだ。

 加えて、まだ返してもらっていない水晶のこともある。


「……」


 肩を落とし、ため息をつく。

 どうやら過去でも、僕は曽根崎さんに振り回されてしまう運命のようだ。


「ほら行くぞ、景清」

「はい」


 つい条件反射で返事をしてしまう。まるで一瞬、いつもの光景が戻ったように錯覚し、頭を振った。

 壊れたエスカレーターを上る曽根崎さんが、妙に眩しく感じる。だけどその感情を言語化できるはずもなく、僕は口をつぐんで彼について行ったのだった。

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【書籍化情報】
怪異の掃除人・曽根崎慎司の事件ファイル(宝島社文庫)
表紙絵
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