残酷な、ゲームキャラへの転生。
昔はどうか知らないが、プレイヤースキルで無双できるゲームなんて、もう無くなってしまった。
ゲーム以外にスキルを求めるゲームは、その難易度ゆえに嫌われやすく、一部に熱狂的なファンを獲得しても、廃れてしまうから。つまりは、売れないゲーム、万人受けしないゲームとなってしまうのである。
私が『ネット小説』にはまったのは、きっと懐古主義的な、昔を懐かしむ気持ちが無かったとは言わない。大規模なタイトルや、プレイに月額か固定費用を要求するゲームが主流だった時代、確かに私はゲーム以外の能力でそこそこの地位をゲーム内で獲得していた。
だが、それでは『商売にならない』と、ゲーム制作会社が『気付いてしまった』のだ。露骨な『ガチャ』や『課金装備』なるものが出回り、ゲーム内通貨の価値を下落させたり、時間を廃レベルで使うよりもお金をばらまけば強くなれる時代になってしまった。
「つまらない」
現実で、お金が無いからこそ、時間というリソースを使い続けてきた私にとって、お金を差し出さなければ『強くなれない』現実に、とても苛立ちを覚えたのを、今でも忘れられない。
ニートにしろ、学生にしろ、仕事以外の時間をゲームにつぎ込める人間だったにしろ、日常に不満を抱える私にとって、ネット小説がストレス解消のひとつとなったのは、必然なことだった。
「私は願わない」
もし、本当に『ゲーム世界へ転生する』なんてことがあったのなら、私はそんな現実望まない。
けれど、現実は小説より奇なりとはよく言ったもので、魔法であれ超常現象であれ『本当に望む人間には、訪れない』のが世界の法則なのではと、私は考えている。
なぜなら『お金持ちになりたい』という願望があったとして、その人間が『お金持ちになれる努力』をどれだけしているのか? せいぜい『貯金』という言葉しか出ない程度の『お金の常識』で、それは成しようが無いのが目に見えている。
例えば『ゲームの世界に転生して無双したい』という願望があったとして、その人は『そんな事が現実に起こるはずが無い』と考えているからこそ、望んでしまうのだ。
「私は、願わなかった……」
だからこそ、私は今、とても泣きそうな現実に直面している。
(私の頭がおかしくなったのか?)
いつからだろう、私は『僕』でなく『私』という一人称を使うようになったのは。
高校生のときか、あるいは大学生の頃だったかは覚えていないが、いつからか『僕』では生きにくくなっていて『私』となったのだけは覚えている。
……そんな現実逃避は、今はおいておくとして。
「なんで、何でなんだよおおぉぉぉ!」
私が目の前に眺める光景は、推定、前世と呼ばれる世界で目にしたことのある世界。
妄想なのか、それとも私の頭が異常を発症してしまっただけなのか、それすら分からないが。
(今生きる世界は、残酷で、生存するのが困難な世界である)
簡潔に言おう。
私はゲームの世界に、転生してしまった。
時間ではなく、お金で強くなれた世界。スマホゲームの世界に、私はいつの間にか、転生してしまっていたのだから。
「この『世界』は、残酷だ……」
世界とは、どこの事を指すのだろうか。
宇宙、あるいは銀河の内でも外でも、人間が存在する世界なんて、私は知らない。
けれどこれは、紛れもない、現実なのである……。