第二話 少女の生い立ち
「ならば、次は私から」
「私は享徳三年、京の一条左三坊の生まれと聞いております。小さい頃のことはあまり覚えておりませんが、確かに京にいたということは覚えております。しかし次に覚えておりますのは、もう既にここでのことです。ですから、その間に何があり、何故ここに参ったのかなど知る由もございません。こちらに参ったばかりの頃は右も左もわかりませんでしたが、それも、四年も経てば慣れたものにございます」
「京の生まれであったのか。京でのことはそなたの母上に聞いてみるが良さそうであるな」
「良き案にございますね。明日にでも」
「おお、話は変わるが京といえば、まだ都に居った頃、父上を時々知らない人が訪ねてきておった。ところが父上の応対は慣れた手つきであった。某の見ておらぬところで何かしておったのかのう」
「そうかもしれませんね」
「親は謎多き存在、か」
「ええ、私など父上の顔すらあまりわからないのでございます」
「お京は父上の名前は知っておるのか」
「聞いたことも見たこともございませぬ」
その晩、明かりの油が切れるまで二人は互いに語り合った。しかしそれは、翌朝の思いもよらぬ事件へと繋がっていく。
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翌朝、目が覚めると、何故か泣いていた。
それは恐らく、昨日の話が原因だろう。
話は盛り上がった。しかし、それは悲しいものだった。苦難の歴史と言ってもいいだろう。珍しいことに、彼女とは境遇が似ていた。彼女は何故ここに逃れてきたのかを知らないという点では少し異なるが。
そうだ。それを彼女の母親に聞かねば。
重い瞼を開くため、目を擦った。
目の前には、昨日語り合った彼女、お京がいた。
何故だろう、という考えが頭の中を巡る。
ふと昨日のことを思い出した。
昨日は、夜が更けるまで語り合って、段々と意識が遠のいていって……途中で寝てしまったようだった。
謝らねばと思い、重い瞼をこじ開けて、もう一度お京を探す。
彼女はすぐ近くにいた。
そこには、目が一瞬で覚めるような光景が広がっていた。
彼女は目頭を押さえて泣いていた。寝ている母親を見て。
いきなりの事態に戸惑った、というよりは理解できなかった。
かなりの間、固まっていたのだと思う。
母親の顔には血の気がない。その時、昨日の具合の悪そうだった母親が脳裏に浮かんだ。
(まさか……)
――――悪寒は的中した。
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亡骸は村の共同墓地に埋葬される運びとなった。
母親の持ち物を整理していたとき、それは見つかった。出てきたのは二通の書状。その片方はお京宛であった。お京は少しだけ躊躇しつつもゆっくりとそれを開いた。
――前略
お京がこの書状を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないことでしょう。
長々と書き連ねるのは苦手なので、伝えておきたかったことのみ書きつけておくこととします。
もう一通、書状があったはずです。それを見なさい。
そこにはあなたが知るべき情報が書かれています。それを用ゐて、強く、逞しく、生きていきなさい。
――拝啓 京子殿
私は近衛家当主、右近衛中将藤原政家である。荒れ狂ひ、乱れる世にあるにも関わらず、そなたが京より下がるに成りたること、詫びねばならぬ。
さて、そなたは父には会うたことがなかろう。そなたの父は我が兄、後九条右府なり。しかしながら、右府は已に隠世へ往にぬ。よって会ふことは叶わぬ。
そなたの母は近衛の家女房であった。寛正四年、私が従三位右近衛中将となり近衛を嗣ぐ折に少々厄介なことと成り候。それ故お主の母は家を出でたり。
そなたの母は正親町三條實雅の女である。この書状に花押を添えておく故、宜しく使われるがよかろう。
寛正四年卯月吉日
近衛従三位右近衛中将藤原政家
お京は目を見開いている。取り敢えず、茫然自失の彼女から書状を取ってそれを読んだ。
そこに書かれていたのは驚きの情報であった。しかし、最後の一文がどこか引っ掛かるところがある。ひとまず一人にしておこうと思って立ち上がると、彼女に裾を掴まれた。
「何処へ」
「一度客間へ下がろかと思うのだが」
「なればそれよりもう一度お越し下され」
「わかった」
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畳の上に大の字になると、目の前には包みが置いてあった。それを見て、母上の遺言を思い出した。
中を、見た。
一つは桐箱。
もう一つの中には、書状など多くのものがあった。
しかし、見ていると時間がかかりそうなので後にしようと決めた。
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戻ると、お京は姿勢を正してこちらを向いて座っていた。
「太郎殿」
「はい」
「書状はもう読みましたね」
「はい」
「私は、誰かが私の命を狙っていると考えております。つきましてはあなた様はここにはおらぬ方がよいのではと考えます」
「左様なことは断じて致しませぬ。こう見えても、ある程度剣の腕は立つのですよ。何かあったら斬り伏せます」
「そうですか。それはありがたい申し出に御座います。決してご無理などなされませぬように」
「無論」
「それからもう一つ。私はつい先日、父を亡くしました。しかしそれは実の父ではありませんでした。『顔を見たこともない』や『名前を聞いたこともない』と言いましたが、あれはそれ故なのです。物心ついた頃には既にあのような暮らしでございました。あの父上には感謝しております。つきましては碑を建てたいので、ご協力下さいませんか」
「無論、断るわけがなかろう」
京子は流石だった。
このような状況下でテキパキとしていた。
* * * * * * * * * *
お京が裏の川へ水を組みにいったときだった。玄関の方から彼女の悲鳴が聞こえた。
その玄関先には、一人の女が立っていた。そして刀の切っ先をお京に向けていた。
「此は如何に」
「お主……忠氏か」
「ええ。何故お分かりになられたのでしょうか」
「なら話は早い。我はこの女の家に金を出しておった。だが近頃になって生活が安定してきたといい打ちきりを申し出た。この女は親を相次いで喪い、交渉はこの女とすることとなった。そんな折、妙な噂を聞いてのう」
そう言っている女の顔は笑っている。
「我はこやつに家に住み着いた男を殺るように言った。しかしこやつは蹴った。だがその様なことなどもう良い」
この顔には、既視感を覚える。
「出てこい」
――家の前に一組の男女が、間合いを詰めるようにして向き合った。その女の頬には、深い傷があった。
最近、無駄に公家事情に詳しくなってしまいました。