第一話 両親を失った少年
近くにあった岩を見つけ、そこに腰を下ろす。
沸き上がってきたのは、疲労感であった。奮い立っていたとはいえ、振り返ればとても長い旅路だったように思う。
しかし、眼下に広がる光景を見ると、報われた気がする。
そこには、田んぼが広がっていて、その中を駆け回る子どもがいた。楽しそうだとはいえ、決して余裕がある訳ではないだろう。だが、そこに住む人たちは、京よりは生き生きとしているように感じられた。
とはいえ、それは人それぞれのようだった。自分のすぐ近くに目線を落とすと、一人の窶れきった少女が立っていた。彼女の服は擦りきれ、髪は乱れ、そして泥だらけだった。周りの子どもたちが駆け回っているのと対照的に、彼女からは哀愁が漂っていた。親でもなくしたのだろうか。そんな事を考えていると、彼女に声をかけられた。
「どちらのお方でしょうか」
丁寧な言葉遣いだった。親が教えてくれたのだろう、などと考えていたが、自分は質問を受けている身である。図らずも思い出してしまった自分の両親のことを一旦、頭の片隅に追いやってから答えた。
「京から来た者だが、大きな戦があって、何処からともなく誰の命かもわからぬ追手が来たので、逃れてきた次第だ。その途中、某は両親を失ってしまった」
改めて口から言うと、その一連の出来事が本当に起きたことなのだと気付いた。それらは受け入れがたいものだった。当然のことながら、一日に親を二人とも亡くすなど、生まれて初めてのことであった。父上からは剣術を、母上からは礼儀・作法を教えて頂いた。他にも、様々なことを教わった。
今思えば懐かしいと思う数々の出来事が頭の中に浮かぶ。
だが、その暖かな日常はもう二度と、戻ってくることはない。
「左様に御座いましたか。えっと……その……傷を抉るようで申し訳御座いませんでした」
その少女は頭を下げた。
「いえ、気にしてはおりませぬ故」
にっこりと微笑みつつ、そう答えた。
でも、何か違和感を感じる話し方だ。しかし、これがこの辺りの方言なのかもしれない。だから余計な詮索はしないようにする。
「何処へ行かれる予定で御座いましょうか」
と少女は訊く。だが、行く宛など何処にもない。それを正直に言うと、彼女は驚いた顔をして、それからニンマリとした顔をして、こう言った。
――私のいる村へお越し下さい、と。
道中、様々なことを教えてもらった。ここは越中だということ。自分たちの近くを流れる川は神通川ということ。
話を聞きながら、付いてきてよかったと思った。見ず知らずの土地で何とかなると思っていた自分が馬鹿馬鹿しい。彼女には助けて頂いたのだ。彼女がいなければ何もできず、路頭に迷っていたに違いない。彼女には、感謝しなければならないと思った。
それからしばらく歩いて集落が見えると、彼女の顔が少しだけ緩んだ。
彼女はここで待つようにとだけ言い残して村に駆けていき、奥の方へと消えていった。
しばらくの間、周囲の田畑を見回していた。田畑といっても、あるのは田ばかりで、畑はこの周辺でも、道中でも、一切見かけなかったが。
一刻ほど経っただろうか。彼女が帰って来た。村の長に話をつけていたそうだ。そして、村長に会うように促された。
村長は、初老であった。村の中にもまだ彼よりも若い人物がいるのを見ると、彼には人をまとめる器量があるのだろう。そう思いながら、緊張しつつ対座した。
その彼は、こちらをちらちらと見ていた。そして開口一番、
「その出で立ち、武家の者か」
と言った。
この服装を見て一目で武家の者だとわかる者は少ないだろう。特に都の方の装いは見たこともないだろう。もしかしたら、京と何か繋がりがあるのではないかと疑ってしまう。すると、ここにいるのは危険なのではないかと不安になる。ただ、それを口に出すほど阿呆ではない。彼から感じる異質さと自分が感じ
る不安を気にしないようにしつつ、冷静に答えた。
「左様に御座います」
「なれば、その娘の家に泊めてもらいなされ。道中、仲ようなったようで話も合うじゃろう。あやつの家はちょうど父を亡くしたばかりで、男手が足りんようじゃから助けてやってはくれぬか」
「勿論に御座います。あの御方に会わなければ、今晩も野宿やもしれませぬ故、感謝しております。何か彼女のお役に立てることがあるのなら、是非」
「では、話がはやい。早速よろしく頼む」
「かしこまりました」
その晩、一人の少年が、とある村の、とある家に住み始めた。
* * * * * * * * * *
さて、一晩経ってわかったことが三つある。
一つ目は、昨日の暮れの方にわかった。件の少女は家に入る前に水を被るように促した。家の裏に連れられて行くと、そこには小川が流れていた。その横には、桶が置いてあった。彼女が桶の水を頭から被り、そしてほぐすと、彼女のぼさぼさだった髪はきちんと手入れされているとわかった。また、綺麗な長髪であるともわかった。徐々に変貌していく彼女に驚いていると、当の彼女は顔に付いた泥を洗い流して、さらに見違えていった。そしてもう一度さっと水を被ると、こちらを見てきた。急かすようだったのですかさず水を被ると、家に入っていった。
二つ目は、家に入ってからわかった。この家は大きい。部屋が四つもある。そのうち一つの部屋に案内された。そこには少女の母と思しき人物がいて、様々なことを聞かれた。例を挙げれば、どうしてここに来たのか、ということや、彼女とはどのようにして知り合ったのか、というようなことだった。
その中でわかったことが最後の一つであった。四つの部屋はそれぞれ、一家が寝ていた部屋、客間、父親の仕事部屋だった部屋、かまど等がある広めの部屋らしい。そのうちの客間に通され、そこで一晩を明かした。
今朝は鳥の鳴き声で目が覚めた。部屋を出ると丁度食事の準備中だった。暫くその様子を眺めていると、また昔のことを思い出す。あれは寛正年間のことだっただろうか。身の上、いつ何があるやもわからない。そう言われ、当時は絶対に必要のないと思われた料理まで教え込まれた。あのときの母上の教え方は鬼のように厳しかったが、その奥には優しさが滲み出ていた。母上は周りの母君たちとはどこか一線を画していた特別な母上だったように思う。
物思いに耽っていると、こちらを見ている四つの目に気付いた。
「お目覚めでしたか。日頃はこれほどのものは作りませんが本日は些か腕によりをかけております。それが我が家の客人へのもてなしにございます」
「忝い」
会話をしているうちに料理ができた。
数えてみると、なんと五皿もある。これはお祝いの日さながらだと思いながら、口へと運ぶ。
噛む。ただひたすらに噛む。
病みつきになる味で、あっという間に完食した。
「美味にございました。ところで某は何を致せばよろしいのでございましょう」
この状況で何もしないと、己の気が落ち着かない。
「畑仕事を手伝って頂ければ嬉しいです」
それを察したのか、そう母親は答えた。
「ところで名を伺ってもよろしいでしょうか」
と娘は訊く。
「某の名は新太郎忠氏。太郎でよい」
「太郎殿でございますね」
と言う娘は嬉しそうだ。そういえば彼女の名前を聞いてなかったな。
「君の名は」
「私の名は京子にございます」
「以後宜しく頼みます、京子殿」
「お京で構いません」
「宜しくお願いします、お京」
「こちらこそ」
その日は慣れない農作業で、とても疲れた。
しかし、お京が熱心に指導してくれたおかげで何とかなった。
* * * * * * * * * *
もう日が暮れてきたので、帰ることになった。
今日一日の仕事で、普段しないようなことをするのは大変だと痛感した。普段から鍛えているはずなのに痛む腰を抑えながらやっとのことで家に帰った。そこにはお京の母がいて、漂う味噌の香りが鼻腔を刺激した。今まで気にしていなかったが、よく見てみると母親の顔色が悪い。すこし心配になる。
この家の食事は昔懐かしの味と甲乙つけがたい程に素晴らしい。今回も、あっという間に完食してしまった。
食事が終わった後、お京に声をかけられた。
「こちらの部屋に」
改めて聞くと芯の通った声だ、と思いながらついていくと、明かりが用意されていた。
「宜しければ身の上話などなさいませんか」
「よき案だな。ただ、硬くならないようにせぬか」
「ええ。では」
「某からいこう。某は享徳二年、京で生まれた」
「京!」
「京におった頃で覚えているのは父上や母上に様々なことを教えて頂いたことくらいでな。ああ、父上の剣は強かったのう。よく盗賊などを追い払っておった。母上もしっかりした人で常に周りを警戒しておった。今であればそれがなぜかもわかるがな」
お京は早くも話に入り始めていた。
「やがて都には夥しい数の軍勢が集まってきた。当然、京の治安は悪くなった。それは、大乱が始まるとさらに悪くなり、そして家に刀を抜いた男どもが十ほど入ってきおった。某は父上や母上に連れられ、右も左もわからぬまま住み慣れた家を捨てて逃げた。都を出れば追手はもう来ぬであろうと思うておった。だがあやつらは執拗に追ってきた。そこで狙いは金目の物ではなく、この家の人なのだと確信した」
そこでふと思い出した。
「そうそう、あれは元服のときだった。そのとき父上は『いつ何があるやもわからぬ。故に太郎は一人前の武士にならねばならぬ。お主にはよい血が流れておる。それにこの父の稽古だ。きっと頼むぞ』と言っておった。それをあの時に丁度思い出して合点がいった。それからの逃避行は長かった。父上はけりをつけるため、山の中に入っていくことを決めた。それはうまくいった。もう京に用事もないし戻ればまた見つかるやもしれぬと思った父上は北、つまりこちらの方を目指すことに決めた」
ここからは思い出すと辛くなる。
「しかしその道中で三十、いや四十か五十ほどの盗賊団に囲まれた。父上は迷わず、某と母上を逃がした。父上なら難はないと思っておったが父上の叫び声が聞こえてすべてを悟った。それからはまた、北へ歩いた。丁度休んでおったとき、近くの村の小競り合いらしきものの流れ矢が飛んできた。それは、母上を貫いた。それからのことはあまり覚えてはおらぬ。母上が垂れ衣を捲って何か言ったことまでは覚えているのだが、次に覚えていることとなれば山の中を歩いていることくらいだ。それからも長いこと歩いてようやく山から出たところで、お京に出会うた」
何かを隠すように、まくし立てるように言い切った。
「察するに余りあるものでございましたね」
「う、うむ」
「ならば、次は私から」
今回からひと言ずつ、後書きで呟いていきたいと思います。
人称代名詞の設定が時代的にきつい……