第十五話 異変
お久しぶりです。ようやく川が少しずつ流れ始めます。
――その朝は、鳥のさえずりさえ聞こえないほどの静けさだった。
お京は既に起きていたようで、そっと微笑んでいるのが何とも言えないほど幸せだ。
時代は確かに荒れている。
しかし、自分の身の周りではそれほど深刻なことも起きていない。
そしてそれがこれからも続くことを願っていたその矢先――
食事が終わった頃、家の戸を激しく叩く音が聞こえた。
お京が見てみると、そこには直師と長老殿がいた。
「どうした」
「急ぎの報告があります。長老殿、どうぞ」
「隣の村の連中と不穏な状態にあるとのことです」
その報告は少し衝撃的だった。
まるで、誰かに心を見透かされたかのような気さえした。
先程までこの平穏が続くことをぼうっと考えていたからだ。
その驚きを抑えながら、長老殿に訊いてみる。
「事の詳細を頼みます」
「はい。今から言うことは皆から聞いたことをまとめたものですから偏りはあまりないでしょう」
「それは助かりますね」
「発端は二つあります。どちらが先かはわかりません。一つは水利に関する問題です。丁度雪解けが進んで水が豊富にありますが、川から取っている水の量も多くなっていて、村の間で互いに水が多くなりすぎるのを恐れて水の押し付け合いが発生しています」
「なるほど。ではもう一つを」
「もう一つは山です。あの山は高くはありませんが、どこからどこまでが自分たちのところか曖昧なところがあり、木などに対して勝手に持っていくな、などという口論が発生している模様です。引き続き警戒します」
「忝い。是非、備えておいてください」
その言葉を聞いて、長老殿は戻っていった。
それから今度は直師に向かって言う。
「嘉兵衛と忠師を連れてきてほしい」
直師は一礼だけして、すぐに去っていった。
お京は不安そうな顔をしている。
そのような顔にさせないためにも、凛々しく戦わねばならないだと思った。
* * * * * * * * * *
争いは、"何か"に誘われたかのように、加速度的に迫っていた。
それに連動して、村の中を流れる空気も険しくなっていく。
その中にあって、主要な者たち――夫妻、主従と侍女――は落ち着いていた。
そこに嘉兵衛が飛び込んできた。
「申し上げます。件の村が実力行使に出る可能性があります」
「わかった。皆に伝えておいてくれ」
「はい」
嘉兵衛が去った後、妻――京子が口を開いた。
「いよいよかもしれないのね」
それに対し、夫――忠氏が答える。
「なるべく避けるようにはしたいけど無理だろうな」
主――忠氏の言葉に対して、従――直師が反応した。
「これが初陣となりましょうか」
忠氏は首肯してから、思い出したように言った。
「特別な事例……とくにあの女盗賊の一件を除けばそうなるな」
忠氏の暗い雰囲気で一同は、その件の中で彼が両親を失ったことを思い出し、口を噤んだ。
「親のことで気まずく思っているのであれば、気にしなくとも構わない」
場の空気を感じ取った忠氏は皆に告げた。
それから彼は京子に囁いた。
「それでもお京には気にしてほしい」
京子もまた囁き返した。
「もしやあの夜の……」
忠氏は苦笑して、ああ、とだけ返事をした。
それから二人は、己の親について語った夜――もう、随分と時が経ったかのように感じる懐かしい思い出を浮かべては、小さく笑った。
これから大変なことになる予感がするから今言うのだ、と前置きしてから京子は再び忠氏に囁いた。
「最近、体が少しだけいつもと違う気がする」
忠氏は少し驚きながらも心配そうな表情で語りかける。
「体を労わって……と言おうがあまり聞かないだろうが、せめて無理だけはやめてほしい。何かあれば医者に訊けば良い」
「そうあるように努めるけど、これから起こるであろう初陣は共に参りましょう。私は馬に乗れますし、その上から弓も扱えます」
「しかし、それでは……」
「あなたのすべきことは全体を見て動くこと、つまり後ろにいるべき。そしてその側にいれば当然、危険はない」
「直師と忠師もいる故、心配無用だ」
それから忠氏は全員に向き直って口を開いた。
「さて、策のある者はいるか」
「恐れながら」
沈黙を破ったのが、集まった中で最も経験のありそうな直師であったので一同は真剣な面持ちになる。
「とても単純なことではありますが、述べさせて頂きます。私は留守居を務めますので、残りの三騎――殿と奥方と倅で敵の周りを駆ければよろしいかと」
「その心は何だ」
「敵に騎馬は当然おらぬでしょう。ならば我らは騎馬の機動力で敵を撹乱すべきでしょう」
「なるほど。後は……飛び道具があれば気にかけるべきだが、それが良さそうだろう。他に意見はあるか」
皆が首を横に振っていたので、そのまま進めようとしたその時だった。
「注進!」
一人の男が飛び込んできた。




