第八話 雪の華
暫くの間、穏やかで慎ましやかな日が続いた。
だがそれは、
――――――――唐突に終わりを迎える。
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雪も解けてきた、如月の終わり頃には、村の皆は次第にその活動を活性化させていた。
しかし、何かをするにもまだ雪は多い。それ故、外に出る人はまだ疎らであった。ましてや客人など皆無に等しい季節。だが、その珍しいはずの客人は次々とやって来た。次第にその規模を増しながら。
はじめに訪ねてきたのは、嘉兵衛だった。どうした、と彼に訪ねても、無駄話をしにきた、としか言わず、そして正にその通りのことしかせずに帰っていく。このようなことが、ときに日を開けながら、何度かあった。
次に来たのは、じ……高忠師と直師父子だった。直師は歳が近いから、そのうち偏諱でもしたいが、今はしてもそれほど喜ばれないだろうから、まだ実行していない。二十年、いや十年以内にはしたい。
どうやら、また京で様々な人と会って、地遇を得てきたらしい。そこで閃いた。
「お京、特技を教えてくれないか」
「私の特技と言えば……茶と歌と弓と、あと料理を少々」
何を閃いたかというと、所謂銭稼ぎの方法である。いくら銭が汚いと言われていたとしても、その価値は高い。あるに越したことはない、というよりは、ないとこれからを考えにくい程のものだ。
茶の作法は、恐らく金にはならない。茶道教室をやろうにも、こちらでは需要がないであろうし、京に行くというのも無理な話である。今さら戻りたくなどない。仮にもお京がひとりで行くことなど、例え忠師がついていたとしても、到底呑めない。
歌も同じであろう。そもそも、売ったところで何にもならない。なぜなら、それを使ってしまえば、その者がしたことは盗作以外の何でもなくなるからだ。
弓は……言うまでもなかろう。
「他にはないのか」
「あとは……………………刺繍でしょうか」
「それだ!」
「どうしたのですか」
お京との会話の前に忠師との話を先につけておくことにした。
「忠師。金に余裕のある貴族、または商人で、お主が知っておる者はいかほどいるか」
「仲の良い者であれば……ざっと十名、知っております者であれば、その倍以上かと」
「その中で刺繍を必要とする貴族や刺繍を扱いそうな商人はどれほどだ」
「先ほどの半分ほどでしょうか」
「忠師!」
「はい」
「急ぎ、京へ行き、布や糸、その他必要なものを買ってこい。金は……」
今の生活は、正直なところ豊かとはいえない。だが一つだけ、心当たりがあった。親からの、最後の贈り物の中に、金があったはず。
それを急いで持ってくると、忠師に渡す。
「これで頼む。刺繍の売上の二割は好きにせよ」
「お言葉ですが……」
忠師が何か言わんとしているのを、意図的に遮って続ける。
「儲けが大きくなれば、取り分はその倍とする。励め」
「お言葉ですが……」
自分の言いたいことを言い切ってから、今しがた気づいたばかりの体で答える。
「どうした」
「某が金をどのように使うのかは、某自身が決めてよいのですね」
この時は、無論、答えは肯定で、何とでもないようなことだと思っていたが、後から思えば、爺の違う意味での恐ろしさが、ここには隠れていたのだろうと思う。
忠師が連れてきて後ろに控えさせていたのだから当然なのだが、そのすぐ後に来たのは、彼曰く腕のいい大工だった。
というのも、以前、家についてお京と話していたことを思い出して、忠師に頼んでおいたのだった。
建設予定の場所は、今と同じ小川を背後に頂く、今の家の隣にある空き地ということになっている。忠師が去ってから、三人で長らく打ち合わせた。なかなか良い出来になりそうで、楽しみである。
この大工は、様々なことを考えていて、屋敷を大きくわけて五つに分けた。
一つ目は、完全に私的な空間。ここはかなり奥まったところに作り、安全性がとても高い。
二つ目は、執務の為の空間。屋敷の中央に位置し、利便性が高い。
三つ目は、対面の間。基本的に客人を迎えるときは、ここに通す。無論、大広間のような大それた空間ではなく、客間のようなものになる。これは正面に作られる。
四つ目は、私的な空間から今の家につながるところに作る、多用途な空間で、なんと生け垣で前側を覆うことになっている。主な使用目的としては、今のところは、洗濯だろうか。家族が増えたら剣術を指南してやりたい。
五つ目は、今までの家とは反対に作る簡素だが倉のようなものを建てる。暫くは農業用だろうと思う。
一応、これからのことを考えて少し野心を入れた気で考えた。ただし大工が、間が悪そうにしているのが気になる。如何なされた、と問うても、有耶無耶な返事しか返ってこない。
ただ、予想通りだったのだが、費用の話となると交渉は難航した。
そちらの方面については、また後々話し合うことになり、翌日、一度村から帰っていった。
最後のお客様は、それはそれは、かなり盛大な贈り物を持って現れた。
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形容するならば、蛸であろう。見れば見るほど蛸にしか見えてこない。その上、剃髪している。これでは蛸のような入道で、蛸入道としか言えないと思うと、思わず吹き出してしまいそうだが、そのようなことばかり考えてはいられなかった。
状況が整理できていないので、一度整理することにした。
朝、お京と二人で外に出た。まだ雪があるにはあるのだが、昨晩までは一寸ほどしか積もっていなかったところに一晩雪が降ったところで特に変わったことはない。その所為で、雪駄で歩けば心地よい新雪の音が出るだけで何ら不自由なことはない。
それから暫く歩いていくと、見慣れない人物に遭遇した。
声をかけてみると、このあたりで、村長に就いたばかりの者を探しているのだと言っていた。
私のことでしょうかと言うと、彼はおもむろに懐から何かが書かれた紙を出し、首肯した次の瞬間――――
――――少しだけ、懐かしい感覚に襲われた。
ほんの少しだけその感覚に浸っていると、お京に裾を引かれてこの感覚の正体に気付いた。
だが、その頃には時すでに遅し。
周りには、自分とお京を囲む敵がいた。
表向きは何とでもないような表情を作って、此は如何に、と問う。
しかし蛸入道は黙って鯉口を切った。
その様子を見て、最早解決の兆しなしとみた。
それから黙って鯉口を切り、そのまま直ぐに抜刀し、斬りかかった。
特に失敗はなかった。だが、入道はそれをそのまま受け止めた。
それを合図に、囲んでいた他の五名が一斉に動いた。
そのまま次に手首に傷を軽くつけてからお京の許に戻った。
お京は既に懐から短刀を取り出していたが、どのように考えても分が悪い。
一人で切り伏せることは容易いが、それではお京に危害が及ぶ。
そこで、ここはお京を信じることとして、脇差をお京に差し出した。無論、断る暇などなく、受け取るや否や背を寄せ合い、異なる方を向いた。
――真っ白な雪の中に、真っ赤な華が二輪、同時に咲いた。それからまた二輪咲いた。
そして残った四人はそれぞれが目の前だけに集中した。
お京が残りの一人に斬りかかったのと時を同じくして、少しの間動きを封じた入道に、再び懸かる。
このとき、普段出さないような声を出してしまった。
それに反応したお京はちらりとこちらを向いた。
お京の敵はその隙を見逃す訳もなく、お京の情勢はたちまち悪化した。
ここにおいて、敗北とは即ち「死」である。
お京がその危機に陥ったので、我が身を顧みずにお京のところまで飛んでいった。それから腰に深々と亀裂を入れると、白地に紅の斑点が多くできた。
その勢いのまま振り返ると、既に入道は大きく振りかぶっていた。それも、自分に向けてではなく、お京に向けて、であった。
また考えるよりも先に動いた。
寸分の迷いもなくお京を蹴飛ばした。
お京の身体が強かに雪の中に落ちた。
その直後、入道の刀が中空を斬った。
その隙を逃さずに入道の両足に狙いを定め、両足を刀で攫った。
そして手首を二つ落としてから、生涯初めての尋問を始めた。
辺りの雪には、真紅の華が咲き乱れていた。