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オマエガコロシタ

 それからというもの、ボクは無為な日々を過ごした。


 寝室に運ばれてくる食事を機械的にとり、何もせずに窓を見つめ、朝から夜に移り変わる様子を眺め続ける。そして眠りにつき、また次の朝を迎え、また似たような一日を過ごす。


 まるで同じ日を何度も何度も繰り返しているような錯覚を覚える。


 でも、時折ライライや、皇女殿下が部屋に来てくれるため、どれくらい時間が経ったのかは知っていた。


 一週間……二週間…………一ヶ月。


 何も変わり映えしない日々に、ボクは一ヶ月も費やしていた。


 それでもなお「出て行け」と言わない宮廷の配慮が、ありがたく感じる。


 ああ、そういえば、こういう生活、初めてじゃなかったなぁ。


 ……前世でさんざん経験した生活ではないか。


 不治の病という鎖をはめられて生まれてきたボクは、毎日を病院で過ごした。


 毎日同じようなものを食べ、毎日本を読んだりして時間を浪費し、眠り、また同じような一日を始める。それを十数年繰り返し、ボクは逝った。


 何の実りもない前世だった。


 けれど、この異世界に転生したとき、ボクを縛る病魔はなかった。


 まるで監獄から解放されたような気分で、ボクは毎日を楽しく過ごした。


 いろいろと困難もあったけれど、ボクはそれさえも面白がっていたような気がする。


 そんな楽しい毎日が、ずっと続くと思っていた。


 ……しかし、また新しい鎖が、ボクを縛っていた。


 そして、また現世のように、変わり映えしない人生を送ろうとしている。


 時折、そんな自分に強い嫌悪感を抱く。そうして拳をぎゅっと握りしめる。


 その拳の握り方は、師匠から教わった、人を打つ時の正しい握り方だった。


 拳を作ると、思い出すのだ。武法に対する、強い意欲が。


 ボクの中には、まだ武法を愛する気持ちが残っている。


 だが、握ることはできても、突き出すことはできない。


 そんな拳に、いったい何の価値があるというのか。


 情熱が一転、強い自己嫌悪に変わる。


 握らなきゃよかったと、後悔する。


 そうしてまた今日も、無駄な一日を終えるはずだった。


 予期せぬ訪問者の存在で、ボクの一日に変化が起こった。


「……父様」


 この世界におけるボクの父親、李大雲(リー・ダイユン)だった。


 父様は冷厳な眼差しでボクを見下ろし、開口一番言った。


「帰るぞ」


「え……」


「実家へ戻ると言っているんだ。早く支度をしろ」


「なんで……」


 なんでボクを連れて行くのか。


 呆然と考えたその言葉を読んだように、父様は言った。


「もう武法はできないのだろう? ならここに留まっていても時間の無駄だ。さっさと家に戻ってこい」


 ……そんなことだろうと思った。


 この人には感情論は通用しない。できるか、できないか。それだけで物事を判断する。


 こちらの気持ちも知らないで。


 ふつふつと沸き上がってくる父様への苛立ち。


「……帰らない」


 その苛立ちを強引に押し留めたような呟きをボクは発した。


 が、その刹那、父様の無骨な手がボクの腕を掴んで強引に引っ張り込んできた。


「黙ってついてこい!! いつまでも血税を使った自堕落を許すつもりはないぞ!!」


 その無遠慮な力とやかましい怒声に感情を刺激され、ボクは久方ぶりにカチンときた。


 長年鍛えた腕の【(きん)】の馬力にものを言わせ、父様の手を振りほどく。父の無神経な厳つい顔を真っ直ぐキッと睨めつけ、ボクは溜め込んだ体内の毒素をぶちまけるように言いつのった。


「うるさいな! 分かったよ! 出て行くよ! とっとと出てけばいいんだろ! 今日限りで出て行ってやるよ!! だからもうボクに構うな!! あんた一人で帰れ!!」


「シンスイ!!」


「やかましい!! とっとと消えろよ!! もう目障りなんだよ!! 耳障りなんだよ!! ボクは昔からあんたが大嫌いだったんだ!! 同じ空気を吸うのだって嫌なほどだよ!! あんただって、自分の思い通りに動かない娘なんか要らないんだろ!? だったらとっとと勘当にでもなんでもしたら!? その方がボクも清々するよっ!!」


 バシッ。


 平たい衝撃が頬を殴った。


 父様に横っ面を叩かれたのだ。


 全然痛くなかった。


 父様の顔を見上げる。そこにはいつものような、厳格な官僚然とした表情はなかった。まるで、何か恐ろしいものを見るような、そんな顔でボクを見つめていた。


 どうしてそんならしくない顔をしているのか。


 そんな風に問う余裕は、今のボクにはなかった。


「……どけよっ!!」


 黒々とした衝動のまま、ボクは父様を押し退けて部屋を飛び出した。


 まだ寝衣だし、髪も下ろしっぱなしだ。だけど、そんなの構ってられなかった。


 ちくしょう! ちくしょうっ!


 悔しくて恥ずかしい。


 あんな子供の癇癪みたいな返し方しかできない自分が情けない。


「くそっ!!」


 目的地も定まっていないまま、ボクはただひたすらに走り続けたのだった。







 いったい、どれだけボクは走ったのだろう。


 気がつくと夕方になっており、ボクは森の一角に迷い込んでいた。


 薄闇が溜まったような場所だった。乱立する広葉樹の梢が重なり合って天蓋のようになっていて、その隙間から夕空が覗ける。


 ここはどこだろう。知らない場所だった。


 いや、この森がどこにあるのかは覚えている。帝都の東に広がっている森林地帯だ。そこへ入ったところまでは記憶にあるのだが、そこからは闇雲に走ったので、道のりは全然覚えていない。


 どれくらい走った末に、ここで立ち止まったのだろう?


 息はあまり上がっていなかった。武法による呼吸法の鍛錬によって、ボクは普通の人よりかなり疲れにくくなっている。呼吸の荒さは手がかりにならない。


 ここは分からない、知らない場所だ。


 どうやったら戻れるのだろう?


 誰も教えてはくれない。それを知るには、この森の中を進むしかない。だがそれは、さらなる迷いと隣りあわせの行動だ。


「……もう、戻らなくても、いいか」


 ボクの全身から力が抜けた。まるで何かから解放されたような清々しさを覚えながら、バタンと大の字に寝転がった。


 もう、何もかもがどうでも良くなってしまった。


 武法ができなくなった。かといって【黄龍賽(こうりゅうさい)】を諦めるでもなく、父様について行くでもなく、中途半端な立ち位置を見苦しくたゆたっている。


 もう、全てを捨てて、一からやり直したかった。


 これは「諦め」だ。


 諦めると、人はこんなにも心地良くなれるのだ。


 ああ、これ、前世でも味わったなぁ。


 前世の父さんは、わがままを言うボクをこっそり外出させたせいで、母さんと看護婦さんに怒られてたっけ。それ以来、ボクは外に出たいと言わなくなったし、思わなくもなった。


 諦めたのだ。


 それが叶わないと悟り、足掻くのをやめると、こんなにも楽だ。




 ……本当にそれでいいのか。




 心の内にいる、もう一人のボクが訴えかけてくる。


 だって、どうしようもないじゃないか。


 体が動かないんだ。


 技を習得してても、それを普通に使えないのでは、習得していないのと同じだ。


 ボクの体は、武法を捨ててしまったのだ。


「どうしようか……」


 だけど、武法を捨てたにせよ、このまま何もせずにというわけにはいかない。


 人間、黙っているだけでも腹が減るし、喉は渇く。何もしないままではいられないのだ。


 どうしたものかと考え始めた時、カサカサと草をかき分ける音が、木立の闇の奥から聞こえてきた。


 ボクは思わず身構える。獣だろうか、それとも人?


「ご機嫌よう——李星穂(リー・シンスイ)


 後者だった。


 出てきたのは、上品な佇まいを保つ、麗人っぽい女の子だった。

 雪のような白髪を短めにしており、前髪の下には中性的だが上品に整った顔立ち。眼の色は血を固めたような真紅。


 その眼を見た瞬間、ボクの心臓が飛び跳ねた。


 血のような赤い眼。それは、ボクがここ最近強く妄想する……眼窩に血を溜めた亡者を連想させた。


 手が震える。足がかすかに笑う。呼吸が乱れる。


「あな、たは?」


 かろうじてそう聞けた自分のことを褒めてやりたい。


 だが、そう尋ねてから、ボクは遅れて気がついた。……彼女はボクを「李星穂(リー・シンスイ)」とはっきり呼んだのだ。つまり、あっちはボクの事を知っている。


 もしかして、帝都の争乱後にできたボクのファンだろうか? だとしたら、こんな情けないボクを見て幻滅したことだろう。


 しかし、口元に手を当て、妖しさを感じさせる笑声をクスクスこぼしている所を見ると、ボクのファンであるという仮説はすぐに吹っ飛んだ。


 極め付けは——左腰の鞘から稲妻のように引き抜かれた短剣。


「うわ!」


 赤眼の女は突風のように身を寄せ、抜剣と流れを合わせたなぎ払いを放ってきた。大きく後ろへ跳ね、どうにか当たらずに済んだ。


 凶刃を当て損ねた女は小さく舌打ちしてから、ニヤリと禍々しく口角を吊り上げた。


「反応速度は獣並みですわね。ですが、こうでなくては(たの)しくない」


「なんだ君は……何をするんだ!?」


 ようやく反論が口から出た。


 赤眼の女は立ち方を一度正してから、次のように名乗った。


「申し遅れましたわ。(わたくし)の名は趙緋琳(ジャオ・フェイリン)


 その名を聞いた瞬間、ボクの中の警戒心が一気にピークに達した。


 半身の立ち方をとりながら、


「君が……あの趙緋琳(ジャオ・フェイリン)か」


「あら? 私のことをご存知でしたの? ふふっ、ならば好都合ですわ」


 言うや、フェイリンは手元でくるくると短剣をもてあそぶ。


 雅に微笑んでこそいる。だが、ボクを真っ直ぐ見据えるその眼は、全く笑っていなかった。


「私は、今回帝都を襲った武装集団『琳泉郷(りんせんごう)』の指揮官。そして——貴女が殺した琳弓宝(リン・ゴンバオ)の義理の娘ですわ」


 ぞくっ。


 全身の毛が、針のように立ったような錯覚を覚える。


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮める。


「私が、どうして脱獄なんてしたのか、分かりますかしら?」


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮める。


「愛しのお義父様を殺めた仇を探しだし、この手で意趣返しをするためですわ」


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮める。


「仇……すなわち、貴女を殺すためですわ」


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮める。


「貴女がお義父様を殺した」


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮める。


「貴女がお義父様を殺した」


 ボクは一歩下がる。フェイリンは一歩縮めてくる。


「貴女が…………お前が殺した!!」




 ——オマエガコロシタ!!




 妄想した血眼の亡者と、目の前の赤眼の女。


 それらの姿が、ぴったりと重なった。


「う…………うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 背筋に絡みついてくるような恐怖感に駆られ、ボクは泣きながら逃げ出した。


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