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スイルンとフェイリン

 【尚武冠(しょうぶかん)】正門前では、今なお防衛班と黒服が、熾烈な攻防を繰り広げていた。


 駆けつけた趙緋琳(ジャオ・フェイリン)によって大幅に減らされた防衛班は、再び元の勢いを取り戻していた。数の優位という利点はなくなりつつあるが、それでも黒服を正門の向こうには行かせまいと、己が身を矛と盾にして奮戦していた。


 下火となっていた防衛班の士気が、再燃している理由。


 それはひとえに、フェイリンという難敵を——劉隋玲(リウ・スイルン)が圧倒しているからに他ならなかった。


「はっ!!」


 フェイリンが爆ぜるような吐気とともに、拳三発、掌底二発を文字通り「同時に」放った。「素早く五発打った」というより「拳三つと掌二つを一緒に出した」と言っても過言ではない尋常外の速度。——五発技を出すときにかかる「五拍子」を、【琳泉把】の能力で「一拍子」分の時間の中に圧縮させたからこそできる芸当だった。


 剣山のごとく、スイルンの眼前を覆う拳掌。


 しかしスイルンには、どれ一つとして刺さることはなかった。やってきた拳掌はすべて、スイルンの体を避けて通るかのように空を切った。


 しかしフェイリンは怯むことなく、次の「一手」に移った。一拍子の間に五回放った蹴りは、「五手」ではなく「一手」と呼んでさしつかえない脅威的速度でスイルンへ襲いかかった。死角を覆い尽くす位置へ突き進んだ蹴りは、逃げることを許さない檻のようだった。


 しかしである。スイルンはまたも回避して見せたのだ。体を蛇のようにしならせ、両腕を左右に開くという滑稽な動きをしたかと思ったら、自分が一瞬のうちに放った五発の蹴撃がすべてスイルンにかすりもせずに、明後日の方向へ流れたのだ。


 複数の拍子を「一拍子」に圧縮させる【琳泉把】。それを使った後、一瞬だが動作の流れに「断絶」ができる。その隙間を的確に突く形で、スイルンはこちらの間合いへ滑り込み、掌底を叩き込んできた。


 ——しかし、「断絶」を突かれてやられるのは、あの黒服の雑兵のように、劣化版の【琳泉把】を教わった半端者だけだ。自分と、その師でもある義父は真伝を受けているため、「断絶」を守る技術を身につけている。


 脚を脱力させ、スイルンの掌底を己の両掌で受け止め、その勢いを利用して後ろへ下がって距離を取った。


 転がって受身を取りながら、フェイリンは胸中に当惑を渦巻かせた。


(一体なんなんですの、あの動きは……!?)


 未だに、自分は一度もスイルンからまともに攻撃を受けていない。けれども、それでも、スイルンの異質な動きには緊迫を覚えずにはいられなかった。


 少し先の未来を見ながら動いている。


 そうとしか思えない身のこなしだった。


 フェイリンが仕掛ける直前、スイルンは決まってヘンテコな構えを取る。だが、そのヘンテコ極まりない姿の彼女を、自分の拳脚は少しも捕らえることができず、彼女を避けるように空を切る。


 ……未来を見ているとしか思えないほど、彼女の回避は変則的で、かつ確実なものだった。


 フェイリンはすぐに起き上がり、再び駆け出した。


 間合いに敵を捉えた瞬間、【琳泉把】を発動。拳や蹴りを、目にもとまらぬ速度で連打する。


 が、スイルンはまたも雨のごとき連撃の間隙をかいくぐり、懐へと入り込んできた。


 真正面から掌底――と見せかけて横合いへ移動された。スイルンはフェイリンの胸に右腕を添えると、足底の捻りから発生させた螺旋の勁力のまま回転。その舞踊のごとき美しい動きの渦中にフェイリンを巻き込んだ。


 小さな台風に巻き込まれるままフェイリンは回転させられる。回転が斜めにかたむき、フェイリンの身体が落下の軌道をとる。さらに真下から膝蹴りが来ることを察知した時には、後頭部に【硬気功】を施していた。スイルンの小さな膝がその部位へ直撃。


 美しくも悪辣な技法。それをこんな年端もゆかない少女が発したのだと思うと、肝が冷える思いだったが、今は何も考えず、防いだ膝蹴りの勢いを利用して身体を持ち上げ、そこから素早く「一拍子」で五歩距離を離した。


 一度対策を考えようと退いたわけだが、相手はその暇を与えてくれなかった。五歩退ききったのとほぼ同時に、フェイリンの眉間に石つぶてがぶつけられた。痛くは無かったが、いきなりの投石に身が一瞬すくんだ。


 その「すくみ」は、スイルンにとっては隙だった。即座に肉薄してきた小さな体が、自重を勢いよく衝突させる形で拳を叩き込んできた。 


「っがっ……!」


 小柄な体躯に不釣り合いな重い一撃で、胴体の表から裏へ衝撃が響く。フェイリンは激痛に苛まれながらも気をしっかり持ち、足で地を掴む。

 

 追い打ちをかけようとしてくるスイルン。


 間合いの奥底へやってきた瞬間、フェイリンは瞬時に頭の中で攻撃法を組み上げ、それを即座に実行に移した。


 「一拍子」の中に圧縮できる「五歩」を用い、スイルンの周囲を巡りながら拳を叩き込む。ぐるりと全方向を一瞬で囲んだその攻撃は絶対に避けられない。


 そのはずだった。


 しかし、この幼女は違った。


「な――!?」


 全方向から同時に放ったフェイリンの拳は、スイルンにかすりもしなかった。


 訪れた「断絶」。フェイリンは驚きつつも、防御を忘れなかった。両掌を前に構えて備えたが、その先にあの幼女の姿はない。――当然だ、構えられた両掌の「内側」にいたのだから。


 膝蹴りを放とうと考えるが、それは思考倒れとなった。


 ドフゥンッ! と打ち込まれたスイルンの双掌打が、それを許さなかった。


「あ――」

 

 なんとも形容しがたい不快感を伴った痛みが、全身に染み渡った。——浸透勁(しんとうけい)。双掌という大きな「面」に込められた勁は、肉体という名の巨大な水袋の内に波動を発生させ、内部に損傷を与えた。


 数歩たたらを踏んで距離を取る。己の意思とは関係なしに、片膝を付いてしまった。


 ――強い。


 単純な武技の腕も一流だが、この幼女の恐ろしさは他にもある。


 的確に相手の「隙」を突こうとする積極性、胆力。


 極めつけは――未来予知と言っても過言ではない、異常な攻撃予測能力。


 否。「未来予知」そのもの。


 もう疑いようがない。


 彼女は、こちらが行う数手先を先読みできるのだ。


 その能力に類似したものなら見覚えがある。この陽動作戦のために雇った凄腕の武法士、周音沈(ジョウ・インシェン)だ。あの男は、わずかな【気】の揺らぎから攻撃の意思を察知し、その上でいち早く行動を起こせる。


 だが、この幼女は違う。

 インシェンのように「攻撃してくるのが分かる」などという曖昧なものではない。

 「これから、この位置へ攻撃してくるのが分かる」といった、より具体的な先読み。


「貴女……何者、ですの……!?」


 そう訊かずにはいられなかった。これほどの使い手、煌国に知れ渡っていないわけがないだろう。聞けば分かるはずだ。


 スイルンは、何を考えているのか読めない無表情のまま、淡々と答えた。


劉隋冷(リウ・スイルン)。【道王山(どうおうさん)】で【太上老君(たいじょうろうくん)】の椅子に座っている」


 心音が高鳴った。


 とんでもない怪物と相対してしまった、と猛烈な危機感を抱いたからだ。


 【太上老君】が【黄龍賽(こうりゅうさい)】に参加しているということは噂に聞いていた。が、それとこんな形で会うことになるなんて。


 彼女の武法は、未だに世間には公表されていない門外不出の技ばかりだ。あの未来を見ながら避けたとしか思えない動きも、その「門外不出の技」の一つなのだろう。


「うっ……!」 


 浸透勁で受けた内傷の痛みが再発。数度よろけてしまう。


 まずい。このままでは負ける。この幼女は、自分一人の手に余る存在だ。


 それならば――


 フェイリンは懐から、掌におさまるくらいの角笛を取り出した。それを思い切り吹いた。


 (とび)の鳴き声にも似た甲高い音が戦場に響き渡り、それに黒服たちが反応を示した。――この音が出る笛を持った者が「指揮官」であると、義父からきちんと教えられている証だった。


「お前たち、【尚武冠】を攻めるのは後回しです! まずはこの小娘を八つ裂きになさい!!」


 フェイリンの指示が飛んだ瞬間、黒服たちは正門を守る防衛班から距離を取り、スイルンを一斉に見る。


 標的を確認した瞬間、黒服たちは津波のごとくスイルンへと殺到した。


 防衛班が、あわてて駆け寄ろうとするが、


「防衛班、そこを動くなっ!!!」


 スイルンの一喝を聞いた瞬間、すくみ上がったように動きを止めた。これまでのぼんやりした彼女らしからぬ、近距離で響いた雷鳴のごとき声だった。


 良い判断だ、と感心しつつも、彼女のこれからを憐れんだ。これほどの人数で一斉に来られれば、いかに未来予知に等しい先読みができたとしても必ず隙を突かれる。隙を全く作らない人間など、この世にはいないのだ。


 黒服がスイルンの間合いに徐々に近づき、やがて接した。


 迫る剣尖。それを何ともなしに避けた後、今度は軽く身を反らした。頭があった位置を、一瞬後に剣が貫いた。


 黒服が弧を描きながらスイルンの後方へぐるりと回り込んだ。完全に周囲を囲まれた【太上老君】。


 集まった黒服たちは、互いに斬り合わぬように円の空間を作り、その中にいるスイルンへ次々と刺突を繰り返した。


 しかも、ただ剣を突き出しているだけではない。

 「突いて」、「引く」――この二拍子かかる動作を、【琳泉把】の能力で「一拍子」の時間で行っている。なので、一人一人が刺突を連続させる速度が速い。


 スイルンは何ともなしに避けているが、この無数にやってくる剣尖を、一体いつまでしのぎ切れるのか、見ものである。


 それに、彼女は今、避けるばかりで、攻撃ができない。当然だ。攻撃を行えば、その瞬間が隙となり、一斉にメッタ刺しにされるからだ。


 だが――


()ッ」


 不意にスイルンが、細い気合いを発した。


 一体なにごとかと思った瞬間――黒服の一人が突然倒れた。


「哈ッ、哈ッ、哈ッ、哈ッ」


 さらに四回、またその細い気合いを吐き出した。その吐き出した回数と同じ数だけ、黒服が倒れゆく。


 いったい何事かと思って、倒れた黒服を見ると、その耳を覆う黒い布から——血がにじんで垂れていた。


 フェイリンは驚愕とともに、今の気合いの理由を確信した。スイルンは特殊な呼吸法で自らの声の振幅を細め、それをあの黒服の片耳に突き刺すように当てたのだ。それで鼓膜が破れ、身体の均衡を保つ身体機能が狂ったのだ。


 突然倒れた仲間たちに、黒服たちは動揺を見せた。一瞬、刺突の雨が止む。


 その「一瞬」を、スイルンは有効活用した。倒れた黒服へ転がり込み、剣を素早く奪い取る。右手に持ったその剣を上に横薙ぎにし、数人の敵の首筋を斬った。


 突如として咲き誇った血の華々に、黒服に再度の動揺が走る。その隙にもう四、五人斬り捨てる。


 ようやく我に返った黒服たちは、種々雑多な怒号を上げながらスイルンに殺到。


 しかし、四方を取り囲むという利点を捨てた連中に、勝機は薄かった。まして、スイルンは数手先の未来が読めるのだ。


 避けながら、剣で攻撃する。その二つの動作を同時に行い続けるだけで、黒服の死体がもりもり増えていく。スイルンは無傷。


 その様子を見て、フェイリンの中に猛烈な危機感が生まれた。


 数の有利はまだこちら側にある。しかし、スイルンの持つ「個の力」は数すら圧倒するだろう。おまけに、その数もどんどん減ってきている。


 この連中を見捨てて逃げるか――いや、それではスイルンに勝つことはまずできないし、陽動にもならない。

 自分は逃げて、黒服たちには再度目標を正門にして攻めさせるか――それもダメだ。それをスイルンが座視しているとは思えない。

 スイルンは自分一人で引受けるか――論外。負傷した自分では、勝ち目は黒服連中より低いだろう。


 頭の中にいくつもの策が浮かんでは消える。


 最後に、苦し紛れに思いついたのは――黒服全員と組んで、スイルンを殺すという手だった。


 それくらいしか、もうできることが無かった。


 しかし、やらなければならない。


 この女は危険だ。ここで殺しておかなければ、陽動に支障が出る。


 死ぬかもしれない。


 けど、構わなかった。


 愛しいあの人の――お義父様のためなら、(わたくし)は死すら厭いません。


 フェイリンは意を決した。黒服の亡骸が持っている剣を拾い上げる。


 闇雲には突っ込まない。慎重に目を凝らし、攻め入る隙をうかがう。それでいて、五拍子を圧縮した「一拍子」で踏破できる範囲内に、常にスイルンの立ち位置を置いておく。


 剣戟を繰り広げるスイルン。ガリガリと削られていく黒服の軍勢。


 見続け、見続け、見続け――見つけた。スイルンが、足底を蹴って生んだ勁力を剣尖に送り込もうとした、まさにその途中。攻撃を行おうとしている最中、人は嫌でも無防備となる。


 フェイリンは一切の迷いなく疾駆。吸い込まれたような速度でスイルンの姿が視界で急激に大きくなり、我が剣尖がその喉元へまっすぐ差し迫った。


 当たる。そう確信した。


 が、




『そうくると思っていた』

 



 スイルンの唇が、そう動いた。


 それに合わせたかのように、直前に斬り殺された黒服の亡骸が横倒しとなり、フェイリンの刺突を阻んだ。――しまった、誘い込まれた!


 剣が亡骸に突き刺さった。それでもフェイリンはあきらめない。その死骸を貫き通し、そのまま後ろにいるスイルンごと串刺しにしてやる。


 確かにフェイリンの今の刺突には、それができるだけの鋭い勁力が込められていた。


 惜しむらくは――死体を通してしまったことで、剣尖の速度が落ちてしまったことだろう。


 二人目に刺さる感触は、剣を伸ばしきった後も感じなかった。


 剣を引き抜こう。そう考えた時にはすでにスイルンに近距離を取られていた。


「かは……っ!」


 抵抗する間も与えられず、柄頭で経穴を突かれた。【発困穴(はっこんけつ)】という経穴だ。


「殺さない。あなたには聞かなければならないことが、山二つ分くらいある」


 どこまでも淡々としたスイルンのその言葉を最後に聞いてから、フェイリンの意識は深いまどろみへと引きずり込まれていった。


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