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異常事態

 休みが何日増えようとも、時は過ぎるもの。


 来るべき日が来るのは、避けられぬもの。


 知っているはずなのに、それを認めたくはない自分がボクの中にはいた。


 これから始まる決勝戦。最後にして最強の敵との戦い。


 あと一試合。されど一試合。


 これまで楽な戦いなんてものはほとんどなかった。けれど、今回の劉随冷(リウ・スイルン)との戦いは、これまで以上に厳しいものになることが約束されていた。


 彼女には、相手の未来の動きを読む『看穿勁(かんせんけい)』という能力がある。この能力の前では、今まで通じていたあらゆる技が否定されてしまう。


 しかし、それでも引き下がるわけにはいかない。


 もし負けを認めれば、ボクは武法をやめなければいけなくなる。父様の狙いに乗ってしまう。


 それはもっと嫌だった。


 だからこそ、とうとうやってきたその日になっても、うろたえず、闘技場に堂々と姿を現した。


 司会役の官が、これまで以上に生き生きとした声で言った。


『さあ、長いようで短かった【黄龍賽(こうりゅうさい)】も、いよいよ大詰め! その最後の一戦を飾るのは…………この二人ですっ!!』


 どぉっ!! これまでにない最高潮で歓声が爆発した。


 すり鉢状に広がる観客席と、その底辺に広がる闘技場。


 闘技場の中心に立つ二人の武法士——ボクとスイルン。


『かたや、【道王山(どうおうさん)】の中で最強の称号【太上老君(たいじょうろうくん)】を継いだ天才! かたや、無名流派であるにもかかわらず、怒涛の勢いで勝ち上がってきた若虎! 勝つのはどちらか、これから決まります!』


 歓声がまたも爆発した。


 しかし、ボクもスイルンも、そんなものは気にならない。


 気になるのは、目の前の相手のみ。


「提案。李星穂(リー・シンスイ)、あなたには考えておくべき事がある」


 不意に、スイルンが喋りだした。


「……なに?」


「あなたはこれから、自分の身の振り方を考えておくべきだ」


 含んだ物言い。だが、何を含んでいるのかが明らかなその物言いに、ボクはムッとする。


「あなたは強い。けれど、わたしはさらに上の境地にいる。あなたが勝てる道理は絶対にない。あなたはこの【黄龍賽】で負けたら、官吏になるための勉強をさせられるそう。そんな父君の思惑に乗るか、家を捨ててでも我を貫き通すか、そういった事を今から考えておくべき」


 なるほど、お優しいことを言ってくれる。


 けれど、それは全て、スイルンが勝つという前提で出された提案だ。


 はらわたが煮えくり返る。挑発なのか素なのか知らないが、あまりにボクを甘く見ている。


 怒気をしずめ、真顔で淡々と言い返した。


「君こそ分かってるのかな? ……これ、みんなが見てるんだぜ? こんな公衆の面前で君が醜態をさらしたら、【道王山】の名に傷がつくんだよ? それなのに、なんでそんな他人事みたいに言ってられるのか、ボクは不思議でならないよ」


 スイルンはあくまで無表情。

 けれど、彼女は【道王山】の最秘伝【太極把(たいきょくは)】の実力を世に知らしめるために、こんな俗っぽい大会に出ているのだ。ボクの今の言葉を、彼女は内心では重く受け止めているはず。


「【雷帝】の技を、あまり舐めるんじゃない」


 そう鋭く言いつつ、ボクは内心である葛藤をしていた。


 【琳泉把(りんせんは)】を使うべきか否か——という葛藤を。


 一動作の中に必ず一つ存在する「拍子」。

 複数の拍子を「一拍子」の中に圧縮し、相手の数分の一の時間で動くことができる破格の武法【琳泉把】。


 これを使う事ができたなら、この試合での勝率はぐんと上がる。未来の動きを読まれたとしても、スイルンが対応しきれないだけの速度で動けば攻撃は通るからだ。


 しかし、これはいまだ、朝廷による使用禁止が解かれていない違法な技だ。もし使ったことがバレたら、ボクは優勝すると同時に捕まるだろう。


 一方で思う。皇族の方々は、【琳泉把】を実際で肉眼で確かめたことがあるのか、と。


 先代皇帝『獅子皇』こと煌刻(ファン・クー)は、【琳泉把】の情報を徹底的に闇に葬った。なので、その情報は皇族とボク以外に持っていないと言える。


 しかも、皇族が持っているのはあくまで「情報」のみ。その目で【琳泉把】を見たわけではあるまい。なにせ、【琳泉把】は根絶やしにされる前から、みだりに見せることを禁じていた極秘伝の武法だったからだ。


 つまり何が言いたいかというと、「使ってもバレないのでは?」ということだ。


 けれど、万が一の可能性も考えてしまう。


 どうしたものか。


 だが、それ以上悩んでいる時間はなさそうだった。


 司会役が、口を開いた。


『では、今年の【黄龍賽】を締めくくる、最大最後の一戦! その火蓋を切る役を、この私が引き受けましょう! なんと光栄な役回りでしょうか! 大変緊張し、興奮を禁じ得ません!! それでは、【黄龍賽】決勝戦————始めっ!!』


 試合開始の合図と同時に、銅羅(ドラ)——ではなく、「鐘」が鳴り響いた。


 カーンカーンカーンカーン!!


 甲高く、耳に突き刺さるような鐘の音が、危機感を煽るように連続で鳴らされた。


 なんだこれは。決勝戦は、こんな風に始めるのか?


 しかし、観客もみな鐘の音にざわざわと動揺しているようす。その中には、去年の【黄龍賽】決勝を見た者だっているはず。


 つまり、この鐘の音が決勝戦開始の合図である可能性はないと言っていい。


「これは……緊急」


 そう発したのは、スイルンだった。


 常に何を考えているのか分からない無表情な彼女だが、今は微かながら、緊張感が見てとれた。




 ◆◆◆◆◆◆




 ——その鐘が鳴らされる、約三十分ほど前。




 菓子売りの竹江(ジュー・ジャン)は、ところどころ小さなシワのついた壮年の顔に満ち足りた表情を浮かべていた。


 今日も店先はてんやわんや。皿に乗った甘味の数々を並べた長い勘定台の前には、長蛇の列ができていた。


 【黄龍賽】本戦が始まってからは、列が伸びているのがはっきり分かった。遠方から武法士たちの戦いを見に来た見物客だ。


 その【黄龍賽】も、そろそろ決勝戦が始まるだろう。客から聞いたところだと、勝ち残ったのは【道王山】の頂点に位置する武法士と、【打雷把】とかいう聞いたことのない無名流派の少女の二名だという。


 けれど、武法のことに疎いジャンはそれを聞いてもうまく理解ができないし、しなくても良いと思った。自分が関わることは、まず無い世界だろうから。


 それに、自分の戦場は彼らとは違う。自分の戦場はこの店だ。


 ただ菓子を売っていれば良いというものでは無い。おんなじ品物ばっかり売っていたら、いくら美味くともいずれは飽きられる。なので創意工夫を重ね、飽きられぬ努力が必要なのだ。『甜雲包(ティエンユンパオ)』、『彩饅頭(ツァイマントウ)』、『柔琥珀(ロゥフーポー)』などといったものも、その創意工夫の産物である。


 ジャンにとって、それは戦いであると同時に、楽しみでもある。


 この店で商売をしていることこそ、ジャンにとっての幸せなのだ。


 そう——『獅子皇』による蛮族征伐に巻き込まれ、生まれ故郷ごと全てを失った昔のジャンには、とても想像がつかなかったであろう生活だからだ。


 「皇帝陛下の勅」という(にしき)の御旗のもと、食料品などを全て国軍に接収された。さらにその地も戦火に見舞われて焼け野原になった。何もなくなったその時から、今の生活にいたるまで、少しずつ努力を重ねてきたのだ。


 この国を恨まなかった、と言えば嘘になる。けれど、恨みを抱いたところで、自分のような一介の庶民に何ができようか。結局、皇族などといった「大きなもの」の意思と折り合いをつけて生きていかねばならないのだ。


 それに、すでに過去のことだ。今はこうして生活を立て直せているため、それでよしとする。


 だが、そうやって折り合いをつけきれない者も、中にはいた。


 そういった「国への恨みを忘れられぬ者たち」が秘密裏に団結し、いつか朝廷に対して反旗を翻そうとしている。そんな噂もある。だが、それはきっと都市伝説だろう。


「すんませぇん、おやっさん、ちょっといいかぃ?」


 ふと、声がかかった。ジャンはつまらぬ思考を打ち切り、商売へと心を切り替えた。


「はいよっ。何が……欲しいんだい?」


 一瞬、言葉に詰まった。


 声をかけてきたらしいその男の格好が、とんでもなく奇抜だったからだ。


 まず目に付くのが、その独特な頭髪。長い髪を無数の細い三つ編みにしたその髪型は、頭からたくさんの子蛇が生えているようすを連想させる。

 右頬には三日月状の傷跡。金色の瞳は確かにこちらを向いているが、その両眼からは生命の輝きが感じられない。硝子(ガラス)玉のような無機質さだった。

 ヘソ周りだけを露出させた詰襟の長袖。(うり)のような膨らみを持った長褲(長ズボン)の左腰には、細身で反りのある長い刀——確か、「苗刀(びょうとう)」という刀だ——がぶら下がっていた。


 そんな風貌に驚きつつも、冷静に心を保つ。この男は客の列から外れて話かけてきている。つまり、買い物目的ではないということ。


 ジャンはその金眼の男に話しかけた。


「何か用かい、お兄さん。お客さんいっぱいいるんだから、手短にね」


「分ぁかってるってぇ。えっとなぁ、おやっさん————死んでくれぇ」


 次の瞬間、景色が傾いた。


 何かにつまづいてよろけたのだと思い、下半身の安定を取り戻そうとする。が、腰から下の感覚が無い。


 そのまま景色が右から左へ流れ、自分の視点の高さが低くなっていき、やがて側頭部への衝撃とともに景色の流動が止まった。


 自分は倒れたのか?


 見ると、あの金眼の男は、いつの間にか腰の苗刀(びょうとう)を抜き放っていた。真っ黒なその刀身が、虹色の光沢を放っていた。


 勘定台のすぐ手前に——ジャンの「腰から下」が立っていた。


 ジャンの片割れがどちゃ、と倒れた次の瞬間。


「き……きゃあああああああああああああ!! 人殺し!! 人殺しぃ!!」


 その絹を裂くような悲鳴を皮切りに、街路のあちこちで悲鳴がとどろいた。


 自分の店に並んでいた客たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ——ようとした瞬間に首から上が消失。血しぶきが舞う。


 あの金眼の男が電光石火の速度で動き、客たちを一瞬で斬り殺したのだ。


 この男から離れた場所から、苦痛を訴える絶叫が次々と聞こえてきた。見ると、剣や刀で武装した者たちが、何も持たぬ人間たちを次々と殺しているではないか。


 悲鳴。絶叫。血臭。赤く染まりゆく街並み。


 さっきまで平和な喧騒に包まれていた様子が、嘘のような血河死山と化していた。


 昔に目の当たりにした、生まれ故郷での地獄を思い出させた。


「悪りぃなぁ。おたくらにゃ恨みはねぇが、雇い主のお命じでねぇ。この周音沈(ジョウ・インシェン)のぉ斬られ役になってくれやぁ」


 金眼の男が発した、感情のこもっていない、無機質な言葉。まるでこの虐殺を割り切って行っているかのような心情が感じられた。


 心胆からのおぞましさを覚えながら、ジャンはおのれの一生に幕を下ろした。

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