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「偏り」


 今のボクは【黄龍賽(こうりゅうさい)】の選手だ。その辺で修業なんかしていたら人が集まってくるだろう。それだと集中できない。

 

 なので、帝都を四角く囲う巨壁の東門から外へ出て、少し進んだ先に広がる大きな森の前にやってきた。


 広葉樹を主とした木々が密度を作る形で生い茂り、午後の日差しが最高潮な今でも目視できない闇を作る深さを見せていた。

 その規模は広大。森を貫く一本の舗装路に沿って帝都東門まで離れても、森の両端が視界に収まらないほどである。


 『緑洞(りょくどう)』と呼ばれる大森林だ。

 この森は約七割が、国によって環境を保護された御料林(ごりょうりん)であり、無断で入ることは厳しく禁じられている。許可なく入って密猟などしようものなら三食昼寝付きのハッピーな牢獄生活が始まるだろう。


 その大森林の前は、鬱蒼とした木々が打って変わって草原となっている。

 人の手が加わっているんじゃないかってくらいに同じ背丈の下草が生え広がっており、寝転がったら気持ち良さそうだ。


 そんな広大な下草の上で向かい合う二人の乙女。


「その……本当に良いんですか?」


「いいんだよ」


 もう何度目かになる申し訳なさげなミーフォンの問いかけに、ボクは快く頷いた。


 きっと、ボクは次の試合が近いから、気を使っているのだろう。


「可愛い妹分の頼みなんだ、安いものだよ」


 微笑みかけ、そう告げる。


 いつもならこんなことを言おうものなら「あーんお姉様ぁ!! なんてお優しい!! お礼はあたしのカラダで必要額の十倍支払いますぅ!!」くらい叫んで抱きついて来そうなのだが、今回はそうはならなかった。


「ありがとうございます、お姉様」


 にっこり笑いはしたものの、それだけだった。


 その様子が、今回の状況の深刻さを物語っている気がした。


 稽古をつけてほしい、という彼女の希望を叶えようとこの場に来たわけだけど、どう稽古をつけたもんかと少し考える。


 ボク達は流派が違う。

 レイフォン師匠の【打雷把(だらいは)】は一応【太極炮捶(たいきょくほうすい)】が起源ではあるが、もうまるっきり形も変わってしまっている。

 おまけに体術の時に併用する呼吸法も異なるので、両者の武法は相性が良くない。


 なので、【打雷把】を教えることはできない。


 けれど、それ以外の事なら教えられる。


「じゃあ始めようか。稽古って言っても、やることは簡単だ。ボクにひたすら攻めてくればいい」


「え……それだけですか?」


「それだけだ。【打雷把】を教えてもいいんだけど、キミの技とは用いる呼吸が違う。それに【太極炮捶】は技術の玩具箱だ。主題があいまいな分、自分の持ち味を見つけやすい」


 頭の中に無数ある武法の知識を探りながら、言葉を連ねていく。


「いいかい、確かに【太極炮捶】は「特徴がないのが特徴」と言われているが、それでも個人によって技術の偏りが大なり小なり出るものだ。過去の達人はその「偏り」をとことんまで追求して、新しい流派を興していったんだ。キミには今から組手を通して、その「偏り」を探してもらう」


「「偏り」というのは……どういうものなんでしょうか?」


「キミの身体が最も好む動きのことだ。それこそがキミにとって一番役に立つ。「これが役に立つ」と嫌々学んだ動きよりも、そっちの方がよほど使いやすい」


 そこまで言うと、ボクは足だけを半身の立ち方にし、前足の爪先の延長線上にミーフォンを置いた。


「それを知りたいのなら、ひたすら攻めてくるんだ。大丈夫、一応ボクも攻めるけど手加減はするから、安心して存分にかかってくるといい」


「わ……分かりました。では……」


 ミーフォンはおずおずとながら構えを取る。


 ボクはすり足で不規則に立ち位置を変えつつ、妹分の出方を待つ。


 やがて、ボクの間合いへウサギのような俊敏さで一直線に飛び込んできて、重心の進行に右正拳を交えてきた。


 ボクはミーフォンから見て右側へさっと身を逃がしながら、まだ重心を移しきっていない彼女の前足をすれ違いざまにスパンッ、と蹴り払った。

 重心位置があいまいな状態で足払いを受け、ミーフォンの身体が前のめりに大きく飛ぶ。うつ伏せに倒れた。


 正直、今彼女に指摘したいことはあった。

 けれど、我慢して口を閉じた。

 これはミーフォンの武法に「個性」を見出すための訓練なのだ。無暗に指摘するのはその邪魔をし、ボクの持つ「型」にはめてしまう結果になりかねない。


 ミーフォンはぐっと弾むように立ち上がると、素早くこちらへ向き直った。


 今度は、無暗に攻めようとはしない。少しずつ進んで、こちらの動きを地道に伺いながらジッとしている。


 なので、今度はボクから近づき、勁力を込めた手を真っ直ぐ進めた。相当手加減した右掌打である。


 いきなり攻めてこられてびっくりした様子のミーフォンだったが、ギリギリのところで反時計回りに体をひねって回避。踏み込みに合わせて放たれたボクの掌打が空を切る。


 ボクは踏み込んだ前足で新たに地を蹴った。腹回りの捻りによって力を生み、もう一方の足へ重心を移すと同時に左肘を放った。力を大幅に抑えた【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】。


 ミーフォンは突き出されたボクの肘の上腕と前腕を両手で押さえ、尖った肘の衝突を防ぐ。だが余剰した勁によって彼女の華奢な体が真後ろへ跳ねとんだ。ごろごろと後転するが、その転がりの流れに乗って身を起こす。


「くそっ!」


 舌打ち混じりに吐き捨て、もう一度疾駆し向かってくるミーフォン。左右の拳や掌を闇雲に連発させてきた。


 ボクはやってきた拳の一つを避けつつ、腕をなぞるようにして近づき、背後へ回り込む。そこから靴裏で背中を蹴っ飛ばした。ミーフォンは前のめりに流されるが、足をもつれさせながらもどうにか立った状態を維持した。


 ミーフォンは振り返り、再び走り出そうとするが、一度止まって深呼吸。落ち着いた様子となった彼女は、構えで防御を固めたままゆっくり近づいてくる。


 互いの息遣いが聞こえるくらいの静寂がしばらく続く。


 瞬間、呼吸が鋭く吐かれるとともにミーフォンが弾かれたように距離を詰めてきた。


「おっ?」


 閃くような速度でやってきた右正拳。ボクは左前へサッと進み、ギリギリでその拳を避けた。今のはなかなかに鋭く、疾い。早急にケリをつけてやる、という彼女の純粋な意思が現れたような動きに思えた。


 けど、その一撃を打った後のことを考えていなかった様子。その証拠に、ボクの体当たりは何の妨害も無くミーフォンに衝突し、その身を転がした。


 再び起き上がり、突っ込んでくるミーフォン。

 そんな妹分の攻め手をボクは容易く躱し、いなし、時に出鼻をくじく形で技を打って無効化。


 一見すると、いじめているようにしか見えないやり取り。


 なぜこうまで追い込むのか。


 決まっている。ミーフォンが持つ「偏り」を引き出すためだ。


 人間、追い詰められると本来の力を発揮する。これは根性論でも何でもなく、変えようのない事実だ。


 彼女は倒れても倒れてもへこたれない。果敢にボクへ向かって来ては弾き返され、また立ち上がる。


 それほどまでして何を掴みたいのかは、明らかだ。


 実姉であるシャオメイに、認めてもらいたいからだろう。


 彼女たち姉妹には、明らかに深い確執がある。先ほどシャオメイが口にしていた言葉の数々から、その理由もなんとなく分かる。


 会って間もない頃のミーフォンを思い出してみるといい。【太極炮捶】という大流派を鼻にかけた言動と態度が濃厚だった。――シャオメイもそれと似たような感じの振る舞いをしていたが、彼女にはそう威張れるだけの功力があった。


 きっとミーフォンは、実力を付けずに驕ってしまってばかりだったのだろう。


 その理由はおそらく、優秀な姉への劣等感(コンプレックス)


 いくら精進を重ねても、姉には追いつけない。自分が一段階段を上るたびに、姉は十段上ってしまう。そんな圧倒的な才能の差を見せつけられ続け、やがて努力を続けるのが馬鹿らしくなり、最終的には膝を屈してしまった。


 でも今、ミーフォンは懸命に変わろうとしている。


 所詮、一段ずつ登るだけの微々たる進歩しか無いのかもしれない。


 残された猶予も今日を含めてたった二日。功力とはそんな短時間でつかないものだ。それを考えると、付け焼き刃同然の足掻きかもしれない。


 けれど、進まないよりは、少しずつでも変化したい。そんな思いが、拳脚を介して聞こえてくるみたいだ。


 だからボクは、いじめ続ける。


 そんな願いを、叶えるために。






 何度もミーフォンを転がし続け、気がつくと夜闇が降りていた。らんらんと光を発する月と星々が、時折流れる細かい千切れ雲に隠れることで明滅する。


 間隔の狭まった呼吸を繰り返しながら、草の絨毯の上で仰向けに倒れているのはミーフォン。対し、ボクは呼吸の乱れどころか汗一つかかずに立っていた。


「今日はもうこれくらいにしようか。早く帰ってご飯にしよう」


「は、はい……ありがとう、ございました、お姉、様」


 途切れ途切れにそう返すミーフォン。もう少し落ち着くのを待った方がよさげだ。


 ボクは彼女の横へ尻を下ろして座り込む。


 しばし無言の時が過ぎ、多少呼吸が落ち着いてきたところで、ミーフォンが申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい……お姉様。試合が近いっていうのに、あたしのわがままに付き合わせてしまって……」


「気にしないでいいよ。むしろ、【太極炮捶】がどういう武法かおさらいができたみたいでタメになったよ」


「……あたしの技なんて、姉上とは雲泥の差です」


 なけなしの気力すら削がれたように低くなるミーフォンの声。


 そこまで言ったつもりはない。わざわざここで姉の事を引き合いに出すあたり、この(ホン)家三女の悩みが根深いモノだと分かる。


「ねぇ、良かったら、話してくれないかな?君のお姉さんのことを」


 思えば、ボクはミーフォンの家族事情をまだ詳しく聞いていない。


「お姉様」なんて呼ばれて過剰に慕われてこそいるが、ボクはこの子の事をあまり知らないのだ。今がそれを聞ける最高のタイミングだろう。


 ミーフォンはまた押し黙ったが、やがて重い扉を開くような鈍い口調で語り始めた。


「……お姉様もご存知の通り、あたしは【太極炮捶】宗家である紅家の三女として生まれました。当代の紅家当主は男児に恵まれませんでしたが、生まれてきた三姉妹はいずれも武芸の才に恵まれていました。手前味噌ですけど、このあたしも」


 男に恵まれなかったという事実に、ボクは悪いと思いつつも、気の毒と少なからず感じた。


 武法は訓練次第で、男女問わず平等に強くなれる究極の体術だ。ゆえに、扱いに男女差はない。


 しかし、それは武法に限った話だ。この国において、女の役目は主に家に入り子を産み育てることであり、家長や家元といった主要な立場は男が引き継ぐべきであるという風潮がある。


 邪推かもしれないが、当代の紅家当主は女しか生まれなかったせいで、世間から揶揄するような事を言われた可能性がある。


 ……もっとも、あのシャオメイの才は、そんな世間の陰口なんて跳ね除けるほどのものだっただろうけど。


 ミーフォンの次の発言も、それを大いに肯定した。


「けどその中でも、長女のシャオメイは別格でした。その才能は「【太極炮捶】始まって以来の逸材」と呼ばれるほどのもので、親や他の弟子たちも大いに姉上の将来を嘱望(しょくぼう)していました。……本当に凄いんです、姉上は。あたしなんか、凡人以下に見えるくらい」


 その先を、自嘲混じりに続けた。


「あたしね、姉上と違って親や門弟から期待されてなかったんです。一部の意地の悪い門弟からは「出涸らし」って陰口も叩かれてました。あたしはそれが悔しくて、見返そうと一生懸命修行しましたよ。でも、あたしが一つ積み木を積む間に、あの人は十段くらい積んでるんです。なんだか、頑張れば頑張るほど自分が惨めになってる気がして……ある日馬鹿らしくなって、周囲を気にするのをやめました」


「……いいじゃないか、それで。所詮、周りは自分の人生に対して責任なんて取ってくれないんだ。他人の陰口は気にしない方が賢明だよ」


「はい、今のあたしならそう思います。でも、あの頃のあたしは変に自尊心が強くて、自分がその他大勢の中に混じるのがイヤでした。だから自分を保つために「【太極炮捶】創始者の一族」っていう生まれを鼻にかけて、他流派の人間に威張り散らしていました。……今にして思い出すと自刃したくなるほど恥ずかしい話ですよ。優しかった姉上も、そんなあたしに日に日に冷たくなっていって、気がついた時にはまるで他人以下に捉えられていました」


「驕り」というのは一種の麻薬だ。自分は気持ちいいかもしれないが、それだけだ。自分の成長はそこで止まってしまう。周りもそんな自分を快くは見ないから、孤立する。


 けど、それはミーフォンだけでなく、シャオメイにも言えることなのだ。あの長女は、【太極炮捶】以外の武法をかたくなに認めようとはしない。それもまた、【太極炮捶】という大流派を蝕む「驕り」という毒なのだ。


「——でも、予選大会でお姉様の勁撃を食らった瞬間、そんな慢心は埃みたいに吹き飛びました。ああ、世の中にはこんな凄まじい武法があるんだ、こんな馬鹿げた一撃を打てる武法士がいたんだ、こんな格好良い女の子がいたんだ、って、思い知ったんです。貴女は、あたしを長い停滞から救ってくれた。深い泥沼から引っ張り上げてくれた。……あたし、本当に感謝してるんです。ありがとう、お姉様」


 眩しいものを見るような輝きを持った目でボクを見ながら、柔らかく口元を微笑ませるミーフォン。


 それを目にして、身体の熱が上がるのを実感したボクは、思わず顔を背けた。


「お姉様?」


「い、いや、なんでもないよ」


 そうごまかすが、心音はいまだにちょっと速まったままだった。


 ……やばい。さっきのミーフォンの笑顔、今までで見たことがないくらい可愛かった。


「っ……と、ところでさミーフォン、一つ聞きたいんだけど」


「なんですか?」


 小首をかしげたミーフォンは、露骨な話題変えの気配を感じていないようだ。


 その事にホッとしつつ、ボクは今日の昼間に行われたシャオメイとランガーの試合を脳裏に蘇らせていた。


「――【飛陽脚(ひようきゃく)】って、【太極炮捶】の中に含まれてるの?」


 ミーフォンは目を丸くした。今の発言を聞いて早々、ボクが何を聞きたいのか悟ったようだ。


 紅家三女は周囲をきょろきょろと見回してから、重々しい面持ちで次のような前置きを告げた。


「……お姉様、今からあたしが話すことは、どうか極力ご内密に願います。「あの術」の存在を話すこと自体、我が門の掟で言えば黒に近い灰色なのですから」


 ――あの術?


 興味を引き付けられる謎のワードを口に出してから、ミーフォンは静かに語り始めた。


「まず質問の答えですが、【太極炮捶】に【飛陽脚】はありません。あれはシャオメイが試合中に相手から「盗んだ」んです」


「「盗んだ」? 瞬時に技の使い方を見抜き、自分のモノにしてみせたってことかな?」


 あっさりと頷くミーフォンを見ながら、ボクは驚きと同時に「やっぱりな」と思っていた。


「【太極炮捶】は最初の武法。当然、その歴史も長い。歴史を重ねる中で、幾多もの【拳套(けんとう)】や体術、鍛錬法などを考案し、蓄積させていきました。その総数――――およそ五〇〇種類」


「ごっ……!?」


 べらぼうな数字に、目玉が飛び出そうになるボク。


「ですが、それらのモノを一つも失伝させずに次世代へ伝えるというのはほぼ不可能に等しい。身体能力強化系の「鍛練法」なら書物でもどうにかなりますけど、体術や【拳套】などといった「技術」はそうはいきません。それらの習得には師による細かい口伝が必要で、師を介さない修行では限界があります」


 彼女の意見はもっともだ。

 武法の技というのは、ただ体を動かせばいいというものではない。

 技を円滑に行うための効果的イメージング――すなわち【意念法(いねんほう)】や、勁撃の際に生まれる身体疲労を最小限に抑える呼吸法なども欠かせない。

 それらは、技を熟知した師による直接的な教え無くして身に付くものではない。


 特に重要なのが――師のよる技の「実演」。


 武林には「黙念師容(もくねんしよう)」という言葉がある。

 師の技をよく見て、その理想像を頭に思い浮かべながら、それに少しでも近づくように己の技を磨く……その大切さを言い表した言葉だ。


 以前も言及したが、武法において「見る力」というのはかなり重要だ。


 相手の一挙手一投足から実力を計ることもそうだが、師が見せた技という「雛形」を見て、その「雛形」に己の技を近づけていくためにも必要なのである。


 筋トレでも、理想の肉体を思い浮かべながら鍛える方が、思い浮かべないのに比べてその理想に近づきやすくなる。

 武法の習得も、理屈としてはこれとまったく同じ。

 師という「目標」を持たず曖昧模糊(あいまいもこ)に技を学ぶと、動きに変な癖がついて技の性能が落ちてしまうことが多い。……片足を失って武法ができなくなった達人が優秀な弟子を育て上げた話もいくつかあるが、それは達人の指導力の凄さの賜物といえよう。


 まあとにかく、武法の技をきちんと覚えるには、やっぱり師匠の存在が欠かせないのである。


 しかし次の瞬間、ミーフォンはそんな既成概念を揺るがす、とんでもない言葉を口にした。


「ですが、あたし達【太極炮捶】宗家は、その膨大な量の技を保存するために、ある「身体改良法」を生み出しました。――ソレを施された人間は、初めて見る技でも、数回見ただけでそこに含まれる「理合(りあい)」を全て読み取り、自分のモノとして完璧に体得してしまいます」


 喉に詰め物をされたように、声が止まってしまう。驚愕が度を越して、言葉が上手く出せない。


 普通の事のように異常な発言をした紅家の末妹は、なおも淡々と続けた。


「お姉様は【以人為鏡(いじんいきょう)】というのをご存じですか?」


「へっ? え……ええっと、確か……」


 動揺を引きずりながらも、ボクは脳内検索エンジンを起動した。


 ――【以人為鏡】とは、先天的な特異体質の一種だ。


 それが「技術」であるならば、どれほど複雑な体術でも数回見た程度で習得してしまう。そんな体質の人間が、非常に稀な確率で生まれる。


 身体を使った「技術」の結集である武法において、これはとてつもないアドバンテージだ。


 脚力や腕力といった「身体能力(フィジカル)」は、常人と同じやり方と速度で養っていかなければならない。が、それ以外の「身体技能(テクニック)」は数回の観察で苦も無く覚えられる。


 ……なんとも羨ましい話だ。【以人為鏡】であれば、この煌国に存在する全ての流派を会得するのも夢ではないかもしれない。


 脳内検索で出てきたそれらの情報をミーフォンへ伝えると、一度頷いてからさらに驚くべき発言をした。


「その「身体改良法」とは――その【以人為鏡】を後天的に作り出すものなんです」


 脳天を貫くような驚愕が襲いかかった。頭がくらくらしてくる。まるで夢を見ているみたいに現実味が薄い。


 かろうじて声を出せた。


「そ……そんなこと、できるの?」


「はい。名を――【鏡身功(きょうしんこう)】。時期当主として決まった子供には、その身体改良法を施されます。その内容は他流派や紅家ではない門人はもちろん、次期当主ではない紅家の人間さえも見ることは許されません。かくいうあたしも【鏡身功】の内容は一切分からないんです」


 ボクは恐る恐る挙手。


「ちなみに……見ちゃったらどうなるの?」


「物理的に首が飛びます」


「ええっ!? そこまでするのかい!?」


「はい。【以人為鏡】を人為的に作り出す――そんなとんでもない技術が門外へ漏れようものなら、世の中が滅茶苦茶になりますから。だからこそ、覗いた者には私的に死刑を執行する許可を朝廷からも賜っているんです」


 一度も執行されたことはないですけどね、と最後に付け加えるミーフォン。


 確かに彼女の言い分はもっともだ。しかし練習を覗いた――すなわち【盗武】した者を口封じに首ちょんぱにするという残酷なまでの徹底ぶりに、ボクは若干引いていた。普通の流派では、最悪でも腕を切り落とされるくらいで済むというのに。


 そんな心中を読んだのか、ミーフォンは苦笑を浮かべた。


「まあ、そんな感じです。あたし達【太極炮捶】は、後転的に【以人為鏡】となった当主の驚異的吸収力を利用して膨大な量の技を保存し、それを何世代にもわたって続けてきたんです」


 そこで、話は止まった。


 それらを全て聞いたボクはようやく腑に落ちた。相手の技を数度見ただけで模倣してしまう能力も、【太極炮捶】が技術を一つも絶やすことなく伝承を繋いでこれたのも、ひとえに【鏡身功】のおかげというわけだ。


 ミーフォンの心配ばかりしていたけれど、今の話で目が覚めた気分だった。


 自分の心配もしなければあるまい。


 何せ相手は、【太極炮捶】が千年以上の歴史を通して積み重ねてきた数多の武技をその一身に宿しているのだ。


 これは言うなれば、【太極炮捶】という流派そのものとの戦争に他ならない。


 ミーフォンもまた、そんな異常な存在である姉に挑もうとしている。


 まるで、二人で大きな怪物を狩ろうとしているみたいだ。


 どちらも、勝てますように。


 ボクは前途多難な戦いに、不安と期待を等量抱いていた。


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