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物見遊山

「センランのことだから、いきなり【武館区】あたりに行くと思ってたけど……」


 ボクの隣を歩くミーフォンが呟く。


 先頭を歩くセンランはくるりと振り向き、両手を広げて楽しげに笑った。


「私はキミたちを楽しませると決めてついて来たのだ。まずはそれが先だろう。それにこの帝都には面白おかしいもの、美味いものが山ほどあるっ。それらを余すことなく見せようじゃないか」


 再び前を向き直る。その弾むような歩調から、心底嬉しがっていることが容易に見て取れる。そこまで喜んでくれているなら、突っぱねなくて正解だった気がする。


 快晴の朝日の下。『呑星堂(どんせいどう)』を出て、西の大通りを歩行している三人+一人。まだ朝早いため人通りはそれほどでもなく、商売を始めている店もまばらであった。


 現段階で開店している店は、飯店や甘味処がほとんどである。きっと、店へ朝ごはんを食べに来る人が少なからずいるのだろう。というか、実際いた。今見た。


 そんな事情を、帝都を根城にしているセンランが把握していないはずは勿論なく、次のように提案してきた。


「よっし、それじゃあまずは腹ごしらえといこうではないか!腹が減っては武法はできんからな」


「いや、ボクたち全員朝ごはん食べてるんだけどな」


「だが甘いものは別腹、と言うであろう?これから向かうのは軽く食える甘味処だ。わら、私のオススメの場所に連れて行ってやる。心せよっ」


 鼻息荒くして豪語する三つ編み伊達眼鏡。ところどころで「(わらわ)」と言いそうになるのが実に危なっかしい。


「オススメって……センラン、君ってそんなに頻繁に市井に下りられる立場なのかな?」


「いや。変装した上でこっそり抜け出している。ちなみにこの格好以外にもいろんな装いがあるのだ」


 この国の未来が不安になってきた。


 会話を弾ませながらたどり着いたのは、東の大通りをさらに進んだ先にある一件の甘味処だった。商品の陳列台と一体化した勘定台にはすでに客が列を成していた。センランを先頭にして、ボクらもその列の一部と化す。


 空気に甘い香りが宿る。ご飯を食べて間もないはずなのに、空腹感が訪れた。


「私のオススメはあれだ。『甜雲包(ティエンユンパオ)』という」


 センランの指が指し示すのは、ズラリと並列した皿上の甘味(スイーツ)達の一つ。入道雲のように所々膨れ上がった丸い輪郭と肌色の生地を持つお菓子だった。他のお菓子に比べて個数が明らかに少ないところを見ると、かなり人気の品であるようだ。


 って、あれ?あのお菓子、どこかで見たことがあるような——


「もしかして…………シュークリームっ!?」


 思わず声を荒げたボクに、並んでいる人たちの視線が集中。が、すぐに興味を失って他の方向を向いた。


 ちまちまと服の裾を引っ張ってくるミーフォン。真後ろへ振り向いた。


「お姉様、どうしたんですか?しゅう、って何です?」


「へ?い、いや、何でもない何でもない」


 可愛らしく小首を傾げる我が妹分を尻目に、ボクは再度『甜雲包(ティエンユンパオ)』とやらへ視線を移す。


 ……やっぱり、どう見てもシュークリームではないか。


 まさかこの異世界でお目にかかれる事になろうとは。


 思えば、前世のボクは病院食ばっかりで、シュークリームみたいなスイーツを食べたことは滅多になかった。


 これは楽しみになってきた。早く来い、ボクの番。


 その後も順調に列は潰れていき、とうとうボクの前に並ぶセンランの番となった。


「『甜雲包(ティエンユンパオ)』一つ頼もうか」


「はいよっ」


 元気の良い返事とともに、店のオヤジさんが注文の品を取る。最後の一個を。


「あ……」


 支払いを終えて商品を手に取るセンランの姿を、ボクは悲壮感あふれる表情で見つめる。ー


 彼女が列から抜け、ついにボクの番となった。


「らっしゃい。何が欲しいんだい、お嬢ちゃん」


 気さくに訊いてくるオヤジさん。


 ボクは死にかけた魚のような目つきで適当に見繕い、それを指差した。


「……それ、お願いします」


 真っ黒い箱を。






彩饅頭(ツァイマントウ)』というお菓子があることは、煌国グルメに明るくないボクでも知っている。


 練った小麦粉の生地に具材を包み込んだモノを「包子(パオズ)」と呼び、具材が入っていない小麦粉の生地だけのモノは「饅頭(マントウ)」と区別する。


 饅頭はいわゆる蒸しパンのようなもので、汁物と一緒に食べたり、肉を挟んだりするのが主流だ。


 それともう一つ、饅頭の生地自体に何らかの味付けをするという食べ方がある。饅頭生地自体は味が無いため、それでは寂しいと感じたどこかの料理人が味付けという方法を考えたそうな。その結果、甘い饅頭、辛い饅頭、塩気のある饅頭、牛乳風味の饅頭など、多種多様な味付けが実現された。


彩饅頭(ツァイマントウ)』とは、そんな味付け饅頭を使った闇鍋的なメニューだ。


 味がバラバラなたくさんの饅頭を、外から中の様子が見えない箱に入れる。購入者はお金を払った後、その箱に空いた穴に手を突っ込み、ランダムに一つ取り出すのだ(ちなみにこの穴からも中が覗けないように工夫してある)。


 そこだけ見ればワクワクものかもしれないが、いかんせん、味付けがトンデモないのだ。練乳味や果実味などといった素敵な味もあれば、卵の殻味や鉄味などといったアホみたいな味もある。そんな混沌とした味の数々から何が出るのかは取り出してからのお楽しみ♫それが『彩饅頭(ツァイマントウ)』。……これ、なんて百味○ーンズ?


 無意識のうちに『彩饅頭(ツァイマントウ)』を選んでしまったボクの手元へやってきた味は——


「……ムカデってこんな味するんだネ。初めて知ったや」


 である。


 人かじり分減った、濃い茶色の饅頭。半球型の頂点には、簡略化されたムカデの絵が焼き付けられていた。


 ちなみに、味付けに本当にムカデを使っているわけではない。調味料を上手いこと組み合わせ、ムカデそっくりの風味を生み出しているのだ。


 そう、だからボクは実際にムカデを食べているわけではない。これはきちんと食品衛生的にノープロブレムな食べ物だ。……そう考えなきゃ吐きそうだった。


 脂汗を額にかきながら、ムカデ饅頭を頬張る。舌に触れるたび、如何とも形容しがたい味覚が襲ってくる。


「無理して食う事は無いのではないか?」


 センランがはむっと『甜雲包(ティエンユンパオ)』を食べながら、怪訝な顔で見てくる。


 ボクは恨めしいような羨ましいような視線を撃ち返す。勝者の味って何味だい、センランや。


 ボクら四人は各々の品を購入し、それを店の向かい側にある建物の壁に寄りかかりながら食していた。


 女の子らしく甘味に頰をほころばせる三人とは対照的に、ボクの顔は饅頭と同じ土色だった。


「……なあシンスイ、私のやつを一口食うか?」


 同情したのか、センランは食べかけのシュークリームっぽい何かをこちらへ突き出してきた。


 「慰めなんていらないよっ!!放っておいておくれ!!」なんて言えるほど、ボクは武士は食わねどナンタラ的精神を持ち合わせてはいなかった。弾かれたように顔を上げ、


「マジで!?いいの!?」


「あ、ああ。ただし、一口だけだぞ」


「ありがとう!」


 間伐入れず、はむっ、と雲のような生地にもう一つかじり跡を追加。


 途端、泡をかじったように柔和な食感と、舌を少し刺激するくらいの甘味が口いっぱいに広がった。ううむ、お姫様が推薦するだけあってめちゃくちゃ美味い。ふわふわした食べ応えはシュークリームと瓜二つだが、中身の甘さは少し刺激があってしつこい感じがする。この甘さは生クリームのソレではない。


 この味って確か……


「これ、もしかして煉乳?」


「そうだ。正確には、黒蜜と煉乳を混ぜた極甘液状調味料だ。どうだシンスイ、感想は」


「あ、うん。美味しい。美味しいんだけど……」


 コレはシュークリームではない。似て非なるナニカだ。まあ美味いけど。


「だけど、何だ?何か気に入らなかったのか?」


「え?ああ、ごめんねセンラン。美味しいよ。お礼と言っては何だけど、ボクのこの饅頭を」


「結構だ」


 機先を制して却下するほどイヤなのね。


 すると、ミーフォンが「ハイハイハイ!」とぴょんぴょん跳ねながら挙手した。


「その饅頭、あたしが貰いまーす!良いですよね、お姉様!?」


「えっ。これ、ムカデ味だよ?あのゲジゲジした節足動物だよ?」


「いいんですいいんです。ささ、早く下さいよ」


 あまりに急かすので、ボクは言われた通りに半分近く減らしたムカデ饅頭を渡す。


 ミーフォンはボクがかじった場所を始まりに、饅頭の大半を一口で頬張った。瞬間、肩まで垂れている彼女の髪の側面がまるで静電気を帯びたようにゾワッと逆立った。ほら見なさい、言わんこっちゃない。


「コレはお姉様の唇が触れたモノコレはお姉様の唇が触れたモノコレはお姉様の唇が触れたモノ——」


 なんか念じてる。


「あの、やっぱり無理しないでいいよ?」


「いいんです!お姉様の美しい唇が触れたものだと思えば、たとえ泥水でも高級酒同然に感じられますから!任せてください!」


 ビーズを散りばめたようなキラキラ笑顔で豪語してくる。や、それはそれでなんかヤダナ。ちょっと引くわ。


 最後の一切れを勇敢に口へ放り込むミーフォンを余所に、ライライの手元を見た。一本の串に、茶色い半透明のお団子が三つ刺さっている(さっきは四つだったが、一つ食べたようだ)。そういえばミーフォンが同じのを食べてたな。あっという間に完食しちゃったみたいだけど。


 ボクの視線に反応したのか、ライライが串を少し前に出して、


「これは『柔琥珀(ロゥフーポー)』っていうのよ。何かの木の樹液に特殊な薬草を混ぜ込んで、お餅みたいな状態に凝固させたものらしいわ」


「へぇー」


「良かったら一つどう?何も付けなくても甘くて美味しいわよ」


「ホント?それじゃあ、お言葉に甘えて」


 ライライから串を受け取り、樹液団子を一つ口に入れてもちゃもちゃと咀嚼する。食感はわらび餅っぽい。カラメルにも似た甘みが舌の上でとろけて、口内全体へ波及した。おお、これは結構イケるかも。個人的には『甜雲包(ティエンユンパオ)』より好きかもしれない。






 あっという間に手元の甘味を食べきったボクらは、あともう数件軽食売り場を回って時間を潰しながら、他の店が開くのを待った。


 どれも初めて見る新鮮なものばかりであるため、ひと時たりとも退屈はしなかった。こんなことなら小さい頃に帝都に来た時、【武館区】にばかり入り浸ってないで、もう少しいろんな店を楽しんでおけばよかった。


 楽しんでいる分時間の経過も早かった。気がつけば多くの店が開店しだしており、人の往来も盛んになっていた。


 この帝都の大通りは東西南北へ十字状に伸びている。奥に【熙禁城(ききんじょう)】がある北の大通りを除く三本の突き当たりは、関所も兼ねた門となっている。

 南の大通りは東から西へ伸びる水路によって分断されている。水路は帝都を囲う壁を超えて、近くを流れる【奐絡江(かんらくこう)】まで繋がっている。もちろん、帝都と外の境には陸路と同様、水門と関が設けられている。


 そんな水路に架かる広いアーチ状の石橋を踏み越えてすぐの所に、次なる目的地はあった。


 そこは。


「……書房?」


 そう、書房に他ならなかった。


 横に広い二階建ての木造建築。店先から店内に至るまであらゆる本が積み上げて並べられていた。店先を覆う庇の上部には大きな丸い看板が取り付けてあり、その表面には、足に本を掴んで飛ぶ鳥のマークが刻み込まれている。


 そのマークを見て、連れてきた本人であるセンランは満足げに微笑み、ライライは瞳を大きく見開いていた。


「まさかここって……『落智書院(らくちしょいん)』!?」


 驚愕以外のリアクションが分からないとばかりに口をあんぐり開けているライライ。


 彼女が口にした固有名詞を聞いた途端、残ったボクとミーフォンも目を丸くして看板を見た。


『落智書院』とは、煌国の老舗書房だ。「人は身分の貴賎を問わず、優れた智と書に触れる権利を有する」というスローガンのもと、大衆文学から学術書に至るまで様々なジャンルの本を売り出している。この国では一、二を争うほど巨大な書房であり、各地の街に支店がいくつもある。


 いや、より正確には「書房連合」とでも言うべきだろうか。何せ販売だけでなく、挿絵作成、執筆、製本、製紙の全てを『落智書院』という一つの組織で行っているのだから。


 この煌国には『商会制度(しょうかいせいど)』というものがある。同業者同士が手を組んで『商会』という組合を結成し、それを一つの店として扱うという制度だ。一つになることで、商品の生産、流通、販売、品質維持、それらにかかる資金繰りなどを安定化させ、なおかつ指示伝達を円滑にすることが可能となる。その上、加盟する全ての店及び組織の利益配分を公正なものにし、各々の生活を保護したりもできる。中世ヨーロッパで言うところの商業ギルドによく似ている。


 大きな店は、大抵その『商会』を組んでいる。この『落智書院』もその一つというわけだ。


 この国の書房は、力を入れているジャンルが店ごとに異なる。そうやって他店との差別化を図り、自分たちの利益を守っているのだ。『落智書院』は色々なジャンルを扱ってこそいるが、最も力の入れ具合が強いモノは——大衆文学である。


「見て見て見て見てシンスイ!『遊雲天鼓伝(ゆううんてんこでん)』の新刊が出てるわ!きゃ〜〜〜〜〜!!」


 見ると、ライライは店先に積まれた一冊の書籍を天高く掲げながら、びっくりするくらいキラキラした笑みを浮かべていた。……え?あれってライライだよね?一体なんだろう、いつも落ち着いた彼女らしからぬあの喜びようは。


 だが次の瞬間、ボクの左隣からも声が甲高く響いた。


「何ぃっ!?もう新刊出たのか!?くそぅ、流石は「月里(ユエリィ)」先生、いくらなんでも仕事が早すぎるぞ!だが許すっ!」


 センランまでもが興奮した様子で駆け出し、ライライと同じ本を手に取ってパラパラとめくり始めた。


 え、何この二人の反応?全然分からないんだけど。


 置いてけぼりを食らった気分のボクに、右隣のミーフォンが語りかけてきてくれた。


「お姉様、あれは『遊雲天鼓伝』っていう超人気の大衆小説なんです。あたしも読んだことがあります」


「へぇー」


 超人気——そんな単語を頭に思い浮かべながらその本へ目を向ける。同じように店先で平積みされている他の本に比べると、積まれている冊数が数倍以上と飛び抜けていた。それが『遊雲天鼓伝』とやらの人気ぶりを濃く裏付けていた。


 ボクは前世にいた頃、暇つぶしに色んな本を読み漁った。けれども転生してからは武法武法また武法であったため、こちらの世界の文学には疎かった。武法関係の書籍はたくさん読んだけど。


「え!?シンスイ読んだこと無いの!?そんなー、勿体無いわよ。コレを読んでないどころか知らないなんて人生の半分くらい損してるわっ」


 こちらの会話に気づいたライライが、珍獣を見るような顔で絡んでくる。表情を彩るそのキラキラ成分は、彼女が『遊雲天鼓伝』のファンである事のこの上ない証であった。


「これは国中を旅してる武法の達人が、行く先々で起こる事件を解決していくっていう勧善懲悪モノなの!そこだけ聞くとありきたりな話に思うかもしれないけど、登場人物がみんな個性的で、なおかつ本当にそういう人物がいるかのような生命感があるの!特に主人公が凄く良い味出してて、口では事なかれ主義みたいな台詞を言いつつも、陰ではみんなを助ける為に人知れず体を張って戦って、救われた人達の笑顔を遠くから見てふらりとまた旅立っていく……そんな恩着せがましくない生き方が凄くカッコいいのよ!魅力は登場人物だけじゃないわ!物語も予想を毎回大きく裏切って読者を驚かせつつ、けれど幸せな終わり方になるという期待は裏切らない!たくさん苦しい思いをするけど、その苦しみから解放されて登場人物に幸福が訪れた時、なんだか物語の登場人物の心情と同調したみたいに胸がスゥッと軽くなるんだ!それから——」


「よし、もういいよライライ。だいたい内容は理解出来たから」


 なんだか武法の事を夢中になってまくし立てるボクみたいだ。


「著者は売れっ子覆面作家「月里(ユエリィ)」!小説だけじゃなくて連環画(れんかんが)も描いていて、世に出した作品は軒並み爆売れという稀代の天才作家なの!しかも、その正体を知る者は誰もいないと言われてる、謎に包まれた人物!あぁ、一体どんな方なのかしら。一度でいいからお会いして花押(かおう)を頂きたいわ」


 未購入の新刊をその巨大な胸に抱きしめながら、陶酔するように目を閉じるライライ。本当に好きなんだなぁ。


 ちなみに「連環画」というのは、四角形に引かれた線の中に絵やシーンを描き、それを幾つも並べて一つの物語を作った読み物だ。いわゆる漫画のようなものである。ていうか、実際に見てみると思いっきり漫画である。


「実はなライライ、私も月里(ユエリィ)先生の正体が気になって手の者に密かに調べさせたんだが、全く分からなかったのだ。よほど巧妙に素性を隠しているのだろうな」


 おい、自分の権力利用して何してんの。


 そんな風に話している間にも、高く平積みされた『遊雲天鼓伝』の塔が徐々に縮んでいった。人気であることの裏付けをまた垣間見たのであった。


「はっ、いけない。私も早く買わなくちゃ。えっと、お金は……」


 ライライはブツブツ言いながら巾着型の財布を取り出し、中身を確認。


 途端、さっきまで輝いていた表情が一転、元気が無くなった。「足りない……」という呟き。


 製紙技術と印刷技術の発展によって、本は庶民にも求めやすい代物となった。けれども求めやすいというだけで、決して安価というわけではない。昔のようにバカ高くはないが、かといって気軽にポンポン払えないくらいの費用がかかるのだ。


「はうぅ、せっかくの新刊なのに……」


 そろそろ涙目になり始めているライライ。


 平積みから自分の分をちゃっかり確保していたセンランが、申し訳なさそうに口にした。


「出来ることなら記念に買ってやりたいが……私は身分の都合上、他者に気安く金品を施すわけにはいかぬのだ。すまん、ライライ」


「ううん。いいの。これでお別れっていうわけじゃないし、またお金がある時に買えばいいもの」


 目に溜まった涙を指先で掬って拭い、無理矢理にっこりする。


 なんだかちょっとかわいそうだな。


 その笑みを見ていられなくなったボクは隣のミーフォンへ視線を逃す。


「…………っ」


 見ると、ミーフォンは口角を下に吊り下げ、半眼で地面と睨めっこしている。難しい表情だ。まるで心の中で葛藤しているように見えた。


 だがすぐにバッと顔を上げるや、ドカドカとライライへ歩み寄る。上向きの掌を差し出し、やや硬い口調で、


「ライライ、あんたの財布ちょっと見せなさい」


「え、どうして?」


「いいから見せなさい。別に盗りゃしないわよ」


 有無を言わさない気迫に負け、ライライは渋々と財布を差し出した。


 ミーフォンは受け取ると、中身を確認し始めた。硬貨を数枚ずつ取り出してチェックしていき、じっくりと銭勘定していく。


 やがてそれが終わり、財布を持ち主に返却。


 ミーフォンは積まれた『遊雲天鼓伝』の前に置いてある値札を一瞥すると、次のように言った。


「——ライライ、あたしが半額出してあげる。あんたはもう半額出しなさい。そうすりゃ余裕で買えるはずよ」


 ライライの顔が、目に見えて驚きを呈した。


 かすれるような声で、


「いいの?」


「いいのよ。あんたのお陰で、あたしの帝都での衣食住は保証されたんだし。だから、その、えっと、こんなもんじゃ釣り合わないかもだけど、その…………ああもう!とにかくあたしがいいって言ってるんだからいいのよ!このおっぱいお化け!」


 ミーフォンは途中からやけくそ口調になり、プイッと後ろを向いた。しかしライライに背中を向けたということは、ボクに正面を晒したことになる。唇を尖らせながら真っ赤になっていた。


 きっと、ミーフォンなりの優しさと恩返しのつもりなんだろう。それを考えると、口元が自然と緩むのを感じた。


 しばらく驚きの表情から脱せずにいたライライだったが、


「……うん。ありがと、ミーフォン」


 やがて思わず見とれそうになるくらい可憐な笑みを見せた。


 それをチラッと見たミーフォンはさらに顔を赤くして目を背け、後ろへ自分の財布を突き出してまくし立てた。


「ほ、ほら!使いたきゃ使いなさいよ!ってか、早く取れ!あたしの気が変わんないうちに!」


「うふふ。はーい」


 そう言って財布を受け取ったライライは、『遊雲天鼓伝』の新刊を発見した時以上の喜びようを見せていた。


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