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やっぱり無理ー!

 

 軒を連ねるいくつかの娼館の中から適当に一件見繕い、勢いのまま足を踏み入れた。


 最初に出迎えたのは美女ではなく、えらく恰幅のいいおばさんだった。いかつい顔つきを厚化粧でコーティングした、偉そうなマダムを思わせる容貌。最初は娼婦かと思ったが、聞くと、この娼館の店長だという。


 店長はえらくへりくだった態度で接客してきた――女知音(レズビアン)の客も稀にいるらしいので、ボクをそっち系だと思ったようだ――が、ボクが「ここで働きたい」と言った瞬間、その目つきは厳しいものとなった。


 店長は頭のてっぺんから爪先までをしばらく品定めしてから、「いいだろう。肉付きは貧相だが素材はかなり良い。今日から早速こき使ってやる。ウチらの世界は甘くない。金が欲しけりゃ腹括って死ぬ気でやりな」と、愛想の欠片も無い口調で言った。驚くほどのスピード採用だった。もう少し誓約があると思ったのに。


 それから店長はボクに、ここで働く上で重要な事を押し付けるように言いつけた。結構多かったので、正直全部覚えてられてるかは怪しい。まあ、後でまた記憶を補強すればいいか。


 そして――現在。


 ボクは、お風呂に入っていた。


 なめらかな質感を持った木製の湯船の中には、ピンク色に濁ったお湯がたっぷり入っており、もうもうと濃い湯気を発している。その湯気からは桃の香りがする。お湯に含まれた入浴剤のせいだ。


「ふぅ……」


 お湯に肩まで浸かっていたボクは、自分の意思とは関係なしに声をもらす。


 店長が最初にボクに命じた事は、身を清めることだった。「そんな汗まみれな体を売り物にするつもりかい? とっとと汗流してきな」と、無理矢理入らされたのだ。


 しかしそれでも、三日ぶりに入ったちゃんとしたお風呂は気持ち良かった。水浴びオンリーの毎日にはいい加減ウンザリしていたから。


 下ろされた長い髪を指でクシのようにすきながら、ふと考える。


「よく考えたら、これって初めての「仕事」だよね……」


 前世のボクは子供のまま死んでしまった。そして異世界でもまだ働いた事がなかった。つまりこれはボクにとって、最初のお仕事なのである。


 けど、よりにもよって最初に働く職場が娼館とは……。


「…………あのお堅い父様に知られたら一〇〇パー殺されるよね、コレ。良くて勘当かも」


 【甜松林(てんしょうりん)】での記憶は墓場まで持っていこう。そう決意した。


 しばらくして、ボクはお風呂から上がった。脱衣所に来てからも、桃の香りは肌に濃く染み付いていた。どうやらあの入浴剤は、体に甘い香りを付けるためのものだったようだ。


 支給された服は、地球で言うキャミソールによく似た形の薄着。しかしその透明度はかなり高く、ぴったり肌に付くと体の表面がくっきり透けて見えるほどだ。その下に身につけるのはパンティのみ。ぶっちゃけ、かなり恥ずい格好である。


 プライドをゴミ箱にダンクシュートして、それを着用。脱衣所を出る。


 脱衣所から前に真っ直ぐ伸びた廊下を歩いていた時、壁に寄りかかって立っていた一人の女の人が、向かい側の壁を片足で踏みつけた。それによって、ボクの通り道が塞がれる。


 素足で通せんぼしたのは、二十代半ばほどの女の人。ボクと同じ格好をしている所を見ると、おそらく娼婦だろう。薄着の下にうっすら見える体型はスレンダーだが、凹凸もそれなりにある。顔つきは文句なしに美人だったが、その目つきは鋭く、眉間にシワが寄っていた。きつい感じのする人だ。


「……あんたかい? 店長がさっき雇ったっていう香瑚(シャンフー)ってのは」


 茨のように尖った声で、彼女は訊いてきた。その目も明らかにボクを睨んでいる様子。好意的でないのは明らかだった。


 ボクを呼ぶのに使った「香瑚(シャンフー)」とは、この娼館におけるボクの名前。いわゆる源氏名(げんじな)みたいなものだ。さっき店長に付けられた。


「あ、はい。ボ……わたしが香瑚(シャンフー)です。これからよろしくお願いします」


 ボクはそう言って、お行儀よく頭を下げた。ちなみに一人称は「ボク」から「わたし」に改めている。「そんな男みたいな一人称じゃ客が萎える。変えな」と店長に言われたからだ。


 女の人はフンッと不快げに鼻を鳴らすと、


「あんさぁ、今からでも遅くないからさぁ、とっとと辞めてくんないかしら?」


「え……な、なぜでしょうか」


 ボクが引きつった顔と声で尋ねると、彼女は威圧的な語気で告げてきた。


「あんたみたいな見た目だけ良い女に入られると、はっきり言って迷惑なのよ。おおかた、見た目が良ければ大金稼げると思って入ってきたんでしょうけど、あいにく娼館(ここ)はそんな甘い世界じゃないわけ。この世界ナメ腐ったメスガキにうろちょろされるのってウザイわ。とっとと消えてよ」


 うわぁー……きっつい事言ってくれるなぁ。女性特有のトゲトゲしさを感じる。ある意味、姉様より迫力あるかも。


「あたしはもうここに来て長いから、男を夢見心地にする方法なんて死ぬほど知ってるわ。けど男ってバカなのよ。結局、技巧より若さを取るわけ。あんたがここに存在するだけで、あたしは娼婦として正当に評価されなくなるの」


「……えっと、あなたも十分にお美しいと思いますが……」


「は? 何それ? あたしを哀れんでんの?」


「へっ? い、いえ! そのようなことは……」


 威圧感をさらに強めて詰め寄ってくる彼女に、ボクはどうしたものかと困惑する。率直に褒めただけなのに、どうして哀れみだと思うのだろうか。いくらなんでもへそ曲がり過ぎじゃなかろうか。


「もう一度言うわ。あんた邪魔。とっとと消えて。目障り。近くに存在するだけで不愉快極まるのよ」


 彼女はあらゆる表現を用いて「帰れ」と命じてきた。


 しかし、それに素直に頷くわけにはいかない。


「ごめんなさい」


 ボクは添えおくように言うと、行く手を阻む彼女の片足をどけて、通り過ぎた。


 が、突然後ろから腕を掴まれ、そのまま引っぱられる。


 振り向くと、片手を振り上げた彼女の姿。その表情は憤怒に燃えていた。


「この小便臭いガキがっ!!」


 耳を刺すような金切り声を上げるや、振り上げた手で平手打ちを放った。


 が、数々の武法士と戦ってきたボクにとって、そのスピードはあまりに遅かった。なので、掴まれていない方の手で容易に弾く事ができた。


「小便臭くなんかないです。さっきお風呂入りましたから」


 彼女は驚愕で目を大きく開く。


 が、すぐに怒りを取り戻すと、近くに立てかけてあった角材を手に取り、


「このぉぉっ!!」


 肩に担ぐように振りかぶった。


 ボクはそんな彼女の懐へ一瞬で踏み入り、振り下ろされようとしていた角材の根元を掴んだ。


「これはさすがに危ないです」


 諭すように言うボクの言葉に耳を貸さず、彼女は角材を取り返そうと懸命に足掻く。しかし、日頃腕の【(きん)】を鍛えているボクから取り返すには、彼女はあまりにも非力過ぎた。まさしく大人と子供ほどの力の差だ。


「――あれ? 綿月(ミェンユエ)さん、何してるんですかー?」


 その時、後ろから女の子の声が聞こえてきた。足音は二人分だった。


 振り向くと、遠く離れたところに、ボクらと同じ娼婦の服を着た二人の女の子が立っていた。ストレートヘアーの娘と、ツインテールの娘の二人組だ。ボクよりは年上だろうが、それでもかなり若かった。見た目的に、高校を卒業して間もないくらいの年代である。


 それを見た途端、彼女は気まずそうな顔をして角材から手を離す。そして、逃げるようにボクの横を通り過ぎた。


 「ほら、退きなっ」と苛立たしげに二人の娼婦の間をこじ開け、向こうへ行ってしまう。


 ボクは角材を壁に立て掛けると、歩み寄ってきたその二人に軽く会釈した。


「あっ。あんたでしょ? 今日入った新しい娘って!」


 ツインテールの方の人は、さっきの人とは正反対な明るい態度で話しかけてきてくれた。


 それに対してボクは内心ホッとしながらも、きちんと名乗った。


「はじめまして、先輩方。(リー)……じゃなくて、香瑚(シャンフー)です」


「よろしくー」


「これからよろしくねー」


 気軽な感じで挨拶を返してくれた。


 良かった。さっきの女の人よりは比較的フレンドリーだ。


 ツインテールの人は意地悪そうに笑いながら、


「いや、しかしあんたも入った早々災難だったね。綿月(ミェンユエ)さんに目付けられるなんて」


綿月(ミェンユエ)さんって?」


「さっきあんたをイビってた人よ。この店じゃ一番の古株で、なおかつ一番の技巧派なんだけど、もう満二六で、女としての食べ頃が過ぎかけてるから焦ってんのよ。ま、年増の嫉妬ってやつ」


 ツインテールの人が溜め息をつくように言う。


 いや、まだまだ現役でやれそうなんですけど。あんな美人なんだし…………と、元男のボクが心の中で申してみる。


 ツインテールの人はボクの顔を中腰で覗き込む。


「それにしてもあんた、お人形みたいで可愛いわね。女のあたしでも見とれちゃうくらい。ヤバイ、危機感感じちゃうわ。あたしの客全部あんたに取られちゃうかも」


 その言葉に、ストレートの人は肩をすくめながら突っ込んだ。


「平気よ。あんたにゃあの医者がいるじゃないの。連日通い詰めであんたにゾッコンだしぃ?」


「まあ、毎回指名してくれるのは大助かりなんだけど……キモイんだもんあのオヤジ。○○○○ばっかり重点的に○○○してくるド変態だしさ」


「バカおっしゃい。あんたなんかまだ軽い方よ。あたしなんか○○を○○○○したいとか、○○○に○○して欲しいとか要求された事いっぱいあんだから。人畜無害そうなツラしてる奴ほど、腹の中じゃドス黒い欲望飼ってんのよねぇ」


「そうそう! ○○○を○○して見せろとか、○○○○○ろとか、○○を付けて○○○○○して○○○○しろとか! あっはははは! 変態ばっかよね!」


 ――あまりにもアレな単語が多々あったので、一部自主規制させていただきました。


 うわぁ……ピー音いっぱい……。顔が熱くなるのを通り越して、寒気すら感じた。


 ボクとそんなに歳が離れていないはずなのに、この二人は随分と百戦錬磨なようだった。


「――そういえばあたし、さっき外で神桃(シェンタオ)が歩いてくのを見たわよ」


 ふと、ツインテールの人がそう話題を変えてきた。


 ストレートの人はそれに過敏な反応を示す。


「マジかいっ?」


「うん。ウチの店の前を横切ってたわ。まあ神桃(シェンタオ)の方は、見てるあたしになんか全く気づいてないっぽかったけど。自分はお前らの一段上の世界にいますよ、的な感じ?」


「そうそう、お高くとまってるわよねぇあの女。まあ、確かにあの女はあたしらとは格が違うけどさぁ」


 彼女らの口調には、嫉妬と称賛が混じっているように感じられた。


 ボクは気になって「神桃(シェンタオ)って誰ですか?」と尋ねてみた。


 すると、ストレートの人が答えてくれた。


「『傾城(けいせい)』の一人よ」


「『傾城』って?」


「この【甜松林】の娼婦には階級があんのよ。下から上へ登っていく形で『四級』『三級』『二級』『一級』『傾城』といった感じにねぇ。つまり『傾城』ってのは一番上の階級。【甜松林】最高の娼婦の一人ってわけさ。一晩寝るだけでも凄まじい出費がかさむ。まさに「城を傾かせる美女」ねぇ」


「そういうのって、誰が決めてるんですか?」


「『落果会(らっかかい)』っていう、【甜松林】の統括組織さ。連中は馬湯煙(マー・タンイェン)に近い組織で、タンイェンの命令通りに【甜松林】のあらゆる事を取り仕切ってる」


「へぇー……えっと、つかぬ事を伺いますけど、お二人の階級はどれくらいでしょうか……?」


「あたしら二人とも『三級』だよ。ちなみにさっきの綿月(ミェンユエ)さんは『二級』だから、結構高い方だよ。あんたはまだ入ったばっかだから一番下の『四級』ね。ま、せいぜい頑張んなさいよ、後輩」


 ボクは二人からぐしぐしと頭を撫でられた。


 その後にも、彼女たちは【甜松林】のいろんな事情を聞かせてくれた。


 おかげで、右も左も分からなかったこの町の事をある程度知ることができた。


 聞いていて楽しかった。


 ……だって、それが一種の現実逃避になっていたから。


 けれど、時の流れというのは、人間の事情なんか知ったことかとばかりに淡々と進むものだ。


 しばらくして――とうとう「その時」がやって来た。




 そう。

 ボクの「香瑚(シャンフー)」としての初陣である。









 夕日などとっくに落ちきった真夜中。すでに一般の家では夕食を終え、寝る時間となっていることだろう。


 しかしこの【甜松林】は、夜からが本領発揮だ。職という枷から解き放たれた男たちが、ぞろぞろとこの色町へやって来る。娼婦たちは金銭を対価として受け取り、女体の柔らかさをもって彼らの心と体に癒しを与えるのだ。


 かくいうボクも、その担い手の一人になろうとしていた。


 奥に向かって長方形に伸びた店内は、天井からぶら下げられた巨大な行灯の光によってほの明るく照らされていた。奥まで並行に続く長い双璧には、通路がそれぞれ一つずつ空いている。その通路の先には、娼婦と夜の逢瀬を行うための個室がいくつもあるのだ。


 ボクを含むこの店の娼婦は全員、壁際に並んでいた。来客に備えてスタンバっているのだ。ボクたち娼婦はいわばこの店の商品だ。言うなれば自分自身を陳列棚に並べているのである。


 ちなみに階級の高い娼婦ほど奥へ、低い娼婦ほど店の入口側に立っている。上座と下座みたいなものだ。ド新人のボクの立ち位置は当然、一番下。


 ボクはパンティ一丁の上にキャミソール似の半透明な薄着という、どう見ても下着にしか見えない格好だった。髪はいつもの三つ編みではなく、ストレートに下ろされていた。店長曰く「田舎臭いからやめろ」とのこと。


 見ると、綿月(ミェンユエ)とかいう人は、結構奥の方に立っていた。目が合った途端、まるで射殺さんばかりに睨みつけられた。……これから先、いじめられないといいなぁ。


 いや、いじめの方がまだ可愛い問題か。――これからするかもしれない事に比べれば。


 とうとうこの時が来てしまった。


 ボクはなっちゃったのだ、娼婦に。


 これから初めて会った男に買われ、そして……その、えっちぃ事をするかもしれないのだ。


 もう一度言うが、今のボクはこの店の売り物だ。きちんとお金を持った男に求められたら、その時点で売り物に拒否権など無い。


 のらりくらりとやり過ごす……とは言ったものの、悪いことにボクは『四級』、つまり一番安い娼婦なのである。


 安いということは、手が届きやすいということ。つまり、客に目をつけられる確率が非常に高くなるのだ。


 どでかい溜め息が出そうになるが、それをグッと我慢する。


 はっきり言おう。前途多難だ。


 処女喪失の展開は、もしかすると避けられないかもしれない。


 まあ、それなりに覚悟はしているが、できればそうなりたくはない。


 どうか、タンイェンが来るまででいいから、この店には客が一人も来ないで欲しい。ボクはそんな非現実的な願いに本気ですがっていた。


 そして当然ながら、それは叶わなかった。


 店の出入り口の戸が、開いたのである。


「――よぉ店長! また来てやったぜ!?」


 途端、無遠慮なデカい声が飛び込んできた。出入り口の一番近くにいたボクは思わず眉をひそめる。


 着崩した服装。細身だが貧弱そうではない、ほどよく筋肉の付いた体型。常に口元に浮かんだ軽薄そうな笑み。見るからに遊び人っぽい、若い男だった。


「あらあ!? これはこれは、(グァン)さんの所の御曹司!」


 その男を見るや、店長はボクらに接する時とは打って変わった、へつらうような明るい態度を取った。


 ていうか、ボクが来店した時よりも数倍輝いて見える。


「誰……?」


 ボクが小さくこぼすと、隣にいた娼婦さんが小声で教えてくれた。


「【会英市(かいえいし)】の貿易商の息子よ。ウチのお得意様」


 なるほど。だからあんなに明るい態度なのか。


 男は店内へと踏み入ってきた。


 その足取りを見てボクは少し目を見開く。足裏が床に吸い付くような歩き方。それはまさに、武法士の歩行だった。


「さーって、今日はどの娘にしようかなー、っと」


 中央まで来ると、彼はぐるぐると回りながら周囲の娼婦さんたちを楽しげに品定めしていく。


 他の娼婦さんが期待の眼差しとなる中、ボクは少しでも目立たないようにと顔を背けていた。当たりませんように……当たりませんように…………!!


 ――しかし、それでかえって目立ってしまったのだろう。


 男はボクをまっすぐ凝視したまま、視線を固定させていた。


 冷や汗がぶわっと湧き出す。


 男はそのままボクに歩み寄り、体のあちこちに視線を走らせてきた。


「お前、見かけねぇ顔だなぁ?」


 ボクはなおも顔を背けていた。無駄だと分かっていながら。


 男は店長の方を振り向いて、無駄に大きな声で訊いた。


「店長!? もしかして、新しく仕入れた娘ぉ!?」


「はいぃ! 今日入ってきた新入りの香瑚(シャンフー)でございます」


 店長は相変わらず恐縮した態度で答える。


 仕入れた――この言葉にボクは内心カチンときた。まるで女をモノのように扱う言葉だったからだ。


 男はさらに顔を近づけ、興味津々にボクを見つめていた。その息は煙草臭かった。


 ボクは笑顔を崩さないまま、心の中で毒づいた。


 おまえなんかに、ボクの処女は死んでもやるもんか。


 ボクは申し訳なさそうな態度を作り、女の子女の子した弱々しい声で言った。


「え……えっと、ボ――わたし、まだここに来たばっかりで……まだ男の人と……その…………一夜を共にした事がないんです…………だから、その、あなたのお相手が務まるかどうか……」


 男は目を丸くし、


「へぇ? お前、生娘?」


「は、はい」


 ボクは恥じらうような態度を装って頷いた。


 どうだ。萎えただろう。ざまーみろ。


 これは前世で読んだ雑誌から得た情報だが、遊びたい盛りな若い男の間では「処女は重くてめんどくさい」という認識が少なからずあるらしい。なので処女アピールをすれば萎えて引き下がると思った。


 だが、男は嫌そうな顔をするどころか、逆に瞳を輝かせて言った。


「店長!! 俺今日はこの娘にするわ!! やっべ、俺生娘とヤるの大好きなんだよなぁ!!」


 マジかぁぁ――――――!!? 逆に燃え上がりやがった!!


 ヤバイ。ヤバイよこれマジヤバイ。


 果てしない危機感を覚えたボクは、なおも抵抗した。


「いや、あの、だからわたし……男の人を悦ばせる方法なんてまだ全然……」


「気にすんなって。むしろ、俺が一から手取り足取り教えてやるよ」


 いりません。ありがた迷惑です。


香瑚(シャンフー)、ゴネんじゃないよ! お前のような乳臭い小娘をわざわざ買ってくださるってんだ。そもそも、入って一年どころか一日すら経ってないペーペーのお前に、拒否権があるとでも思ってんのかい!?」


 さらに援護射撃とばかりに、店長の叱責が飛ぶ。やかましい。知るかそんなの。


「へへっ、んじゃあこの娘は買っていいんだな?」


「どうぞどうぞ。構いませんよ」


 店長が手もみしながら媚びるような口調で言う。


「だってさ。ほら、来いよ。今夜は楽しもうぜ」


 男はその無骨な手でボクの片腕を掴み、引っ張っていった。










 どうしよう…………………………。


 もしかするとボクは今、人生最大の危機を迎えているのかもしれない。


 そこは小さな部屋だった。人間二人が余裕で寝られる大きな(ベッド)、設置型の大きな行灯、花をモチーフにした木の格子で閉じられた窓。それ以外に何もない殺風景な部屋である。


 ボクは男の手に引かれ、この場所へと連れてこられた。


「っしゃ、燃えてきたぁー!」


 男は部屋に入った途端、興奮気味に上着を全て脱ぎ捨て、上半身裸になった。


 ヤバイ。向こうは早速やる気満々だ。どうすればいい?


 ボクは必死で思考をフル回転させ、打開策(わるあがき)を練る。


 ……こうなったら、関係ない話に持ち込んで床入りを忘れさせてやる!


 処女、断固死守すべし!!


 男が下の衣服も脱ぎだそうとした時、ボクは努めて女の子らしい態度を作り、速攻で頭に浮かんだ話題を口に出した。


「あ、あの、もしかして武法をやられてるんですかっ?」


 それを聞くと、男は感心したような声で、


「へぇ、よく分かったな。ガキの頃からのお稽古事の一つとして、武法をやってたんだ」


「そ、そうなんですか。それで、流派は?」


「【番閃把(ばんせんは)】ってやつ」


 よし、順調に食いついてる。


 このまま時間を忘れるほどに話を展開させてやる。武法マニアの知識量を舐めるなよ! 一晩語り明かすなんて朝飯前だ!


「へ、へぇー! 【番閃把】ですか! あれは有名ですよね。それに宮廷護衛官御用達の【心意盤陽把(しんいばんようは)】の元になった功績は素晴らし――」


「――ってぇかさぁ、んなこたぁいいからよ、さっさと始めようぜ」


 しかし、話を戻されてしまった。


 ええい、負けるもんか。まだ諦めないぞ。


「いえ、でもわたし、もっとあなたとお話が――」


「くどいんだよ!!」


 次の瞬間、ボクは突き飛ばされた。そして、背中の延長線上にあったベッドに倒される。


 仰向けになったボクの上に、男が勢いよく覆いかぶさってきた。


 すぐ目の前にある男の顔は、さっきまでの軽薄そうな表情ではなかった。


 彼がボクを見る目は、人間を見るソレではない。まるで「モノ」を見るような目つきだ。


「店長に代わって教えてやるよ新入り。テメェの仕事は男に体を差し出す事だ。男の話し相手じゃねぇんだよ。テメェら娼婦はただ金持った客にケツ振ってりゃそれでいいんだ。分かったか雌犬」


 その豹変ぶりに、ボクは思わず怖気が立った。


 男の顔が、下卑た笑みに変わる。


「安心しろよ。痛ぇのは最初だけだ。それに俺、お前みてぇな貧相なガキ、結構好みなんだぜ? もし今夜ちゃんと相手できたら、これから先贔屓にしてやってもいいぜぇ?」


 言いながら、ボクの胸に手を近づけ始めた。


 その距離、残り15厘米(りんまい)


 10厘米(りんまい)――


 8厘米(りんまい)――


 5厘米(りんまい)――


 3厘米(りんまい)――


 2厘米(りんまい)――


 1厘米(りんまい)――











「やっぱり無理ぃぃぃぃ――――――――!!!」











 羞恥と恐怖と不快感に駆られて振り出されたボクの拳が、男の片頬に炸裂した。


「ぱぎょおぉ!!?」


 男は奇っ怪なうめき声を発したかと思うと、ものすごい勢いで吹っ飛び、ボクから離れた。


 そして、入ってきたドアに激突。その衝撃で蝶番(ちょうつがい)が壊れ、男はドアごと部屋の外へ放り出された。


 突発的に響いた破壊音の後には、息苦しいほどの静寂が訪れた。


「……………………あ」


 ――やっちゃった。


 思わずぶん殴っちゃった。


 しかしもう遅い。目の前には、ボクのしでかした行為の結果があった。


 部屋の外の廊下に横たわった男は、あるべき場所から抜けたドアと一緒に寝転がっていた。完全にのびている。


 ――後の祭り。覆水盆に返らず。


 それらの言葉が、ふとボクの頭に浮かんだのだった。


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