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打ち砕く拳、切り裂く脚②

「――見せてあげる。【刮脚(かっきゃく)】ではない、私が自分で創り出したとっておきの技を」


 その言葉に対し、ボクは脊髄反射のような素早さで構えた。


 ライライは大きく息を吐き出すと、目を閉じ、ゆったりとリラックスした状態で立つ。


 もう何度か深呼吸を繰り返す。


 そして、口を小さく動かし始めた。


「……る………………………………る…………け…………」


 何かを呟いている。


 口の動きの乏しさと同じくらい、微かな声量。おまけに観客の声にかき消されて全然聞こえない。


 だが、ライライの唇の動きから、かろうじてその呟きの内容を理解することができた。


 その内容は、次の通りだ。


「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」


 ――ライライは、まるで何かに取りつかれたように、「蹴る」という言葉のみを何度も繰り返していた。


「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」


 まだ続く。


「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」


 まだまだ続く。


「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」


 そこで一度区切りをつけると、大きく息を吸い、


「蹴る」


 これまでで一番力強い「蹴る」の一言を吐き出した。


 瞬間、ライライのまとう雰囲気がガラリと変わった。


 彼女を取り巻く空気から淀みや不純物がすべて取り除かれたかのような、そんなクリアーで混ざりっけの無い澄んだ気配。


 ボクはじゃりっ、と靴裏を擦り鳴らす。


 一体何をしていたのかはさっぱり分からない。


 だが今のライライは、さっきまでとは明らかに「何か」が変わっていた。抽象的な言い方かもしれないけど、それだけは断言できる。


 ライライはすさり、すさりと歩を進めてくる。


 その瞳に宿る闘志の炎は消え去っていた。だがその代わり、純水のように澄み切った輝きで満ちている。


 ――どういうわけか、ボクはそんなライライがたまらなく恐ろしく見えた。


 互いの距離がゆっくりと縮まっていく。


 だがボクの本能のような感覚が、彼女の間合いへ入ることに対して激しく警鐘を打ち鳴らしていた。「今すぐ逃げろ」と。


 だが、逃げていては勝つことはできない。ボクは心の警鐘を無視してその場に踏みとどまり、ジッとライライの到達を待った。


 やがて、ボクはライライの一足一刀――ならぬ一足一蹴の間合いの先端に入った。


「がっ――――!!?」


 突如、右の二の腕に衝撃が走る。


 真横へ吹っ飛ばされた。


 何の前触れもなくやってきた衝突と痛みに頭が混乱しつつも、ボクは即座に体勢を立て直し、さっきまで立っていた位置へ視線を向けた。


 が、ライライは蹴り終えた体勢をとっていなかった。それどころか、体を動かした素振りを欠片も見せていなかったのだ。


 ――いや、待て。さっきのはそもそも本当に蹴りだったのか?

 ――衝撃が来たのは確かだ。けど、攻撃の前兆が全く見えなかった。

 ――いやいや、ちょっと待て。ボクが攻撃の発生を見逃していただけなんじゃないのか。


 ライライはそんなボクの困惑など知らないような涼しい顔をしながら、再び近づいてきた。ダッシュではなく、ゆっくりとした歩行で。


 その穏やかな様子が、かえってボクの目には不気味に映った。


 けど、根拠のない恐怖心を噛み殺し、ボクは自分からライライへと駆け足で向かって行った。


 真正面から突っ込む――と見せかけて右斜め前へ方向転換。


 ライライの側面を取ったボクは全身に回転を加えながら近づく。


 彼女からは、未だにアクションを起こす気配が感じられない。


 戸惑う心を無理矢理黙らせてから、遠心力を乗せた右回し蹴りを打ち込もうと考えた。


 その時だった。右太腿と腹部に、高速で飛んできた砲丸が直撃するような圧力を感じたのは。


「――――っ」


 一撃目で足を払われ、二撃目で弾き飛ばされた。


 ボクはこれ以上ないほど目玉をひん剥く。


 今受けた二つの激痛に苦悶するが、その苦痛を帳消しにするほどに、ある事実に驚愕していた。


 なんと、ライライの足は――全くその場所から動いていなかったのだ。

 

 何度か地を転がったが、すぐにしゃがみ姿勢に持ち直す。


 今なおゆったりした物腰で立つライライへ、驚愕の眼差しを送った。


 心臓が鳴り響いて止まらない。


 ――ボクは確かに見た。


 二発の衝撃が訪れた時、ライライは確かに微動だにすらしていなかった。


 動くどころか、ほんの微かな初動さえ無かった。


 もしかして、相手に触れずに攻撃する技か?


 ――いや、そんなことはありえない。あるはずがない。


 それじゃあ、まさしく超能力じゃないか。


 それに、もし触れずに攻撃できるというのなら、ボクと距離が近づかなくてもボコボコにできているはずだ。ボクが謎の攻撃を受けたのは、すべてライライの蹴りの射程圏内。つまり、あれは「蹴り」だ。


 しかし、実際に蹴ったモーションを見せてはいなかった。なので、蹴りであるかも少し怪しい。


 なら、あの攻撃の正体は一体なんだ。


 武法マニアのボクでさえ知り得ない、謎の攻撃。その姿なき驚異に、ボクの心はすっかり翻弄されつつあった。


 ライライはまるで見透かしたような口ぶりで、次のように訊いてきた。


「ねぇシンスイ、あなた子供の頃、飛び回るハエを手で捕まえようとしたことはあるかしら? あれって中々上手くいかなかったでしょう?」


 まったく脈絡の無いその言葉に、首をかしげたくなる。


 が、ボクは少し戸惑いながらも、なんとか返答した。


「え……うん、まあ」


「そうよね。でもね、ものすごく簡単に手掴みできる方法が一つだけあるの。それは――「手を速く動かそう」っていう意識を持たないことよ」


 彼女の口から、また脈絡の無い発言が――


 ――いや、脈絡はあるかもしれない。


 ライライは今「速さ」と口にした。


 先ほどの、不可視の攻撃を思い出す。そして、一つの仮説を立てた。


 あれは「見えない攻撃」じゃなくて、「目で追えないほどの速度を誇る攻撃」なのではないか? 


 それならば、ライライの言った「速さ」という言葉に結びつく。


「知ってるかしら? 人間の体っていうのは、とってもつむじ曲がりなの。「速く動こう」と思えば思うほど、筋肉が緊張して、かえって遅くなってしまう。逆に「速く動こう」っていう執着を消し去り、ただ「この動きをしよう」っていう意識だけで体を動かすと、その動きは速く、そして鋭くなる。「速さ」への執着を捨てれば捨てるほど、動く速度は増す。そして「速く動こうとする意識」という不純物をすべて取り除き、純粋な「蹴る」という意識のみを残すと――その蹴りは神速へと至る」


 ライライが小さく微笑む。


 その笑みは、怖いほど澄んで見えた。


「それこそがこの【無影脚(むえいきゃく)】。強雷峰(チャン・レイフォン)に父の事を思い出させ、そして意趣返しするために、私が作った技よ」


 稲妻に打たれたようなショックを受けた。


 蹴りの速度をデタラメなものにしているのは、間違いなく【意念法(いねんほう)】だ。体を鍛えることで速くするのではなく、自己暗示による精神操作を使って速さを手にするのだ。


 「速さ」を捨てて「速さ」を手に入れる――あらゆる武法を知るボクでさえ、そんな技術は聞いたことがなかったし、想像さえつかなかった。


 しかし、真に驚く所は他にある。




 ――こんな凄い技を、ライライは自分で作ったのだ(・・・・・・・・)




 武法の長い歴史の中、革新的技術を生み出した者は多い。


 だがそれができたのは、ほんのひと握りの”天才”のみだ。


 そして、その天才が今、目の前にいる。


 ……もしかするとボクは、武法の歴史の大いなる1ページを見ているのかもしれない。


 仮にもし、ボクを「天才」などと言う人がいたならば、それを否定した上でこう返したい。「ボクは指導者と指導環境にとてつもなく恵まれていただけの、ただの凡人だ」と。


 純粋な才能ならば、きっとライライの方が上だ。


 ――本当に、厄介な相手と戦うことになっちゃったようだ。まさしく「敵に回すとこれほど恐ろしいなんて……」というセリフの意味を体験学習している気分である。


 しかし、ボクは諦めるつもりはない。


 もう引き返す事は出来ない。突き進むしかない。


 あの日、父様に大見得を切った時点で、すでにサイは投げられているのだ。


 渡りきってみせようじゃないか。


 【無影脚】という暴れ川を。


 ボクはライライとの僅かな距離を潰しきるべく、走り出した。


 途中で胴回りに【硬気功(こうきこう)】を付与。なおかつ両腕で顔面を守るという守勢を取る。


 これで受けるダメージを最小限にする事ができるはず。この状態のまま突っ込み、飛んでくる彼女の神速の蹴りに耐えながら強引に懐へ入ってやる。そうなればこっちのものだ。


 ボクはそのまま、彼女の領域へと足を踏み入れた。


 その瞬間、不可視の蹴りによる強大な圧力が、左右の脇腹へ往復ビンタよろしく叩き込まれた。


 しかし、そこは【硬気功】を施しているため痛みは無い。


 ボクはバランスを取り直すと、再び走り出そうと、


「うっ……!?」


 ――したが、途中で足が止まってしまう。


 胃の中を引っ掻き回されるかのような、凄まじい不快感に襲われたのだ。


 ――しまった。【響脚(きょうきゃく)】か!


 【無影脚】のインパクトが強すぎて、この技の存在をすっかり忘れていた。


 その隙を突き、右脇腹へ見えない回し蹴りが舞い込んだ。


 紙くずのように軽々と吹き飛ぶボク。【硬気功】のおかげで痛みが無いのが幸いだった。


 受身を取って立ち上がってから、すぐに【震脚(しんきゃく)】する。それによる地面からの反作用で【響脚】の振動波を相殺。不快感が消えた。


 ボクは舌打ちする。【響脚】があるため、【硬気功】による防御で強引に押し切るのは無理だ。【硬気功】の効かない攻撃の厄介さを、まさか自分が味わう事になるなんて。


 ……それなら。


 ボクはもう一度【震脚】して瞬発力を高めてから、再び大地を蹴った。


 真っ直ぐへは進まない。右側から大きく迂回するような円弧軌道で近づく。


 やがて、ライライの背後へたどり着く。


 ボクは胴回りを【硬気功】で固め、顔を両腕でガードしながら近づいた。さっきと全く同じ構えだ。


 【響脚】は回し蹴りを左右交互に行う技。背後の相手に、二連続の回し蹴りは不可能なはず。


 ボクは勇んで、左足で彼女の間合いへ踏み入った。


 次の瞬間、土手っ腹と左足甲の順に、強い物理的ショックが訪れる。


 腹は【硬気功】がかかっているため、当然痛くはない。


「――――!!」


 が、足甲は違った。


 金鎚で殴られたような強い痛みが走り、ボクは目を白黒させた。


 おそらく今使ったのは【鴛鴦脚(えんおうきゃく)】。あの技は後ろへ跳ね上げるように蹴った後、勢いよく爪先を急降下させて相手の足甲を痛めつける。それを目にも留まらぬ速さでやってみせたのだ。


 痛みに悶えて固まっている所へ、見えない蹴擊がぶち当たった。ボクの軽い体が弾き飛ばされる。


 胎児のように丸まった状態で滑り、停止。


 ボクは左足を踏ん張って立ち上がろうとしたが、さっき打たれた足甲がズキリ、と鋭い痛覚を訴える。その痛みから目を逸らし、強引に起立した。


 左足で強く地を踏むたびやって来る鋭痛に、ボクは忌々しげに奥歯を噛み締めた。


 背後からの攻めは、完全に裏目に出る結果となった。これなら【響脚】を避けない方が効率的だったかもしれない。【響脚】の不快感はすぐに消せるが、今受けた足甲の痛みはしばらく続きそうだから。


「あなたばかりに攻めさせてごめんなさいね。でも大丈夫……今度は私から攻めるから」


 ライライは変わらぬ涼やかな声色で言うや、突然ボクめがけてスピードアップした。全身の強靭なバネから繰り出される、ネコ科の猛獣のようなしなやかさと鋭さを持つ走り。


 今までのゆったりした様子からの唐突な加速に、ボクは反応がワンテンポ遅れた。


 そのせいで、彼女の間合いの接近をかなり許してしまう。


 焦る心の赴くまま、右足――左足を痛めているから――のバネを駆使してウサギのように横へ跳ぶ。


 直後、神速の蹴りがボクの立っていた位置の石敷を削った。姿どころか影すら残さないそのべらぼうな速度は、まさに【無影脚】の名に恥じないものだった。


 砕かれた石敷の大きめな破片が飛んでくる。ボクはそれを片手でキャッチするや、こちらへ距離を縮めにかかっていたライライへ投げつけた。


 彼女は走る速度を緩めると、見えない蹴りでその破片を砂に変える。


 それによって生まれた僅かな隙を使って、ボクはできるだけ長く後退し、間隔を大きくした。


 こちらへ近づくライライの両目に一致させるように、ボクは両の視線を送る。そのまま、互いの目が一本の紐で繋がっているイメージを強く持った。――【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】。視線の動きによって相手の移動方向をコントロールする技。それを使ってライライの体勢を崩させ、拳を打ち込む隙を作ってやろうと考えた。


 が、ライライはボクの視線から目をそらした。


 「くそっ」と心の中で毒づく。こっちの狙いはバレバレのようだ。センランとの一戦で【太公釣魚】を見せてしまっていた事が、ここに来てアダとなった。


 蹴りの射程圏の端と再び重なりそうになった瞬間、ボクはダイビングでもするように真横へ大きく飛び退いた。何度か転がってから再び二本足で立ち上がる。


 それからしばらくの間、あらゆる手段を用いて彼女から逃げ続けた。


 今のボクらを形容するなら、「手負いの獲物を追いかける猛獣」といったところか。当然、ボクが追われる側だ。


 彼女の間合いに入る事は自殺行為。入った瞬間、稲妻のような足技によって黒焦げにされる。間合いの中心たる自分の元へ近づく事を絶対に許さない。いわば「蹴りの結界」だ。


 ボクは逃げの一手に徹しつつ、その結界を破る方法を必死に考えていた。しかし、未だに何一つ打開策が思いつかない。


 やがて、逃げの一手にも限界が訪れた。


 考え事をしながら何かに取り組むと、大抵上手くいかないものだ。ずっと庇っていた左足で誤って瞬発してしまい、それによる痛みで思わず居竦んだ。そのせいで体が凝り固まり、回避行動に失敗する。


「ぐぅっ――!!」


 その代償と言わんばかりに、二の腕へ透明のミドルキックが直撃。派手に飛ばされた。


 石敷の上を無様に転げるボク。


 うつ伏せになってようやく止まり、約20(まい)先に佇むライライを見た。


 服がすっかりボロボロなボクと違い、彼女の体にはほとんど汚れが見られなかった。


 その違いを見て、怪物に追い立てられた時のような強い焦燥感が胸を冒す。


 何もかもが通じない。


 攻撃を避けるだけで精一杯だ。


 近づくなんてもってのほか。


 攻撃どころか指一本さえ触れられない。


 かつてないほどの逆境に、ボクは立たされていた。


 このままだと負ける。


 負けて、武法士として生きる人生プランがお釈迦になってしまう。


 そんなのは嫌だ。せっかく掴んだ第二の人生なんだから。


 ボクは勝ちたい。勝って【黄龍賽(こうりゅうさい)】の本戦へ進み、そこで優勝したい。いや、しなくちゃいけない。


 だけど現実問題、【無影脚】を攻略する方法が全く思いつかない。


 そして、ライライもそれを考える時間を与えようとはしてくれない。その証拠に、現在進行形でボクの元へと接近している。


 あと十秒足らずで、ボクは蹴りの領域に飲み込まれるだろう。


 度重なる打撃によって、いい加減全身はガタガタだ。これ以上蹴りを喰らうのはマズイ。


 けど、どうすればいい? 


 まず、蹴りの速度が速すぎて、回避が出来ない。


 防御しようとすれば【響脚】がやって来る。


 八方塞がりじゃないのか。




 ――いや。そんなことはない。




 突然、ある考えが雷のように脊髄を貫き、脳髄を焼いた。


 刻一刻と縮まるライライとの距離など気にも留めず、ボクはそのひらめきを確かめていた。


 一つだけ方法がある。


 目で追えないほどの速度を誇り、なおかつ変幻自在な動きを持つ【無影脚】を攻略できる方法が。


 その答えは、びっくりするくらいシンプルなものだった。


 いや、きっと今までのボクが、難しく考え過ぎていただけなんだ。


「ふふふ……っ」


 思わず、口から笑みがこぼれる。


「……何か、思いついたのかしら」


 大和撫子を思わせる奥ゆかしい微笑みを見せ、そう尋ねてくる。


 ボクは不敵に口端を歪め、


「まあ、そんなところかな」


「そう……でも、果たしてそれが今の私に通じるかしら…………」


 ライライのあの妙に落ち着き払った態度は、おそらく、神速の蹴りを放つのに邪魔な雑念を取り払った結果だろう。今の彼女からは悟りを得た僧侶にも似た、異様に澄み切った雰囲気が感じられる。


 心の中で予言する――その余裕な表情は、もうすぐ驚愕で塗りつぶされる事になる、と。


 ボクは全力で走り出した。


 左足で地を蹴るたび、痛覚が鋭く駆け巡る。


 しかし、今だけはそれを無視し、普段通りに足を動かした。大地をしっかりと踏みしめ、自分の体を素早く前へ導く。


 走行中、ボクは【硬気功】を胴回りにかけ、顔を両腕で覆い隠して防御の体勢をとった。


 本日三度目になるこの防御。


 断じてやけっぱちではない。これが勝利の鍵だ。


 ここで、作戦通りに事を運べるかどうかが、この勝負の分かれ目。


 その作戦で求められるのは、三つの要素。


 ――「準備」の速さ。

 ――その「準備」を行うタイミングをうまく掴み取る能力。

 ――そして、運。


 どれか一つでも欠ければ、ボクの目論みは失敗する。


 イチかバチかの大勝負だ。


 絶対に決めてみせる!


 決めてやる!


 彼女の間合いに入るまで、残り約四歩。


 集中力を極限まで引き出し、時の流れを遅くする。


 三歩、


 二歩、


 一歩、


 蹴りの結界へ足を踏み入れた。


 ――ここだ!!


 転瞬、ボクは出せる限りの速さで動いた。


 腰の高さを急降下させる。

 閉じていた足を左右へ一気に開き、四股を踏んだような立ち方となる。

 胸を張り、その勢いで両肘を左右側面――正確には、左右の脇腹の隣――へと突き出す。


 それらの身体操作を同じタイミングで開始し、そして終える。




 ――次の瞬間、右肘に重々しい感触がぶつかった。




 「ミシリ」という微かな音とともに、強烈なインパクトが体の芯まで響く。だが【両儀勁(りょうぎけい)】のおかげで、ボクの足はその場からは少しも動いていない。


 右肘のすぐ隣に、ライライの左足があった。神速という名のベールが脱げ、その姿が露わになっていた。


 そして、


「うぐっ…………!?」


 ライライはさっきまでの涼しげな表情を一変、驚きと苦痛が混ざったような顔となっていた。


 それを見て、ボクは作戦の成功を確信する。


 ――【無影脚】の攻略法。これは難しいようで、実は非常に簡単なものだった。


 ボクは顔を両腕でガードした上で、胴回りに【硬気功】を施した。


 この構えは、【無影脚】に対してボクが取れる最善のガード姿勢だった。


 ライライはそんなボクに、どうやって決定打を与えた?


 【響脚】を使った。彼女はボクの両脇腹へ往復ビンタのように素早く回し蹴りを当て、体内を揺さぶってきた。


 ――そう。だからこそ、ボクがこのガード姿勢をとったら、ライライは高確率で【響脚】を使って来ると踏んだのである。


 【無影脚】は確かに目に映らないほどの神速だ。だが、どこへ飛んでくるかがある程度予測出来てさえいれば、対応は比較的簡単に行える。


 ――だが、それはあくまでも前提条件。本題はこれからだ。


 もう一度言うが、【無影脚】の攻略は結構簡単だ。




 だって――攻撃の要たる「足」を攻めればいいだけなのだから。




 ライライは高い確率で【響脚】を使ってくるはず。つまり、狙う箇所はボクの側面に絞られる。


 あらかじめ蹴ってくるであろう位置は分かっている。ならばそこを狙って【打雷把】自慢の強烈な一撃をお見舞いすればいい。


 両側面へ肘打ちを行う技、【撕肘(せいちゅう)】。この一撃と真っ向からぶつかったライライの蹴り足は――見事に損傷しているはずだ。彼女もヤワな鍛え方はしてないので折れてはいないが、それでもかなり痛かったことだろう。苦痛にまみれた今の表情が、それを如実にものがたっている。


 だが、【響脚】を使う確率こそ高かったものの、必ずしも予定通りにいく保証はどこにもなかった。なので、運試し的な作戦だったことも否定出来ない。


 しかし今、その賭けは見事に成功を収めている。




 そして、痛みに苦しんでいる今こそが――最大の隙となる!




 痛む左足で地を蹴り、疾走。


 ライライへ肉薄。ずっと入りたくて仕方のなかったその懐へ、ようやく到達した。


 ライライは「しまった」と言わんばかりの表情でボクを見る。


 けど、もう何もかもが遅い。


 右足による【震脚】で踏み込み、同時にそこへ急激な捻りを加える。

 捻りの力を受けた全身が、綺麗に噛み合った歯車のように旋回。

 その回転運動を直線運動に変えるイメージで右拳を突き出した。


 ――渾身の正拳【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】はライライの体に真っ直ぐ突き刺さり、さらにその奥へ分け入らんとばかりに食い込んだ。


 微かな呻きが耳元で響く。それとともに、ライライの姿がものすごい勢いで後ろへ流された。


 ボクはそれを後から追いかける。


 ライライは背中で着地。それからもしばらくの間、後ろへスライドし続ける。


 ボクはまだそれを追う。


 やがて慣性が摩擦に負け、ライライの動きが仰向けで止まった。


 ボクもそれに合わせ、走るをやめる。


 そしてしゃがみ込みつつ、ライライの顔面の一寸先まで拳を進めた。


 ――寸止め。


 円形闘技場全体に静寂が訪れた。


 ボクも、ライライも、果てには観客たちも、水を打ったように沈黙している。


 数秒間、その深い静けさは続いた。


 その沈黙を最初に破ったのは、ライライだった。


 ボクの拳の下にあるライライの顔は、悔しげに、しかしそれでいて満足そうな笑みを浮かべ、言った。


「…………降参よ。さっきの肘打ちで、左足の脛にヒビが入ったみたい。もう蹴り技使いとしては負けたも同然だわ。この勝負あなたの勝ちよ、シンスイ」


 その言葉が聞こえてから約五秒後、






「――宮莱莱(ゴン・ライライ)の棄権を確認!! 勝者、李星穂(リー・シンスイ)!!」






 審判員の口から、勝者の名が高らかに叫ばれた。


 刹那、どっ、と歓声が膨れ上がった。


 これまで聞いてきた歓声の中で輪をかけて激しく、膨大な声量。


 その理由は、簡単だ。


 今この瞬間、この大会の優勝者が決まったからだ。


 このボク――李星穂(リー・シンスイ)に。


 それを実感した瞬間、ボクは喜ぶよりも先に脱力した。落っこちるようにその場で座り込む。


 ライライと目が合った。


「散々蹴ってごめんね、シンスイ」


「ううん。ボクもライライの足に怪我させちゃったし、おあいこだよ」


「そっか。それとシンスイ、私が蹴りで作った上着の裂け目から胸が見えそうよ。隠した方がいいわ」


「うわ!?」


 ボクは慌てて両手で胸を覆い隠した。壁のように貧相な胸だが、女の子としてあけっぴろげはどうかと思う。後で着替えないとね。


 ライライはそんなボクを見てクスクスと笑いをこぼすと、


「――優勝おめでとう、シンスイ」


 そう、祝う言葉をくれた。


 それに対し、ボクは何も言わず、満面の笑みを返したのだった。


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