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ボクも武法士、私も武法士

 翌日。


「えええええ!? センランが皇――――むぐっ」


 ボクから聞いた内容を大声でもらしてしまいそうになったミーフォンの口を慌てて塞ぐ。


「おバカっ。そんな大声出しちゃダメでしょ。バレたらエライ事になるよっ」


「……ごめんなさいお姉様。つい驚いて」


 シュンとするミーフォンの頭を、許す意思を込めてそっと撫でる。


 ボクは目と【聴気法(ちょうきほう)】で周囲を探る。人の姿も【気】の存在も無いことを確認すると、ため息をついた。この世界には盗聴器も隠しカメラも存在しない。ひとまず安心していいだろう。


 ここは『競技場』の一階廊下だ。石壁にいくつも空いた四角い穴から眩しい朝日が入り、こちらを明るく照らしている。


 もうすぐセンランとの試合が始まる。ボクは控え室に行く途中、ミーフォンとライライの二人と鉢合わせした。


 二人にはまず、昨晩の事を聞かれた。あの後どうしたの、と。


 ボクは昨日の事を包み隠さず話した。もちろん、その中にはセンランの素性のことも含まれていた。この二人になら話してもいいと思ったからだ。もちろん、オフレコにするという条件付きで。


 当然ながら、聞かされた後のリアクションは驚愕の一択だった。


 ミーフォンは今の通り。ライライも叫びはしなかったが、大きな驚きを顔に表していた。


「はっ!? てことは今からお姉様は、こ――げふんげふん、センランをボコ殴りに行くってことになる……でもそんなことしたらブタ箱行きになるんじゃ!? ヘタすると首チョンパ!? いやあああああ! お姉様が死んじゃうぅぅぅ!!」


「お、落ち着いてミーフォン! それは絶対ないから! ね!?」


 そう。そんな事は絶対にありえない。


 センランは「皇女」ではなく「武法士」として戦うのだ。権力を振りかざすなんてことは、死んでも彼女のプライドが許さない。


 ライライはすっかり事情を受け入れたようで、普段の落ち着いた態度に戻っていた。


「それでシンスイ、勝算はあるの? 【硬気功(こうきこう)】無効化の存在はすでに大会出場選手全員に知れ渡ってしまっているから、みんなきっと回避を中心にして戦略を練ってくるわ。そして……」


「うん、分かってるよライライ。センランの武法は――回避向きな流派だってことだよね」


 【心意盤陽把(しんいばんようは)】の歩法の速度なら、回避することも、そのまま相手の死角に入り込むこともきっと一瞬で行える。


 スピードに関しては、悔しいけどボクはセンランに遠く及ばない。


 しかし、自分と相性の良くない相手とぶつかる事なんて、大会が始まる前からすでに覚悟できている。


 それに、ボクには【打雷把(だらいは)】がある。【雷帝(らいてい)】と呼ばれた最強の魔人、強雷峰(チャン・レイフォン)の作った武法が。


「大丈夫。絶対に勝ってみせるから」


 だからこそ、そう自信満々に言ってのけた。


「お姉様……勝ってくださいね」


 心配そうに言うミーフォンの頭を再び優しく撫でてから、ボクは控え室へと向かったのだった。











 そして、その時はやってきた。


 円筒状の空間。リング状に広がった客席にいる多くの観客が、円筒の底のような闘技場を見下ろしている。


 そんな彼らの視線を集めているのは、ボクと、その向かい側に立つセンランだった。


 上層にある客席からはわらわらと声や音が聞こえる。今でも十分騒々しいが、最高潮になった時はもっと凄まじいのである。


 しかし、そんな騒音などほとんど聞こえないほどに、ボクらは互いに意識を集中させていた。


「――”私”は嬉しいよ、シンスイ」


 晴れやかな笑顔を浮かべたセンランは、そう静かに言った。


「キミとこうしてこの場で立てることが、奇跡のようにすら思える。キミがあの時説得を持ちかけなければ、こうなることは叶わなかっただろう」


 乱流のような騒音の中にいるにもかかわらず、その静かな声は驚くほどすんなりボクの耳に届いた。


 ボクらはまさに、二人だけの世界にいた。


「だからこそ、その好意に対する感謝を示すため――全力でいく。それがキミに対する最高の礼儀であると信じているから」


 瞬間、彼女を取り巻く雰囲気が変わった。


 荒波のような圧力、剣のような鋭さ、それらを同時に感じる。


 眼鏡の奥にある眼差しから、視線という名の槍を突きつけられているかのごとき錯覚を覚える。


 しかし、そんなふうに雰囲気を変えながらも、センランはさっきと変わらない笑顔で、言った。


「何せ、私は「武法士」だからな」


 一寸の迷いも無い口調だった。


 思わず笑みがこぼれた。


 そして、ボクも返す。


「うん。ボクも「武法士」だ。だから君が「武法士」である以上、全力でいくから」


 センランは「武法士」。ボクも「武法士」。


 これは「武法士」同士の神聖な戦いだ。


 全力で挑むのが礼儀。


 全力で挑む相手には、全力で返すのが礼儀。


 平等な関係性。


 生まれや家柄や立場を理由に手心を加えたり加えさせたりすることは、その関係性と「武法士」の誇りを著しく冒涜する悪しき行為。


 ボクらは互いに、左拳を右手で包んだ。


 【抱拳礼(ほうけんれい)】。互いの対等な関係性を、互いに認める儀礼。


 これをセンランと交わせたことを、ボクはきっと忘れない。


 センランもまた、覚えていてくれることだろう。


 そして――試合開始を告げる銅鑼(ドラ)が鳴った。


 先に行動を起こしたのはセンランだった。


 一気に距離を詰めた――かと思いきや、ボクの真横を通って背後に回り込んできた。


 ほぼ一瞬で刻まれたジグザグ軌道。まさしく稲妻が走ったような動きだった。


「っ!!」


 相変わらずとんでもないスピードだが、その速度で来ることは覚悟していたため、ボクの反応はなんとか間に合った。右肘を振り、真後ろからやってきたセンランの右正拳を弾いてその軌道をずらした。


 ボクは素早く彼女の右手首を掴む。そして、そのまま手前へ勢いよく引っ張りこんだ。


 センランは羽根のように軽かった。――当然である。センランがボクの引っ張る力に乗る形で、自分から突っ込んで来ていたのだから。


「ぐっ!?」


 ボクは高速移動してきた石のブロックに直撃したかのような、重々しい衝撃をその身に受ける。


 大きく真後ろへ投げ出されるが、なんとか倒れずにバランスを保った。


 自重を一〇〇パーセント活用できる武法士の体当たりは、まさしく車の正面衝突に等しい威力がある。


 普通の人間なら確実に大怪我しているところだが、武法士の骨格は【易骨(えきこつ)】によって理想形に整えられているため、非常に優れた衝撃分散機能を持っている。これくらいではビクともしないのだ。


 センランは遠く開いた間隔を、再びその高速移動で潰してきた。


 しかし、真正面から攻め込みはせず、左側面に移動。


 彼女が次の行動を起こす前に、ボクは迅速に左半身全てに【硬気功】をほどこす。


 それから半秒と待たず、左上腕部にセンランの肘が叩き込まれた。


 【硬気功】のおかげで痛みも傷も無いが、弾丸にも等しい速力で衝突した肘は、その腕の細さとは不釣り合いなインパクトを発揮。ボクの体は右側へ勢いよく投げ出された。


 一度受身を取ってから、素早く立ち上がり、構える。


 ごくり、と喉が鳴った。


 ――厄介な武法だ。


 センランの重心移動の速度は、『陰陽の転換』の速度とイコールの関係だ。


 つまり踏み込んで放つタイプの打撃は、始まり(動作の開始)から終わり(踏み込み)までの過程が非常に速い。


 よって、攻撃動作が見えた後に【硬気功】を使おうとしたのでは遅すぎるのだ。


 これが【心意盤陽把】。宮廷護衛官の必修武法に採用されるほどの名門流派。


 その凄さは前から聞いていたが、実際戦ってみて改めてそれを痛感した。まさに百聞は一見に如かずだ。


 それから、幾度も攻めてきた。


 瞬足でボクの死角へ移動し、矢継ぎ早に攻撃を浴びせかけてくる。


 時には真横。時には背後から。


 ボクは神経を極限まで研ぎ澄まし、対処していく。


 繰り返される攻撃の種類は様々だったが、すべてに共通している特徴が一つあった。


 ――さっきから、全く前から攻めて来ようとしない。


 センランは攻撃の時、ボクの後方一八〇度のうちのどこかへ必ず移動しているのだ。


 その理由は容易に察せた。


 ボクの【勁擊(けいげき)】を警戒しているからだ。


 【打雷把】の【勁擊】には、「【硬気功】の無効化」という我ながら反則じみた特殊能力がある。もし直撃が確定しても、【硬気功】で守ることはできない。なので、安全地帯や死角からの攻撃ばかり行っている。


 ライライの言った通りの展開になった。


 それに加えて、ボクは今少し良くない状況に置かれている。


 周囲のあちこちから次々とやって来る攻撃のせいで、腕による防御が間に合わない事が多くなっていた。


 そしてその分、あらかじめ【硬気功】を張っておくという手段を多用している。


 【硬気功】に頼りすぎているのだ。


 このままだと【硬気功】を使いすぎて、【気】が枯渇してしまう。そうなったら疲労で動きが鈍くなる。超スピードを誇るセンランにそこを攻められたらおしまいだ。


 今のボクはまさに、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶も同然。この状況が長引けば、そのうち限界がやって来る。


 なんとかしなければ。


 ゆえに、ボクは行動を起こした。


 【硬気功】がかかった背中に打ち込まれた拳の勢いを利用し、ボクは前へ大きく跳ぶ。


 足を踏みしめ、勢いを殺す。背中は未だに敵に見せたまま。


 そして、そんなボクの後ろ姿めがけて、センランが雷光のような速力で迫った。


 ――今だ!


 センランの正拳が肉薄した瞬間、ボクはしたり顔で身をねじり、これから打点になる予定だった背中の位置をずらす。


 拳は見事に空を切った。


 そしてその時すでに、ボクは拳を脇に構えたまま振り向いていた。


 【仙人指路(せんにんしろ)】。あえて隙を見せることで、相手の攻撃を誘う体さばき。


 彼女は見事に、ボクの垂らした釣り針に食いついたのだ。


 ボクは今、見事にセンランの腕のリーチ内へ潜り込んでいた。


 このまま真正面から【衝捶(しょうすい)】を打ち込んでやる。


 後足で地を蹴り出し、体を勢いよく推進させながら、脇に構えていた拳を伸ばしていく。


 しかし、直撃の間際にいるはずのセンランは――口元に微笑を作っていた。


 かと思えば、半歩横へ体をズラす。


 そうした事により、センランはボクの正拳の延長線上から脱した。


 ……しまった。


 ボクはそこでようやく理解する。


 ミイラ取りがミイラになった。


 攻撃を誘い込んだつもりが――逆に誘い込まれた。


 自分は未だ、【衝捶】を行おうとしている最中である。


 攻撃を繰り出している過程というのは、実は最大の隙になりやすい。なぜなら、攻撃動作を行っている最中は――回避も防御もできないのだから。


 ボクは急いで【硬気功】を体の前面にかけようとする。


 しかし、センランの拳が突き刺さる方がずっと速かった。


「あぐっ――!」


 鈍痛と鋭痛の中間のような痛覚とともに、ボクの体が後ろへ吹っ飛ぶ。


 歯を食いしばって痛みに耐えつつ、両足の摩擦で慣性を殺した。


 見ると、センランはすでにさっきの位置から消えていた。


 かと思えば、


「はっ!!」


 突如、背中に衝撃が舞い込んできた。


 約半秒間に十発近いインパクトを叩き込まれ、痛みよりも驚愕が先行する。


 その攻撃を受けて初めて、センランがボクの背後へ先回りしていたことを知った。


 今のはおそらく、『陰陽の転換』を利用した連続突きだろう。相手に接触した拳を『陽』、そうでないもう片方の拳を『陰』と考え、それらを何度も交互に入れ替えたのだ。この流派の源流である【番閃把(ばんせんは)】譲りの一芸。


 それからすぐにやって来た回し蹴りを、ボクは間一髪両腕でガード。


 おぼつかない足取りで後退しつつも、なんとかバランスを取り戻す。


 そこへ、センランが再び急迫する。


 ボクはそれを見て、【気】を丹田にチャージさせる。


 ――センランが前蹴りを放つのと、ボクが構えた両腕に【硬気功】を施したのは、全く同じタイミングだった。


 ドドドドドドドドドドドドドン!! と爆竹のごとく蹴りが跳ぶ。


 センランの両足が、目にも留まらない速度で交互に踏み換えられていた。


 おそらく、先ほどの連続突きと同じ理屈を足で実行しているのだ。【番閃把】は拳でしかできないが、【心意盤陽把】は足でも可能なのである。


 【硬気功】によって硬化したボクの腕に、彼女の蹴りはダメージにならない。


 しかし、絶え間なく高速で浴びせられる衝撃が、徐々にボクの体という名の物体にエネルギーを蓄積させていく。


 そして、その「衝撃の蓄積」は――ボクの足をほんの数厘米(りんまい)浮き上がらせた。


 たかが数厘米(りんまい)


 が、されど数厘米(りんまい)


 足元が浮き上がったことで、ボクはバランスを崩し、死に体となった。


 マズイ。ここを攻撃されたら――!


「そこだっ!!」


 センランは蹴りをやめ、拳を矢のように疾らせる。


 ボクは、幸いにもまだ【硬気功】の残っていた両腕でそれを防御した。


 ズンッ、と衝撃。


 痛みは無い。しかし宙に浮いている今、打撃の勢いを殺す手段は無い。


 結果的に、ボクは後ろへ大きく投げ出される事になった。


 お尻から着地。一度後転し、流れるように立ち上がる。


「まだまだ行くぞシンスイ!」


 大きく離れた位置に立つセンランの姿が、視界の中で急速に大きく写った。


 真っ直ぐ迫る。


 ボクは危機感を抱いた。このままじゃ防戦一方だ。


 こうなったら、あまり得意な技じゃないけど、「アレ」を使ってみるしかない。


 幸い、今のボクとセンランは向かい合った状態だ。この位置関係なら成功するかもしれない。


 覚悟を決め、近づいて来るセンランの両目と視線を合わせた。


 ボクと彼女の両目が糸で繋がっているイメージを強く持ちつつ、凝視する。


 センランがさらに近づく。


 が、ボクは今なお彼女の目を見ることに集中していて、一切構えない。


 ボクの目には、センランの瞳しか映っていない。


 その瞳の奥に、この一戦を心から楽しんでいる感情をあらわす光が見えたような気がした。


 とうとうセンランは、拳と蹴りが全てを決める間合いまで到達。


 ボクはその瞬間、彼女と視線を合わせたまま――首を右に回した。


「うわっ――!?」


 するとセンランは、突然何かに引っ張られるようにして前のめりになり、バランスを崩し、虚空を舞う。


 さっきまでしていた高速移動による慣性が働き、ものすごいスピードでボクの右を通り過ぎようとする。


 そんな彼女に、ボクは飛んできたボールをバットで打ち返す要領で回し蹴りをヒットさせた。


 確かな手応えとともに、ほんの微かな呻きが耳朶を打つ。


 そして、センランの体は元来た方向へと流された。


 【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】――相手と自分の視線を、特殊な【意念法(いねんほう)】を使って一時的に同調(シンクロ)させる技術。同調した互いの視線は、一本の糸で繋がったような状態となるため、ボクが視線を動かせば相手もそれに釣られる形で動かされる。さっきのセンランはそれによってバランスを崩したのだ。


 背中を引っ張られるようにして遠ざかるセンランめがけて、迅速に直進。


 すぐに追いつき、彼女の胸前へと到達。


 ボクは強烈な肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】による追い討ちを実行した。


 ――が、技を開始した瞬間、彼女は地に足をついてしまう。


 当たれば決め手に化けるであろうボクの肘が接触する僅差(きんさ)、風のように一歩後退。射程圏外へ逃げられてしまった。


 下がったセンランが再び手前へ疾駆するのと同時に、ボクは肘鉄を空振らせた。前足がズドンッ! と石敷を踏みしめる。


 彼女はこちらへ急接近。その顔が視界の九割を占める。


 このままじゃ打たれる――そう思った時には、すでに本能的にもう片方の拳を真っ直ぐ突き出していた。【拗歩旋捶(ようほせんすい)】だ。


 センランもまた、一直線の突きを出す。


 互いの拳が、ピンポイントで衝突。


 彼女の【勁擊】のパワーが拳から腕骨を通い、体幹に染み渡る。拳と拳の接触面から暴風が爆ぜた気がした。


 ボクは突き終えた姿勢のまま、その場から動かない。


 そしてセンランは――大砲のような速度で弾き飛ばされていた。


 単純な【勁擊】の威力では、ボクは彼女よりずっと上だ。何より【両儀勁(りょうぎけい)】によって磐石の重心を得ているため、その場から少しも動くことはなかった。


 センランは遠く向こうにある壁へ背中から激突。大きく跳ね返って地にうつ伏せに倒れる。


 その様子は、ミーフォンとの試合の終わりとデジャヴしていた。


 が、センランはゆっくりとだが、立ち上がって見せた。


 その顔は、苦痛と同時に確かな喜びを噛み締めるようにして微笑を作っていた。


 ボクもつられて笑みを浮かべる。


「……私は嬉しいぞ、シンスイ。予想以上だよ。まさか最後の最後で、キミのような強者と一戦交えられるとはな。昨日、リーエンに(こうべ)を垂れた甲斐があったというものだ」


「お気に召して良かったよ。君こそかなり厄介だ、センラン」


「それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」


「もちろん。少しでも油断したら、足元をすくわれそうだ。ひと時も気が抜けないよ」


「そうか」


 センランはフッと涼しげに一笑した。


 が、すぐにそれは挑発的な笑みへと様変わりする。


「しかしシンスイ、これは勝負だ。私が勝敗にかかわらず去る身だとしても、キミが本気で優勝を目指しているのだとしても、私は全身全霊で勝ちに行く。悪く思わないでくれ」


「構わないよ。というか、そもそもそれが目的で”家”を出たんでしょ?」


 違いない、とセンランは小さく頷くと、構えを取った。


 後足に重心を乗せ、両太腿が地と並行になるほどに腰を落とした構え。


 ボクは意思とは関係なしに奥歯を噛み締めた。緊張感が生まれる。


 確信できた。


 センランはこれから、何かしようとしている。


 今まで見せて来なかった、特別で、強力な何かを。


「シンスイ、これは「武法士」である私から渡せる、せめてもの置き土産だ。とくと見るといい――【箭踏(せんとう)】を」


 次の瞬間、センランの姿が消え――


「がっ――!?」


 ――たと思った瞬間、ものすごい衝撃が腹部を襲った。


 【硬気功】を発動する(いとま)すら与えられず、甘んじて謎の激痛を味わうハメになった。


 認識が追いつかない速度で立て続けた物事に、ボクの頭が混乱をきたす。


 見ると、先ほどまでボクのいた位置には――正拳を突き終えた体勢のセンランがいた。


 宙を舞いながら、ボクは我が目を疑った。


 そんなバカな。ボクとセンランとの間には、さっきまでかなりの間隔があったはず。【心意盤陽把】の高速移動をもってしても、最低でも二秒ちょっとは掛かる。


 しかし今、彼女は文字通り「一瞬」でボクとの距離を詰め、一撃入れてきたのだ。


 ボクは着地とともに受身を取って立ち上がり、前方のセンランを見る。


 彼女はボクの8(まい)ほど先に立っていたが、その立ち位置が突然――ボクの右隣に変わった。


「うぐっ!?」


 横合いから疾風のごとくやって来た肘鉄を、なんとか右肘で打ち下ろして防ぐ。


 かと思えば、またしてもセンランの姿が眼前から消える。

 かと思えば、背中に強烈なインパクト。

 かと思えば、センランが再び右隣に現れ、鞭のような回し蹴りをぶち当ててきた。


 大きく放り出されるボクの体。


 立て続けにダメージを与えられたが、その痛みよりも混乱が勝っていた。


 ――【心意盤陽把】に、こんな技があったなんて。


 まるで立っている座標位置のみを入れ替えたような、常軌を逸した速度。


 それは瞬間移動(テレポーテーション)にも似ていた。


 しかし、そんなことはありえない。


 なら、一体なんだっていうんだ?


 頭の中をかき混ぜながら、ボクは地に背中から落下。


 が、痛みをこらえ、すぐに起き上がる。武法は一部の流派を除けば立ち技専門なので、寝転がったままでいることを良しとはしない。


 前方に佇むセンランはボクを見つめながら、落ち着いた、しかし強い口調で言った。


「これが【箭踏】だ。自分を中心とした一定範囲内の何処かを『陽』と定め、そこへ一歩で重心移動する歩法。我が流派の秘伝に位置する技術だ」


 それを聞いて、ボクはようやく合点がいった。


 【心意盤陽把】の技術を支えている理論は『陰陽の転換』。なのでこの技も当然それを利用したモノである。


 【箭踏】は自分の周囲数(まい)の中で『陽』と定めた位置へ、一歩で重心を乗せる足さばき。


 そして、その移動速度は――使い手の『陰陽の転換』の速度に比例する。


 センランの『陰陽の転換』は凄まじく速い。


 今までの高速移動は、両足の重心移動による『陰陽の転換』を何度も”繰り返す”ことで成立していた。


 しかし、【箭踏】は”繰り返さない”。踏み出すのはたった一歩だけ。


しかしその一歩には、純粋な『陰陽の転換』の速度がそのまま反映される。それによって、瞬時に数(まい)も離れた位置まで到達したのだ。


 それが、あのテレポートじみた移動方法の正体。


 デタラメな話ばかりに聞こえるが、そのデタラメがボクを今苦しめている。ゆえに事実と受け止めざるを得ない。


「これを見せた相手はキミが初めてだ、シンスイ。尊大な物言いになるが、これを見ることができたキミは自分を誇ってもいい。キミは間違いなく、私が今まで戦った中で最強だ。警護隊トップクラスの実力を誇るリーエンでも、まともにやり合ったら危ないかもしれん」


「それは流石に言い過ぎだよ」


 ボクは場違いと分かっていても苦笑した。


 リーエンさんの動きは一度しか見ていないが、それだけでよく分かった。彼はきっとボクより強い。


 でも、自分と同じ趣味と志を持つ友達に、そんな風に認めてもらえたことは素直に嬉しい。


 【箭踏】を使ったのも、単にボクが強かったからだけじゃないと思う。


 武法を好むボクだからこそ、見せてくれた。そんな気がしてならない。


 もしそうだとしたら、本当にサービス精神旺盛だ。


 二重で嬉しい。


 そして、ボクもそんなセンランの厚意に報いたいと思った。


 この一戦を、忘れられない一戦にしてあげたいと思った。


「さあ、再開といこう。おそらく、ここからが勝負の分水嶺となるだろう」


 ボクは黙って頷いた。


 互いに構える。


 しっかりと地を踏みしめる。


 そのまま、視線と視線をぶつけ合う。


 微動だにしない。


 上層にある客席から、歓声が絶え間なく降ってくる。


 しかし、ボクの意識はこの戦いに集中しているため、その声は小さく聞こえる。


 さらに静寂へと近づき、やがてほぼ無音になった瞬間、センランの姿が”消失”。そして間伐入れずに人間一人の【気】が真横に出現。


 考える前に、ボクは前へ走った。


「ハッ!!」


 気合の一喝とともに放たれた掌打が、ボクの背をかすった。


 回避に成功した喜びと安堵に浸りたいのはやまやまだけど、そんな暇はない。


 丹田に【気】をチャージ。


 背後から一直線に攻めてくる事を予想したボクは、先手を取って振り向きざまの後ろ回し蹴りを振り出す。


 蹴り足が空気を切り裂き、円弧軌道で鋭く移動。


 だが結局、蹴れたのは空気だけだった。センランはその場から少しも動いていなかったのだから。


 蹴りの遠心力のまま、ボクは胸をさらけ出す。


 センランの姿がまた消えた。この角度からして、間違いなく胴体狙いだ。


 ――が、それも予想の範疇。


 あらかじめ溜めておいた【気】を、胴体の前面全てに集中させた。【硬気功】。


 センランが、点灯したLEDライトのようにパッと目の前に出現。同時に、莫大な運動量のこもった拳が胴にぶつけられた。


「わっ……!」


 ノーダメージ。しかし打撃の勢いに押され、闘技場の床面を転がる。


 しゃがみこんだ姿勢になってから立ち上がると、ボクは決死の思いで頭を働かせた。


 ――次はどう来る? 真っ向から? それとも横から? もしくは背後?


 ――彼女はボクの【勁擊】を警戒していた。だから真っ向から来る確率は低いかもしれない。


 ――だとしたら、睨むべきは背後と左右。もしくは斜め前と斜め後ろ。


 ――いや、今の彼女のスピードなら、ボクが対応するよりも速く打ち込める。ならば、真正面から攻めても問題は無いはず。


 ならば――あえて前を打つ!


 ボクはセンランが姿を消すよりも迅速に、足底から全身を旋回させた。


 【拗歩旋捶】。拳が音速に届きそうなほど加速。


 矢のごとく撃ち放たれたボクの正拳は、やがて一瞬で眼前に現れたセンランの脇腹に擦過した。彼女の上衣にぱっくりと大きな切れ目が走る。


 不格好に腰をひねったセンランは、ひどく緊迫した表情。おそらく、とっさの判断で避けたのだろう。


 ボクは突き伸ばされた手で、そのままセンランの衣服を掴もうとする。


 彼女は片膝を垂直に蹴り上げ、ボクの腕を真上にカチ上げた。


 が、その時すでに、ボクの爪先蹴りが鋭くセンランにヒットしていた。


 分厚い鋼板を蹴ったような硬質感が、蹴り足に走る。なんと彼女はすでに胴体に【硬気功】を施していた。この攻撃を読んでいたのだろう。


 ボクの【勁擊】は【硬気功】を無効化させることができるが、それは【勁擊】に限った話。普通の打撃技はこうして防がれてしまうのだ。


 以降、幾度も出し合い、防ぎ合い、ぶつけ合った。


 センランの戦い方は非常に立体的で、かつ型破りだった。


 消えては現れ、消えては現れ、消えては現れ、怒涛の攻撃を仕掛けてくる。


 ボクはそれをギリギリで防御、回避していく。


 やってきてから対処するのでは遅すぎる。なので、あらかじめ相手の一手先を計算、予測した上で先手先手を取っていく。技術というより、駆け引きの勝負だった。


 しかし、それでも時々さばき切れずに、細かい攻撃を食らってしまう。それはセンランも同じであった。 


 互いの力が拮抗した戦いが続く。


 さっきの防戦一方な状態に比べればマシだろうが、それでも宜しい状況とはいえない。


 お互いの実力が五分五分なら、その戦いはどちらか片方が力尽きるまで続く消耗戦となる。


 自慢になるけど、ボクは相当鍛えているので体力には自信がある。


 しかし、センランもボクと同じくらいの武法ガチ勢だ。ヤワな鍛え方をしているとは到底思えない。


 そこを考えると、彼女から先に力尽きる展開を期待してはいけないと思った。


 センランの力量を必要以上に警戒した上で、一段優位に立つ方法を探す必要がある。


 その方法は?


 もちろん、【打雷把】の【勁擊】だ。


 贔屓目で見なくても、絶大な威力。しかも【硬気功】も効かないという悪魔的な追加効果も持つこの【勁擊】をまともに食らえば、たとえセンランだってただでは済まないだろう。


 しかし、それを打ち込む隙が無い。彼女の動きが速すぎて当たらないのだ。それに外れれば、そこがそのまま隙になってしまう。


 欲しい。


 なんとか、付け入る隙が欲しい!


 そのためには何が必要だ!?


 必死で考えろ。でなきゃお前に勝機は無いぞ、李星穂(リー・シンスイ)


 もう一度【太公釣魚】を使う? ――ダメだ。あれをやるにはかなりの集中力が要る。このギリギリの状況でそんな余裕はない。ましてやセンランは一度食らっているんだ。今度は警戒しているはず。


 【仙人指路】はどうだろう? ――何寝言言ってるんだ。それは破られたじゃないか。失敗すればそこが大きな隙になる。


 なら、砂をかけて目を潰して動きを鈍らせるのは? ――原始的だけど、良い考えだ。でも砂なんかどこにある? ここは一面びっしりと石敷だ。砂利道とは違う。


 ……いや、できるかもしれない。


 砂利が無いのなら――作ってしまえばいい!


 天啓のようにある考えが浮かんだボクは、丹田に【気】を集め、凝縮させる。


 そして、対面していたセンランに背中を向け――闘技場を囲う壁目指してダッシュした。


「――!?」


 その唐突な行動に驚きの声をもらすセンランを無視し、ボクは壁めがけて全速力で駆け続ける。


 壁面がぐんぐん近づいてくる。


 次の瞬間、背中に重々しい衝撃が炸裂。センランが追いかけて、ボクの背中を打ったのだ。


 かなり痛いが、同時にナイスアシストだと思った。彼女の打撃による勢いのおかげで――壁面まで一気に近づくことができたのだから。


 ボクは地を蹴り出し、急速に前進。


 壁面のすぐ前まで到達した瞬間、【震脚】で踏みとどまる。


 同時に、丹田に集めておいた【気】を――【炸丹(さくたん)】させた。


 体の内側から末端へ向けて、激しく突っ張るような力が生まれた。


 その力は、強大な威力のこもった正拳に、更なる莫大な運動量を与えた。


 そしてその正拳【衝捶】は硬い壁面に直撃し――その直撃箇所周辺を”爆裂”させた。


 壁を形作っていた石材が木っ端微塵に粉砕。壁面の一部が深々とえぐれ、大きな破片と細かい破片が同時に宙を舞う。


 ボクは、細かい砂状の破片を手のひらいっぱいに掴み出す。


 そして、真後ろへ向かってばらまいた。


「うっ……!?」


 途端、ちょうどボクの3(まい)ほど離れた位置にいたセンランが目元を庇い、呻きを上げた。目に入ったか、もしくは入らないように庇っているのだろう。


 ボクはその僅かな隙を見逃さず、一気に彼我の距離を圧縮。


 センランがボクの接近に気づく。


 同時に、ボクは彼女の腹部に拳を添え置いた。


 センランは「マズイ」と言わんばかりの焦りを顔に浮かべる。これから一歩下がって回避しようとすることだろう。


 ――しかし、もう何もかもが遅い。


 こうして拳を相手の体の表面に密着させた時点で、すでの「この技」は決まっているも同然なのだ。


 確かに、瞬間移動じみた【箭踏】の速度は驚異だ。


 しかし「瞬間移動じみた」モノであっても、「瞬間移動」ではない。目的の地点に到るまでには、きちんと「過程」が存在するのだ。


 そして、その「過程」がある限り、「この技」が外れる事は断じてない。


 両足底、両股関節、骨盤、肋間、胸郭――これらを同時旋回させ、その総合的な力を添えられた拳に伝達する。さらにその拳自身にも螺旋運動を加え、その貫通力と推進力を増大。


 螺旋の運動量はトコロテン式に伝わるため、その伝達速度が凄まじく速い。


 センランが下がるより、添えられたボクの拳が力を持つ方がずっと速い。


 ボクは添えた拳を、ゼロ距離で爆進させた。


「っはっ――!?」


 むせ返るような声とともに、センランは勢いよく「く」の字となった。


 これぞ、【打雷把】最速の【勁擊】――【纏渦(てんか)】。


 しかし、この技はスピードが速い分、【打雷把】の他の【勁擊】に比べて威力が少し弱い。なので決め手にはならないだろう。


 センランは【纏渦】の勢いで、後ろへ投げ出されている最中。バランスを崩した死に体だ。


 ここが決め所だ。


 ボクは【震脚】で瞬発力を一時的に高めてから、彼女めがけて突っ走る。


 距離はすぐに縮まった。


 拳を脇に構え、センランに向けて真っ直ぐ狙いを定める。


 ありがとう。


 さようなら。


 いつか、また一緒に遊ぼう。


 そんな思いを込めて、【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】を放った――










 ――それから、どれくらい経っただろうか。


 二回戦の第一試合、つまりボクとセンランの一戦が幕を下ろし、すぐさま第二試合が始まった。


 しかしボクは、選手用の客席でその試合を見ることは無かった。


 ボクの二擊目を受けたショックで気絶したセンランの元へ行ったからだ。


 【黄龍賽(こうりゅうさい)】の運営サイドは、選手の治療のために腕の良い医師を一人派遣している。意識消失で敗北した選手や、怪我をした選手はみんなそこで処置を受ける権利があるのだ。


 医務室に運ばれたセンランはすぐに目を覚ました。【気功術(きこうじゅつ)】による治療を数分受けた後には、すっかり元気になっていた。


 ちなみに、ボクはそこに居合わせた大会運営の人に「壁を壊すなんて何を考えているんだ。しかもあんな派手に粉砕するなんて、熟練した武法士でもできないぞ。その小さな体のどこにそんな力がある」という、称賛だか非難だか分からないお叱りを受けた。


 センランは回復すると、すぐに『競技場』の出口へと向かった。


 ボクも、隣り合わせで付いていった。


 勝敗にかかわらず帝都に帰るというのが、二回戦で戦う条件だ。もう、センランとのお別れは目前である。


 だからこそボクは、少しでも長く彼女と一緒にいたかったのだ。


 目頭が熱くなってくるが、それを抑え、センランと普段通りの態度でおしゃべりをした。もうすぐお別れするという事実から目を背けたいという気持ちももちろんあった。だがそれ以上に、お別れまでの時間を終始楽しいものにしたいと思ったのだ。


 センランも同じ気持ちだったはずだ。だって、ときどき鼻をすする音が聞こえたから。


 しかし、時間というのは実に平等で、冷酷だ。泣こうが笑おうが等しい速度で過ぎていく。


 出口に到着した。


 木製の大きな両開き扉を押して開く。


 外の日差しが眩しく顔を照らす。


 そして、最初に目に付いたのは、騎士制服のような紅色の長衣をまとった一人の美男子。


「お待ちしておりました」


 その人――裴立恩(ペイ・リーエン)さんは、無表情のまま淡々と第一声を発した。


 思わず気後れする。この人は、ボクの苦手なタイプの人間だ。


 しかし、今はそんなことどうでもよかった。


 もう、お別れだ。


 これからセンランは「羅森嵐(ルオ・センラン)」ではなくなり、皇族の人間に戻る。


 彼女は本来、手が届かない立場の人間。ここでお別れしたら、次はいつ会えるか分からない。


 いや、もし会えたとしても、これまでのように対等な友達として接することは許されないだろう。


 それを考えると、この瞬間が永遠の別れになるような気がした。


「っ……? あ、あれ……?」


 ふと、目元から頬を通い、顎に何かが伝っているような感触。


 ボクは、泣いていた。


 我慢するって決めてたはずなのに、情けなく涙を流していた。


 拭いても拭いても、新しい雫が生まれ、こぼれ落ちる。


 止まって欲しいのに、止まらない。


 センランはそんなボクを、痛ましそうに見ていた。


 その瞳に涙を徐々に溜める。


 やがて、ボクらは引かれ合うようにして抱き合った。


「大丈夫。私とキミはずっと友達だ」


 まるでボクの心を見透かしたようなセリフだった。


 その短い言葉だけで、ボクの涙腺は決壊した。


「……うん……うんっ…………!」


 センランの肩に顎を乗せ、泣き笑いしながら何度も頷く。


 師匠が亡くなった時以来、初めて流した涙だったような気がした。









 ひとしきり抱き合い、泣いた後。


「いつか、帝都に遊びに来い! 立場上おおっぴらに仲良くする事はできんが、今回のように変装して、こっそりキミに会いに来てやる!」


 センランはいたずらっぽい笑みを浮かべ、そう提案してきた。目元を少し泣きはらしているが、その顔は昨日ボクと遊びまわっていた時と同じだった。


 ボクも笑顔を作り、元気よくそれに頷き返した。


「……「羅森嵐(ルオ・センラン)」、流石にそれは問題発言かと」


 リーエンさんが呆れ返ったように口を挟んでくる。「皇女殿下」ではなく偽名で呼ぶあたり、やはり真面目だと思った。


 センランは意地悪そうに笑い、


「私が心配なら、目立たぬようこっそり付いてくればよかろう。それが護衛官(お前たち)の仕事なのだから」


「あなた様のお戯れに付き合う事は、我々の職務に含まれないはずなのですが」


「私に武法を教えた時点で、すでに職務の範疇など超えておろう?」


「……はぁ」


 諦めたようにため息をつくリーエンさん。


 案外、この人も苦労人なのかもしれない。そう考えると、少しだけ親しみやすさが湧いた。


「まあ、私も試合を見ていましたが、あなた様も随分と功を高められたようですね。師の立場から言わせていただきます。――先ほどの試合、見事でした」


 彼の一言にセンランは一瞬目を丸くするが、すぐに「そうだろう、そうだろう」と機嫌良く笑った。


「しかし、シンスイも凄かったぞ。こやつの【勁擊】は恐ろしい。一発食らっただけで、精も根もすべて削ぎ落とされたような気分にさせられたよ」


「……でしょうね。私も観客席から俯瞰(ふかん)しておりましたが、肝が冷えました。あれほどの【勁擊】が打てる者は、この【煌国(こうこく)】広しといえどそうはいないでしょう。【勁擊】の威力が売りの武法はいくつかありますが、(リー)女士の技はもっと異質で、そして恐ろしく見えました。まるで――「彼」のように」


 ――彼?


 リーエンさんはいつも通りの無表情だが、その額には微かにだが脂汗が浮かんでいた。


 そして、ボクの方を向き、突然訊いてきた。


(リー)女士、もし間違っていたのなら申し訳ありませんが、貴女の師は――強雷峰(チャン・レイフォン)公ではありませんか? 貴女の武法は、彼のソレととてもよく似ているのです」


「え? はい、そうですが」


 ボクはきょとんとした顔で普通に答える。


 が、センランはひどく驚愕した表情となっていた。


「なんと! キミはあの【雷帝】から武法を学んだのか!? あれだけ弟子を取るのを億劫がっていたあの男の衣鉢を継いだと!?」


「う、うん。まあ、そうなるかな」


「なるほど……それなら、あの異常な攻撃力にも納得がいく。そうか、【打雷把】というのか、あの男の使う武法の名は」


 若干気後れした顔でボクは頷く。


 ボクはすっかり当たり前のように感じてしまっているが、彼の気難しい性格から考えるに、レイフォン師匠の弟子というのはそれだけで驚くべき存在らしい。


 リーエンさんは続ける。その顔は――少し緊張を帯びていた。


「……十年少々前、一度だけ【雷帝】を見かける機会がありました。しかし彼の姿を一目見た瞬間、私は情けないと分かっていても、総身を震わせずにはいられませんでした。――恐ろしかった。まるで殺気という名の衣装を普段着のごとく着こなしているかのごとき気迫。幾つもの死線をくぐり抜けた人間特有の凄みを、まだ若輩者だった当時の私は嫌というほど感じました。そして確信しました、「あれが”本物”なのだ」と」


 ……そう語るリーエンさんの気持ちが、ボクにはよく分かった。


 ボクも初めてレイフォン師匠と目を合わせた時、その瞳からとてつもなく剣呑な気配を感じた。視線だけで殺されるんじゃないかってくらい怖かったのを今でも覚えている。


 まあ、深く付き合いを重ねていくごとに、無愛想に見えて意外と面倒見が良かったりといった面があることが分かったので、ボクは師匠の事が結構好きだったけど。


(リー)女士、他人の師を批判するような事を口にするのは躊躇われますが、老婆心ながら一つ忠告させていただきます。――貴女の師父は、数多の武法士を決闘で殺害しています。全て【抱拳礼】を行った上での合法的な決闘ですが、人は時に、理屈だけでは決着がつけられない生き物。彼に殺された者の身内や腹心からの”仇討ち”には、十分用心するように」


 リーエンさんはいつものリーエンさんらしからぬ、相手の身を案じるような口調で言った。


 どう返事をすれば少し迷ったが、ボクはとりあえず「はい」と頷いたのだった。

















 しかし、ボクはその後、思い知ることとなる。


 リーエンさんの口にした言葉の重さを。


 そして、運命の残酷さを。


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