第二章 式神遣いの少女 〈1〉
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しのぶがサッカー部の朝練をおえ、寝不足と疲労で鉛のように重い身体をひきずりながら教室へもどってくると、机に力なくつっぷした。窓際の一番うしろの席である。
「いやもう今日授業とかムリ。おれ寝てるから要点だけ聞いといてくんない、モヘナ?」
しのぶが小声でとなりに立つモヘナへ云った。
「わかりました。しのクンはしっかり体力回復につとめてください」
制服姿のモヘナがほほ笑んだ。しのぶの護衛でもある〈冥土の巫女〉は、毎日しのぶの登下校につきあっている。
彼女の姿は教室のだれにも見えないが、魔族の姿は鏡や写真に写ってしまう。モヘナが高校の制服を着ているのは、万が一、鏡などを通して彼女の姿が見られた時、少しでも違和感を減ずるための処置だ。
事実、最近、校内でたびたび碧眼の美少女幽霊の噂がささやかれている。その正体を知っているしのぶは、いささか気が気でないが、モヘナはしのぶとクラスメイト(の恋人)気分を味わうことができるので、ひそかにご満悦だ。
「ね、ね、ちょっと鹿香知ってる?」
3つななめ前の席にいたかわいらしい女のコが、しのぶに気づいて声をかけてきた。笹原環である。またの名を〈東スポたまき〉。校内へ広まるイカガワシイうわさの出所はたいてい彼女だ。
「ああ、知ってる知ってる。ほんじゃ」
しのぶはつっぷしたままひらひらと手をふって笹原を追い払おうとしたが、そんなことにめげる彼女ではない。
「まだなにも云ってないのに、知ってるわけないじゃん!」
(だったら「知ってる?」とか訊くなよ)
しのぶはそう思ったが、口にするだけの元気はない。
「鳴鳥市のミイラ変死事件」
「……なに?」
聞き捨てならない件名に、しのぶがゆっくりと顔を上げた。自信のネタに食いついたとみた笹原が怒濤のラッシュをかける。
「全身の血をぬきとられてひからびた変死体が、電信柱に逆さまではりつけにされてたんだって! 猟奇殺人事件だよ! チョ~こわくない!?」
だいぶ尾ひれがついておかしな話になっていたが〈吸ケツ鬼〉事件の小型ミイラが元ネタであることは疑いようもない。しかし、実際の事件とかけ離れていることに内心ホッとしながら、しのぶが訊ねた。
「毎回どっからそんなうさんくさいネタ仕入れてくんだよ?」
「『ぬチャンネル』のオカルト掲示板」
インターネット犯罪の温床ともなっているいわくつきの人気サイトだ。
「おまえ、あんなサイト見てたら、遠隔操作ウイルスでIPアドレスとか盗まれて、変な事件に巻きこまれるぞ。て云うか、朝からそんなヨタ話ふってくんな。このインキンタマキ」
「だ、だれがインキンよっ!」
笹原の怒号に教室の男子が爆笑した。しのぶの前の席に座る男子の滝口が女口調でおどけて云った。
「いっつもすいませんねえ。ふしだらな娘で」
「ほんっと、あんたたちテッペンムカツク! もう、おもしろいネタあっても絶対教えてやんない!」
肩をブリブリと怒らせて席へ戻る笹原だが、次の休み時間にはケロッとした顔でちがうネタをもってくるに決まっている。どうして、その相手がいつもしのぶなのか、彼は気づいていない。いろんな意味でザンネンな笹原であった。
「そう云えば、のどかちゃん、まだきてませんね」
教室を見まわしてモヘナが云った。
「今日も遅刻ギリギリか? いいよなあ、あいつぐっすり眠れて」
「ん? なんか云った?」
モヘナへささやいた言葉に、前の席の滝口が気づいた。
「ああ。ひとりごと。のどか遅刻かな? って」
「のどかちゃん、かわいいよな~。ドジっコ属性萌え萌えだよな~。彼女って低血圧? 朝弱いの? そう云うとこも、か弱い女のコっぽくていいよな~」
(いやいや。寝起きで食パン1斤たいらげるやつを低血圧とは云わんだろう。ありゃ睡眠に対して貪欲なだけだ)
そう云うのも億劫なしのぶは頭の上で、
「ないない」
と手をふった。
のどか(と紀里香)がしのぶと同じ高校へ編入されて、およそ3週間になる。
のどかは天真爛漫と云うか天衣無縫と云うか、とにかく明るく屈託のない性格で、あっと云う間にクラスの人気者、マスコット・キャラクター的存在になった。
休み時間は彼女のまわりに人だかりと笑い声がたえない。そんなのどか姉妹と同居し「お兄ちゃん」とよばれるしのぶは一部マニアから羨望されている。
ちなみに、なぜのどかが同学年のしのぶを「お兄ちゃん」とよぶのかと云うと、初対面の時、しのぶと云う女のコっぽい名前をおぼえるのがめんどうくさかっただけの話だ。
校内に始業の予鈴が鳴った。その予鈴にまぎれてバタバタと騒々しい足音が近づいてきたと思ったら、のどかが教室へ飛びこんできた。
一目散にしのぶのところへ駆けよると、真剣なまなざしで云った。
「ヘンタイなんだよ、お兄ちゃん!」
「いきなりなにをぬかす!」
のどかの不穏当な第一声に顔を上げたしのぶがギョッとした。のどかの左手に握られたカバンとバナナの皮(朝食がわりであろう)が問題だったのではない。
右手にさらしで全体をつつみかくされたドクロ杖が握られていたからだ。
「おまえ、そんなもの学校へもってくるなって……」
その瞬間、のどかの手からドクロ杖が消えた。
「おりょ?」
人の目に見えないモヘナがドクロ杖をあずかったのである。
モヘナは厳密な意味での透明人間ではない。彼女が身につけている服や手にしたものも一緒に見えなくなるのだ。もちろん、のどかにも〈照見メガネ〉がなければ見ることはできない。
「安心しろ。ドクロ杖はモヘナがあずかってくれてる」
小声で告げるしのぶの言葉に、
「モヘナちゃん。感謝感謝」
あさっての方を向いて、のどかが手をあげた。
「のどかちゃん、今なにかもってなかった?」
席についたままふりかえった笹原が訊ねるも、
「はてさて一体なんのことやら?」
と、のどかもしらばっくれた。のどかはしのぶへ顔を近づけると小声で云った。
「お兄ちゃん、お、お、落つちいて聞いてくれる?」
「落ちつくのはおまえだ。て云うか、だれがヘンタイだ?」
「なんですと? お兄ちゃん、タイヘンなんだよ」
「おまえ、ぜったいワザと云いまちがえただろ?」
「新しいミイラがでたの」
「どこで!?」
「この街なんだよ。あとでお姉ちゃんのトコきてって」
「……わかった」
教室の扉が開いて、担任が入ってくると、始業の本鈴が鳴った。のどかがあわてて自分の席へ戻ると、日直が号令した。
「気をつけ。礼」