第一章 ドクロ杖の少女〈6〉
「お礼はスケルグに云ってくれ。おい、のどか起きろ、帰るぞ。……って、やっぱダメか。ごめんスケルグ。ちょっと手伝ってもらえる?」
鹿香しのぶが客室をととのえてカウンターへもどってきた『酔羊亭』のオーナーへ声をかけた。
「おやおや。のどかさんは眠ってしまわれたのですね」
「こうなると、紀里香の恫喝でも起きないんだ。ちょっと手を貸してくれる?」
「お安いご用でございます」
スケルグが鹿香しのぶの背に爆睡するのどかをあずけると、しのぶがドクロ杖をのどかの尻の下へわたして支えにする。
のどかをおんぶしたしのぶの手にベーグルクッションを握らせるとスケルグが訊ねた。
「白鹿へ変化なさってはいかがですか? なにかのどかさまの体をしばるものも探してまいりますが」
「あー……こいつの寝相の悪さを考えると、空中で暴れそうだからいいや。このアホはおれがおんぶして帰るから、スケルグはそのコの悩みを聞いてやってくれ。たぶんスケルグなら、そのコに最善のアドバイスをしてあげられると思う」
「かしこまりました」
「今度はみんなできちんと客としてくるから。こんな時間にありがとう。それじゃごちそうさま」
のどかをおんぶしたしのぶのために『酔羊亭』の扉を開けたスケルグが笑顔でうなづいた。
「それではお気をつけてお帰りください」
ふたりの背中を見送ったスケルグが、百川李へ向きなおると訊ねた。
「お食事のお代わりをご用意いたしましょうか?」
「え、いや。結構です。あのスケルグさん。このタンシチュー、今まで食べた料理で一番おいしいです。超感動しました。本当にありがとうございます。……それで、あの、さっきのしのぶクンって云うんですか? 彼に相談してみろって云われたんで、その、お話を訊いてもらいたいんですけど……」
「私にできることならなんなりと。……ただ、少しお待ちください。今、ハーブティーを煎れてまいりますので」
スケルグがテーブルの上の空になった食器を片づけながら慇懃に礼をした。
「はい」
百川李がうなづいた。ディナーのあとから朝飯前まで、まだそれなりに時間はある。
5
「……やっぱり白鹿モードでおぶって帰ってくればよかったかな?」
爆睡するのどかをおんぶして20分も歩き通したしのぶは、ほうほうのていで家へ帰りついた。
むしろ、一度も休まず歩いてこられたのは、日頃、サッカー部で足腰を鍛えているおかげだ。
出かける時、両親やモヘナへバレないよう、白鹿モードでのどかを乗せて2階の自室の窓から飛びだしてきたので、うっかり家の鍵を忘れた。
(紀里香をケータイで起こすか?)
おそらく、ふたりの帰りを待たずにとっとと寝ているであろう紀里香のイヤミのひとつも覚悟しながら、ポケットの中のケータイを取り出すべく悪戦苦闘していると、玄関の戸が音もなく開いた。
「お帰りなさいませ」
暗い玄関にオレンジ色の水干を身にまとった6本腕の小さな童子が立っていた。
「うわっ! ……なんだ、タカオか。びっくりさせるなよ」
しのぶが小声で驚いた。
彼の前に立つ50cmほどの童子は、幇間型雑用式神・八股多寡男( やまたのたかお)と云う。
のどかの姉で天才陰陽師と名高い紀里香の使役する式神のひとつである。紀里香の実家では、座布団を運ぶなどの雑用をこなしていた。
「あんまり家の中で式神を使うなって云ってるのに……。でも今日は助かったよ」
鹿香しのぶの両親は、ふたりとも魔界やら悪魔についてはもとより、紀里香・のどか姉妹の裏稼業や、しのぶが白鹿へ変化できる特異体質であることも知らない。
紀里香・のどか姉妹は表向き、山奥の実家(神社)から通学できる高校がないため、鹿香家へ居候しているのだ。
「のどかさま、眠っちゃったんですね」
式神のタカオがふたりを招き入れ、玄関の戸を施錠しながら云った。
2階で寝ている両親に気づかれないよう、息を殺して玄関へ背を向けて座ったしのぶが、のどかの靴を脱がせる。
口元からよだれをたらしながら、しどけなく眠るのどかの身体がぐにゃりとうしろへ倒れかけた瞬間、小さなタカオがその背中を6本の腕で器用に支えると、
「しのぶさま。その杖をお願いします」
と云いのこして、のどかを2階まで飛ぶように運び上げた。タカオにはドクロ杖がさわれないらしい。
しのぶが自分とのどかの靴、ドクロ杖、ベーグルクッションを手に階段を上がると、2階の一番端にある紀里香・のどか姉妹の部屋の戸が開き、あかりがもれていた。部屋の戸に背をあずける影が、だまってしのぶを手招きした。
しのぶが入室すると、すでに部屋へのどかを運び上げていた式神のタカオが、これまた音もなく戸を閉めた。サイレンサー・タカオの称号をさずけてよいほどの見事さである。
しのぶが足元をくるくると動きまわるタカオにつられて視線を移すと、2段ベッドの下段でのどかが幸せそうな寝息をたてていた。ただし半裸で。上半身すっぽんぽんで。
のどかのかたわらに座っていた栗色の長い髪をした碧眼の美少女が、のどかをパジャマに着替えさせていた。
この碧眼の美少女こそ、モヘナ・ペルセポナ・レメディオス・アキバ。しのぶの両親も知らないもうひとりの同居人である。
しのぶの視線に気づいたモヘナが柳眉を逆立てた。
「ちょっとなにやってるんですか、しのクン! のどかちゃんの着替えをのぞくなんて!」
あわてて背を向けたしのぶが小声で弁解した。
「ごめん、気づかなかったんだって。て云うか、紀里香によばれたから入ってきたんだ。紀里香の不注意だろ!?」
「あら? 自分の変態行為を人のせいにするなんて男らしくないわね、しのぶ」
さきほどしのぶを手招きした影の正体が、黄色のスウェット姿で腕組みしたまま冷ややかに云った。
赤いフレームの細いメガネをかけたショートボブの怜悧な美少女である。狩庭紀里香。のどかの姉だ。
「はっ!? もしかして、しのクン、本当はのどかちゃんや紀里香さんみたいな胸のコが好きなんですか? ひょっとして、私じゃダメなんですか?」
のどかの着替えを手つだっていたモヘナがしのぶへつめよると、紀里香の瞳へ殺気がやどった。
「ちょっと待った、モヘナ! 今あんた、さらっと私をのどかとおなじカテゴリーへ入れたね!? 胸ぺったんこののどかとおなじカテゴリーへ入れたね!?」
「ごめんなさい。他意はなかったんです。私はただ客観的観測に基づく事実をのべたまでで、紀里香さんを傷つけようなんて決して考えていなかったんです」
モヘナのふしぎと邪気のない言葉が、紀里香の控え目な胸につきささる。
「うぬう、ちょっと私よりおっぱい大きいからって調子に乗りくさって! 世の男どもがみな巨乳好きだと思うな! そうでしょ、しのぶ!?」
「一体なんの話をしとるんだっ!?」
「あの~、お3方。あんまり大声をだされると、しのぶさまの両親が起きてしまわれるかと……」
3人の眼前にふわりと舞った式神のタカオが、おだやかな声でいさめた。