第四章 〈凶狂卿〉カクナルグ〈11〉
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とどのつまり、のどかはその後も24時間ノンストップで爆睡し、翌日のお昼にはなにごともなかったかのように元気な笑顔を見せた。
『酔羊亭』の客間で目を覚ました百川李は自分がなぜそこへいるのかおぼえていなかった。店の前で貧血を起こして倒れたとスケルグや当麻斗から聞かされて一応、得心した。
もちろん、百川李は自分が吸ケツ鬼であったこともおぼえていない。憎むべき父親を自分の手で殺したことも、そこに自分の意思があったのかどうかも。
〈凶狂卿〉カクナルグの実弟であるスケルグの推論によると、人間に吸魂精鬼を寄生させることは容易ではないそうだ。百川李はたまたま適合してしまったのだと云う。
他に吸ケツ鬼がいなかったのは僥倖だが、適合できずに死んでいった人間があまたいるであろうこと、〈凶狂卿〉カクナルグを野放しにしておけば、さらに犠牲者の数がふえることは自明である。
十一御門当麻斗は増援の必要性が失せたので、
「また遊びにくるわねえ」
と春風のような笑顔で『酔羊亭』を去った。
たおやかな和風美人ウェイトレスが消えて失望する客も少なからずいたが、ウェイトレスのアルバイトを引き継いだ百川李がひそかな人気となって店の売上げに貢献しはじめている。
テスト休み期間中も部活のあるしのぶは、テスト勉強や夜ごとの〈悪魔狩り〉から解放され、久しぶりのサッカーを堪能した。
また、しのぶはテスト休みを利用して、部活おわりに紀里香とのどか(とモヘナ)を両親の職場でもある、県立坐浜歴史民俗博物館へ案内した。
しのぶと紀里香は、まだのどかのドクロ杖について話をしていない。
紀里香はしのぶとモヘナが〈呪宝具〉の秘密に気づいていることを知らないし、しのぶものどかの前で紀里香にその話をきりだすわけにはいかない。
そんなことをすれば、待っているのは〈チュー〉にまつわる別の修羅場だ。
しのぶにその修羅場を生きのびるだけの自信はない。
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テスト休みもおわり、新たな1週間がはじまった。
これからは通常授業とともに文化祭準備の幕が上がる。
またそれなりにあわただしい毎日が待っているはずなのだが、今日、校内がうわついているのは、中間テストの結果がかえってくるためである。楽しい未来へ向けての厳しい通過儀礼だ。
「……すげえな。ほんとかよ?」
サッカー部の朝練をおえたしのぶとそれにつき添っているモヘナが2年の教室外壁の掲示板にはられた成績上位者の名簿に瞠目した。
それぞれの学年の教室外壁の掲示板には、成績上位者20名の名簿が貼りだされる。もちろん1年の成績上位者名簿にしのぶやのどかの名前はない。
わかりきってはいたが、一応の確認を済ませると、だれにも見えないモヘナが、
「紀里香さんの成績、見に行ってみませんか?」
と好奇心から云った。日頃あれだけ傲岸不遜な紀里香の成績はどれほどのものかと興味をいだいたしのぶもモヘナの言葉に乗った。
2階の掲示板にも黒山の人だかりができていた。
2年生の中に1年のしのぶたちが割りこむのも気が引けるので、うしろの方からなんとかのぞくと、2位のところに紀里香の名前があった。
「-10点って、ほぼ満点じゃないか」
想像以上の好成績にしのぶが舌を巻くと、しのぶの横に立った影が不機嫌そうに云った。
「なに云ってんの。テスト中に悪魔があらわれなければ、さいごの2問だって解けてたわよ。鮮烈の満点デビューを果たしたかったのに!」
「贅沢なやつだな」
本気でくやしがる紀里香にしのぶがあきれた。
いまだかつて成績上位者名簿に自分の名前を見たことがないしのぶにしてみれば、2位なんて御御御の字である。
これ以上、紀里香の自慢につきあってられるかと自分の教室へ戻りかけたしのぶが、成績上位者名簿のさいごにもうひとり、知りあいの名前を見た。
「20位……百川李!?」
おどろくしのぶの背後からいきなりヘッドロックをかまされた。
「へっへ~、どうよ、しのぶクン。オネエサンに惚れ直した?」
しのぶの頭を胸元でホールドしていたのは百川李だった。
「李!? おまえ成績大したことないって……」
制服の固いブレザー越しとは云え、心なし顔に胸の当たっているしのぶが羞恥心を隠しながら云うと、
「謙遜よ、謙遜。ま、紀里香さんの方がすごいですけど」
李がしのぶをヘッドロックしたまま紀里香へ顔を向けた。
「編入初日からのテストで20位内は私でもギリかな? 李さん、次はふたりでワンツー・フィニッシュ目指しましょう!」
「あはは。それはさすがにムリかな?」
李がひらひらとあいている方の手をふった。
(私でもギリってことは自分にもできるってことだし、ワンツー・フィニッシュって、自分が1位で李が2位ってことじゃないか? なんつー傲慢さ……)
やっぱりしのぶがあきれていると、
「ちょっと、しのクン。李さんに密着されてデレデレしないでください!」
モヘナのヤキモチが暴発し、閃光の右フックがしのぶのみぞおちへ叩きこまれた。モヘナの姿が見えているしのぶにも、モヘナの拳は速すぎて見えなかった。
「ぐほっ!」
しのぶが李の腕の中で悶絶した。モヘナはそのまま踵をかえすと、ひとりで背中からぶりぶりと怒りを発散しながら1年の教室へ下りて行った。
モヘナの姿が見えない李は、急に自分の腕の中で泡を吹き、白目をむいて気絶したしのぶに気づいて飛び上がった。
「ちょ、ちょっと、しのぶクン!? どうしたの!? 私そんなに強くしめてないよっ!? しのぶクン!? しのぶクン!?」
(モヘナか。まったく朝から夫婦仲のよろしいこって……)
〈照見メガネ〉をかけていない紀里香が察すると、狼狽する李を横目にヤレヤレと肩をすくめて嘆息した。




