第四章 〈凶狂卿〉カクナルグ〈8〉
「……あと1匹なんだよ」
そうつぶやいたのどかが突然ひざからくずれ落ちて倒れた。
「のどかちゃん!?」
背後でのどかの倒れた気配に当麻斗がおどろいた。ふりかえりたいのは山々だが、敵から目をはなすことはできない。
「のどか! 大丈夫か!」
林の中からモヘナを乗せた白鹿のしのぶが当麻斗とのどかの元へ駆けよった。
しのぶの背から音もなく飛びおりたモヘナがうつぶせに倒れるのどかの体を抱き起こす。
「のどかちゃん、しっかりして!」
モヘナの言葉にのどかがうっすらと目をあけた。
「……およよ? ……なんだか身体に……力が……入らないんだよ」
(まさか、ドクロ杖の呪いでのどかの命が……!?)
最悪の事態を想起してしのぶの顔から血の気が引いた。鹿なのでだれに見とがめられることもないが。
「あとはおれたちでなんとかする。のどかは少し休んでろ」
しのぶがやさしい声でささやくと、のどかが小さく首を横にふった。
「……悪魔を倒すのが……のどかの……お役目なん……だよ」
うつろな瞳で宙をあおぐのどかの右手がドクロ杖を求めてひらひらとたよりなくさまよった。モヘナがかたわらに落ちていたドクロ杖をのどかの手ににぎらせる。
「……ドクりん」
「ほっほ~。それが所有者の魂と引きかえに無限の力を発揮すると云う伝説の〈呪宝具〉ですか~? イジってみたいバラしてみたい~」
獣人の頭部からスラリ背の高い初老の悪魔があらわれると歌うように云った。獣人の動きが止まり、当麻斗も攻撃の手を休める。
しのぶとモヘナはその声に反応して顔を上げたが〈照見メガネ〉をかけていない当麻斗は悪魔の存在に気づいていなかった。
すなわち、彼は悪魔化していない魔族だ。
銀髪をオールバックになでつけ、丸いメガネをかけた細面の魔族は、ピンストライプのスーツに玉虫色の光沢が鮮やかな紫のストールを巻いていた。
背中には翼のだしいれできる裂け目があるようだ。伊達者である。
「あなたが今回の黒幕ですか?」
のどかをひざにかかえたモヘナが詰問した。
「ほっほ~。ご明察~。我が名はカクナルグ・ケタグル・ボコナグル~。人よんで〈凶狂卿〉と申します~」
「〈凶狂卿〉!? あなたは死んだはずでは!?」
「キョウキョウキョウ?」
モヘナの言葉にしのぶが首をかしげた。当麻斗もあわてて胸元から〈照見メガネ〉をとりだしてかけると〈凶狂卿〉カクナルグの姿を確認した。
「ほっほ~。愚昧な魔族をたばかるなぞ、造作もないこと~」
「なるほど。あなたほどの変態研究者だからこそ、吸魂精鬼を人間に寄生させるなどと云う邪悪なものを造りだすことができたのですね」
「ほっほ~。お褒めのお言葉をたまわり光栄至極にぞんじます~」
「褒めてません」
真っ向否定するモヘナへしのぶがたずねた。
「あいつ、なんなの?」
「……異世界の種をかけあわせたキメラを探求するなどとうそぶき、実験と称して58人の罪なき魔族を殺した変態研究者です。処刑されたと聞いていたのですが、人間界に潜伏していたとは」
「ほっほ~。この世界はすばらしい~。悪魔も人も実験材料ゴ~ロゴロ~。ヤリたい放題~。イジってみたりバラしてみたり~」
「……あの悪魔さん、どっかで見た顔だなあって思ったらあ、スケルグそっくりなのよねえ」
当麻斗の場ちがいなつぶやきを〈凶狂卿〉カクナルグがフォローした。
「ほっほ~。スケルグですと~? 300年前に我が〈実験室〉から逐電した愚弟スケルグが人間界にいると云うのですか~? ほっほ~。堕ちたものですね~」
「おまえも一緒だろうが! ……ってスケルグがこの変態の弟?」
「……魔力を封じる腕輪をつくる技術などは、ふつうの魔族にできるものではありません。〈凶狂卿〉の〈実験室〉とやらで培われた技能であれば得心がいきます」
「ほっほ~。おもしろいですね~。かくかくしかじかしゃべる鹿~。〈冥土の巫女〉へ魂精を供給しているのはおまえだね~。魔族と人の混血に生きたまま魂精を供給できる者がいると云うウワサは耳にしていましたが、それがおまえだね~。ほっほ~。イジってみたいバラしてみたい~」
〈凶狂卿〉カクナルグの丸メガネの奥で針のような細い瞳が残忍な光を帯びた。
「ほっほ~。この地を拠点に悪魔の王道楽土を築くつもりでいましたが〈冥土の巫女〉まででばってくるとは計算ちがい計画狂い~。今回は素直に退却~……するのもなんなんで、そこの白馬鹿をもらって帰ろうかね!」
〈凶狂卿〉カクナルグが云い放つと、制止していた獣人の腕がムチのようにのびて白鹿のしのぶの首を乱暴につかんだ。
あまりの素早さにのどかをひざに抱いたモヘナはもとより当麻斗も反応がおくれた。
「弾弑っ!」
無数の朱い割りばし鉄砲が獣人をロックオンしたが、獣人が弾弑の前に白鹿のしのぶを掲げた。




