第四章 〈凶狂卿〉カクナルグ〈4〉
「朱都理酒真里!?」
険のあるしのぶの言葉を無視するように、朱都理酒真里がモヘナへ一礼した。
「シュマリ。あなたはここでなにをしているのですか?」
モヘナの詰問に朱都理酒真里がにこやかにこたえた。
「陰陽省五大老会議において、堕魔族(悪魔)帰化計画の廃止が決定された旨、スケルグ殿へおつたえに参っただけでございます」
「……やっぱりそうなったか。忠犬も大変ね」
紀里香の皮肉に頓着することなく、朱都理酒真里が笑った。
「すまじきものは宮仕え、でございますよ。あなた方こそ、こんなところで油を売っていてよいのですか? どうやら状況は切迫しているようでございますよ」
「だったら、あんたはどうして……!」
駅前に見おぼえのある黒塗りのゴツい外国車が横づけした。後部ドアが自動でひらく。
「こう見えて私もいろいろと忙しいので。鳴鳥市の件はあなた方におまかせいたします。吉報をお待ち申し上げていますよ」
朱都理酒真里が車の後部座席へ乗りこむと、車はこともなげに走り去った。
「ほんとムカつくわね、あの男。……みんな行くよ」
紀里香が踵をかえすと、モヘナが云った。
「紀里香さん、のどかさん、先に行ってもらえますか。私ちょっと気になることがあるので、しのクンと一緒に調べてきたいんですけど」
紀里香が少し沈思してうなづいた。
「……よくわからないけどわかった。しのぶ、鳴鳥市のホテル雉屋はわかるよね? 用が済んだら速攻加勢にきて」
「わかった」
紀里香とのどかは駅の券売機へ向かい、モヘナはしのぶをともなって街へと向かった。
6
モヘナがしのぶと向かった先は『酔羊亭』だった。本来は営業時間のはずなのに、扉には「CLOSE」の木札がかかっている。
「クローズ? トマトさんが〈悪魔狩り〉に行ったから臨時休業したのかな? そんなはずないよな?」
首をかしげるしのぶの前でモヘナが重い樫の扉を引きあけた。鍵はかかっていない。
店内に足を踏み入れると、腹部をズタズタに引き裂かれたスケルグが血の海に転がっていた。
「スケルグ!?」
「まだ息があります!」
ふたりがスケルグのもとへ駆けよると、モヘナが左手でしのぶを手をとり、右手をスケルグにかざしてささやいた。
「魔治療」
その言葉と同時にしのぶが緑色の光となって消えた。
モヘナの頭部には髪飾りのような2本の角が生え、背中の中心から栗色の長い髪を分かつように金虹の隻翼があらわれた。モヘナ魔族モードである。
緑色の光になったしのぶがスケルグの身体中を包みこんでいた。斬り裂かれた細胞を修復し、一瞬でスケルグのケガを完治させる。
しのぶが元の姿に戻ると、モヘナがやさしく云った。
「しのクン、お疲れさまです」
「……モヘナこそお見事」
しのぶが感心したようすでこたえた。
天駆ける白鹿に変化できるしのぶの特異体質は魔族にとって珍しいものではあっても有用なものではない。
しかし、しのぶがモヘナや狩庭姉妹から名目上護衛されている理由は別にある。しのぶは生きたまま魔法の源である魂精になることができるのだ。
しのぶひとりではなにもできないが、魔族がしのぶを魂精として利用すれば、無尽蔵に強大な魔法を使うことも可能だ。
いわば、しのぶは魔族にとって使い減りしない魂精電池と云える。
人間界では悪魔同様魂精の供給がないモヘナでも、しのぶを魂精とすることで魔法を使うことができるのだ。
「スケルグさん、しっかりしてください!」
モヘナのよびかけにスケルグのまぶたがひらいた。
「……モヘナさま?」
「傷は治しました。今から血を補充します。もう少しがんばってください」
「モヘナ。どうしてスケルグの危機がわかった?」
「シュマリの身体からほんのわずかですが血のにおいがしました」
「朱都理酒真里がスケルグをやったのか!?」
「……シュマリさまは、堕魔族(悪魔)帰化計画の廃止を……告げにまいりました。私を殺そうとしたのは……ほかの悪魔に対する……警告でございましょう」
スケルグが息も絶え絶えに云った。
「スケルグ、しっかりしろ! ……どう云うことだ、モヘナ?」
「陰陽省がこの地に巣食う堕魔族を殲滅する決定を下したのでしょう。スケルグは堕魔族へのみせしめとして襲われたのです。これほど無害な堕魔族でも陰陽省は容赦しないと告げるために」
「そんなことのためにスケルグを殺そうとしたのか。……どっちが悪魔だ、チクショウ!」
陰陽省の冷酷さにしのぶが吼えた。




