第一章 ドクロ杖の少女〈4〉
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3人がホットココアで心と体をほっこり温めたところで、スケルグが百川李に食事を運んできた。
「お待たせいたしました。タンシチューでございます。お口にあうとよろしいのですが」
テーブルのすみで小さくなる百川李の前に、牛タンのシチューと小さなサラダとパンがふたつ置かれた。
「ありがとうございます」
申しわけなさそうに礼を云う百川李の目がスケルグの手首にとまった。彼の手首に小さな緑の宝石がはめこまれた銀の腕輪が光っていた。
百川李の視線を知ってか知らずか、スケルグは笑顔でうなづいた。
「客間のご用意をしてまいりますので、ごゆっくりお召しあがりください」
「……ありがとうございます」
踵をかえすスケルグの背中に百川李が少しふるえる声でお礼を云うと、そのままだまりこんだ。
自分の前にだけ食事が用意されて食べづらいのかとかんちがいしたしのぶが声をかけた。
「遠慮せずに食えよ。ここのタンシチュー絶品なんだぜ」
「あごが落ちるほどおいしいんだよ!」
のどかのセリフにしのぶがツッコミを入れた。
「あごが落ちたら食えなくなるだろうが。そう云う時は、ほっぺたが落ちるほどうまいって云うんだ」
「でもでも、ほっぺたが落ちても横からもれでちゃうじゃん。だだもれだよ、だだもれ」
「あごがあれば受け皿になるだろ。ほっぺたがなくてもなんとか食えるよ」
「だったら、あごが落ちても直接のどへ流しこめば大丈夫じゃん。この勝負五分だねっ!」
「じゃあ、ドクロ杖のドクロにあごがなくても問題ないってか? そのドクロって、ほっぺたはないけどあごはあるよな?」
「うにゅう……だったら、ドクりんのあごをはずしてたしかめてみるもん!」
そう云って、のどかがドクロ杖へ顔を向けると、ドクロ杖のあごは剃刀の刃も通らないほどきっちりしまっていた。
「ドクりん。ふたりでお兄ちゃんをふんわっふっふと云わせてやるんだよ」
そう云いながら、のどかが黒いドクロをペチペチとたたくが、ドクロにはなんの反応もない。
蛇足だが、のどかの云う「ふんわっふっふ」とは「ぎゃふん」のかんちがいである。前者はかつてイソノ家の若奥様がのどへ菓子をつまらせた時の反応である。
「ほら、ドクロ杖も完全に拒否ってるじゃん。おれの勝ちな」
意味不明の勝利宣言を告げるしのぶに、百川李がおそるおそるつぶやいた。
「……あの腕輪、ひょっとして悪魔の……」
「ん? ああ、スケルグの腕輪に気づいたのか。安心しろ。あの腕輪を造ったのはスケルグだ。彼は悪魔じゃない。人殺しなんてしない。むしろ神さまみたいに親切な人なんだぜ。わかるだろ?」
「うん、そうかも……。あ、じゃあ、いただきます」
百川李がホッとしたようすで手をあわせると、タンシチューに口をつけた。とろけるような柔らかさのタンに上品で深みのある味わい。はじめての美味に思わず感嘆の声がもれる。
「スッゴイおいしい!」
「でしょ、でしょ?」
目をかがやかせた百川李に、のどかがやさしくうなづいた。百川李の相手はのどかにまかせて、しのぶは暗い窓の外をながめながら沈思していた。
たしかにスケルグは悪魔ではない。しかし、厳密には人間でもない。彼は魔族なのだ。
魔族とは人間の棲むこの世界とパラレルに存在する異世界の住人である。
人間には使うことのできない魔法が使えるので、便宜的に魔族とよばれているが、それはイコール〈悪〉ではない。
魔族が魔法を使うためには、魂精とよばれるエナジーを源に、世界に充満している五大元素をその翼へとりこんで魔法へと変換する。
魔族と云う言葉につきまとう禍々(まがまが)しさは魂精に起因する。魂精とは人間が死ぬ瞬間に放出するエナジーのことだからである。
それは若ければ若いほど純度が高く、老衰や病死ではなく、事故や殺人などによる突然死のものが、より望ましいとされる。
魂精は下級魔族の死神によって人間界から収拾され、魔界へと放出される。それを空気みたいに自然と体内へとりこんでいるそうだ。
そんなこともあって、魔族が殺人で魂精を得ているように誤解されるのだが、魔族が自ら殺人をおこなって魂精を得ることは、人間乱獲防止のためにも禁止されている。
魔族に云わせると、
「そのようなことをするまでもなく、人々は事故や戦争で勝手に死んでくれる」
のだそうだ。人間の愚かさを突きつけられるようで、なんとも胸や耳の痛い話ではある。
魔族とは本来、人間よりも高次の存在で人間の目に見えることはないし(透明人間のようなものだ)わざわざ魔界よりも下等である人間界へ堕ちてくる必要もない。
すなわち、魔族にとって人間界への放逐は流罪なのだ。人間界へ堕ちた魔族はだれに気づかれることもなく、人のものを盗み食いなどしながら生きていかねばならない。
魔族は魂精なしで生きていくことも可能だが、それは人間が電気を使わないで暮らすにも似た感覚なのだと云う。
昔の人は電気がなくてもふつうに生活していたし、今でもその気になれば電気なしで生活することもできるはずだが、おそらく多くの人がムリだと云うにちがいない。
人間界へ堕ちた魔族にとってさいごのプライドが魔法なのである。しかし、人間界では死神による魂精の供給がない。
この世界での人の死は死神の絶対的監視下にあり、人間界へ堕ちた魔族がその魂精にありつけることはない。
〈死神狩り〉をして魂精を奪う悪魔の前例もあったが、その悪魔は〈冥土の巫女〉とよばれる王城の守護者・魔王ルシフェル直属の精鋭戦闘部隊によって抹殺されている。
ようするに、魔族が人間界で魂精を得るためには、自分で手を汚すしかないのだ。
殺人を犯して生の魂精を浴びた時に得られる恍惚感には麻薬のような中毒性があるらしい。もちろん魔界で魂精を得るよりはるかに強大な魔力を手に入れることにもなる。
そうやって殺人狂と化した魔族のことを悪魔とよぶ。