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第三章 呪宝具『ドクロ杖』〈15〉

   9



「いらっしゃいませえ」


 よく晴れた日曜日の午后、紀里香たちが『酔羊亭』の樫でできた重い扉を開くと、おっとりした口調の天使のほほ笑みにでむかえられた。


 パーマがかった茶色の髪にゴシックロリータ調の白黒フリフリエプロンドレス。たおやかな和風美人の十一御門(といみかど)当麻斗(とまと)である。


 昨夜とのギャップに固まる一同の困惑に気づかない当麻斗(とまと)が、人さし指をあごにあてて小首をかしげた。


「あっれえ。みんな固まっちゃって、どうしたのお? さあさあ遠慮なさらず入って入ってえ」


「え? ああ、はいはい」


 われにかえった紀里香を先頭にドクロ杖をたずさえたのどか、モヘナ、しのぶとつづく。


「みなさま、いらっしゃいませ」


 店の奥から顔をだしたスケルグにふたたび紀里香たちが固まった。左目の周りがマンガみたいに見事な青アザで染まっている。


「ちょ……、それって!?」


 紀里香の言葉にうなづきながら当麻斗(とまと)が云った。


「びっくりするわよねえ。昨夜、お店で転んだんですってえ」


「いや、まったく年はとりたくないものですな。お恥ずかしい」


 照れくさそうに頭をかくスケルグの三文芝居に紀里香たちは真相を悟っていた。


 昨夜、紀里香の電話で寝ている当麻斗(とまと)を起こそうとして、半睡(すなわち寝ぼけた)状態の当麻斗(とまと)に殴られてできたアザだと云うことを。


「モヘナさまもいらっしゃるみたいだからあ、奥の個室へおとおししますねえ」


 紀里香とのどかが〈照見メガネ〉をかけているので、モヘナもいることに気がついていた。


 虫も殺さぬようなやさしい笑顔で背中を向けた当麻斗(とまと)のうしろで、紀里香がスケルグへ向かって頭の上で手をあわせた。


(ごめん、スケルグ。私のせいでひどい目にあわせて)


 スケルグも困ったようなほほ笑みをうかべると軽く手をふった。


(いえいえ、紀里香さまのせいではありません。つまらない事故でございます)


 アイコンタクトでこのような無言の意思疎通を図る。そんなふたりのやりとりをかいま見たしのぶが自らをあざむくように祈った。


(ああ、神さま。ねがわくば昨夜のトマトさんは悪い夢でありますように)


 アーチ型の出入り口をロールカーテンで仕切ることのできる個室へとおされると、いきなり当麻斗(とまと)が頭を下げた。


「みなさん本当に昨晩はごめんなさい。悪魔がでたんですってねえ。私うたた寝してしまって、まったく気づかなくってえ」


(ええええっ! トマトさん、昨夜の一件まったくおぼえてないっ!?)


 紀里香たちが異口同音に心の中でツッコミを入れると、


「でもでも、私も夢の中ではみんなと一緒に戦ってたんですよお。ウソみたいに大きなカピバラ顔の悪魔と戦ったりしてえ。……カピバラ顔の悪魔なんてオカシクありませんことお?」


(……いやいや、それ現実だし)


(……よしんば夢だとしたらなんの自慢にもならんし)


(……ジキル博士とアルプスの少女なんだよ。あれ? ラルクの人だっけ?)


(……ケーキセットのタルトタタンが美味しそうです)


 4者4様の感慨にふける。


「ふしぎなことはまだあってねえ。今朝起きたら弾弑(だんし)がごっそりなくなっていたのお。寝ぼけて式神遣うなんてことあるかしらねえ?」


「さあ……」


 陰陽師ではないしのぶが頭をかいてとぼけた。


「それでえ? 今日もみんなお揃いでどおしたのお? テスト勉強の息ぬきい?」


「昨日の〈悪魔狩り〉のこともあって、聴駆追烏(きくおう)の配置のご相談とかしたくって」


 当麻斗(とまと)の問いに紀里香がこたえた。本当は昨夜の別人格ぶりが気になってようすを見にきたのだ。


「そうなんだあ。あ、それじゃあまず、ご注文うけたまわりますう。昨夜のおわびに私がおごりますからあ、みんなでゆっくりお茶しながら相談しましょお」


 フリフリドレスのどこからかピンクの細いフレームの〈照見メガネ〉をとりだしてかけると当麻斗(とまと)が提案した。全員の注文を訊いた当麻斗(とまと)が厨房へと姿を消した。


「まったくおぼえてないってすごいな」


「ひょっとすると本当に寝てたのかも。夢遊病みたいな感じで」


「のどかもあそこまで寝ぼスケさんカクさんじゃないんだよ」


「うっかりハチベエなのどかだけには云われたくあるまいに」


「お兄ちゃん、のどかに対する愛情足りなくない?」


「さいしょから、んなもんあるか」


「なのにセクハラはするのか」


「だからセクハラではないと、あとできちんと説明しただろうが!」


「こちらの世界の人たちは変わっていますね」


「いやいやモヘナさん。あれはこっちの世界でも相当特別だって」


 紀里香たちが雑談していると、お冷やとおしぼりをもったスケルグが入ってきた。


「紀里香さま。昨日はおちこちで〈悪魔狩り〉があったようでございますね」


「うん。私たちが戦ったのとほぼ同時刻に鳴鳥市や蓬莱市でも悪魔があらわれたんだって。計画的陽動よね」


 蓬莱市では陰陽師がひとり負傷している。


「陰陽省の上の方で堕魔族(悪魔)帰化計画を廃止する動きがではじめているともうかがっているのですが」


「そっちの話は聞いてないけど、そう云う話になってもふしぎじゃないかも。悪魔が影で徒党を組んでるのも気になるし、昨夜の悪魔が使用した魔力増強剤みたいなヤバい代物、ひっそり人間を襲うだけなら必要ないもの」


 紀里香の言葉にモヘナがうなづいた。


「この世界の堕魔族が集結して大っぴらに堕魔族の国をつくろうと目論んでいるのかもしれません。今回の件は〈冥土(メイド)巫女(ミコ)〉をつうじて魔界にも報告しておきました」


 モヘナの言をうけてスケルグが辛そうな顔をした。


「スケルグ。あなたの気もちはわからなくもない。私はあなたのことを悪魔だなんて思ってないし、こいつらより信頼できる大人の大切な友人だと思ってる」


 紀里香がしのぶとのどかを指さして云った。


「コラ!」


「ひどいよ、お姉ちゃん!」


「でも、やっぱり人の血で手を染めた悪魔は悪魔なのよ。あいつらが悔いあらためるなんて私にも思えない。もしそうなってしまっても、下っぱの私じゃスケルグの力にはなれそうもない。……ごめんなさい」


「いえ、どうかお気になさらず。噂がどこまでひろまっているのかたしかめておきたかっただけですので」


 口元にさびしげな笑みをうかべてかぶりをふるスケルグへのどかが云った。


「でもでも、スケルグのしてることはいいことなんだよ! マザー・テレサなんだよ、スターシャなんだよ!」


 堕魔族(悪魔)帰化計画は崇高な行為だと励ましたかったらしい。


「ありがとうございます、のどかさま」


 先刻より少しあかるい笑みをうかべてスケルグが会釈した。

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