第三章 呪宝具『ドクロ杖』〈6〉
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異変があったのは、その日の午后9時少し前であった。
しのぶたちは紀里香姉妹の部屋でテスト勉強をしていた。紀里香は自分の机で、しのぶとのどかは部屋に小さな座卓をだして、モヘナに勉強をみてもらいながら頭をかかえていた。
紀里香、しのぶ、モヘナは部屋着のスウェットだが、のどかだけは着ぐるみチックなフードつきのもこもこパジャマだった。頭にかぶったフードにはビーグルのようなタレ耳がついていて、マジメに勉強しているようには見えない。
紀里香とのどかはメガネをかけていた。別に目が悪いわけではない。モヘナの姿を認識するための〈照見メガネ〉である。山育ちのふたりの視力は3.0とムダによい。
「あ……、悪魔だ」
紀里香が顔を上げてつぶやいた。この時間帯は十一御門当麻斗が陰陽師として坐浜市の監視にあたっているが、紀里香の意識は常に遠隔型監視式神・聴駆追烏とつながっている。
「悪魔?」
「こないだ、あんたたちが李さんを助けた森林公園ね。ターゲットの人間もいないくせに正体あらわすなんてマヌケもいいとこでしょ。でも〈ガトリング〉トマトさんの実戦が見られるなんて、ちょっとワクワクするな」
紀里香が勉強の手をとめてほおづえをついた。聴駆追烏で当麻斗の〈悪魔狩り〉をライヴ観戦するつもりだ。
「え~、お姉ちゃんだけ見られるのずっこい! のどかもトマトちゃんが弾弑で戦うとこ見たいのにのに!」
「おれもちょっと興味あるな」
「あとで話してあげるから、あんたたちはちゃんと勉強してなさい。……にしても、おそいな」
「なにがですか?」
紀里香のつぶやきにモヘナが訊ねた。
「当麻斗さん。動きが感じられない。もう現場に着いててもおかしくないのに」
紀里香が管理している聴駆追烏に当麻斗がアクセスしている気配は紀里香も把握している。当麻斗が悪魔の出現を察知していないわけはないのだが……。
「……そう云えば、当麻斗さん云ってなかったっけ? ふだんは8時に寝てるって」
しのぶの悪い予感に、紀里香があわててスマートフォンをとりだすと、当麻斗へコールした。コール音が10回むなしく響くと、機械的な女性の音声ガイドが留守番電話センターに接続されたことを告げた。
「ひょっとして、当麻斗さん寝てるっ!? しのぶ、のどか、現場に急行して! しのぶのケータイはのどかへあずけといて!『酔羊亭』にも連絡してみるから!」
「わかった!」
しのぶが2階の窓を開けて白鹿モードに変化すると、のどかも〈照見メガネ〉をはずしながら押入れからドクロ杖をとりだして、しのぶの背にまたがった。
しのぶのひづめが音もなく桟を蹴ると、夜空へ高く駆け上がった。
紀里香がスマートフォンで『酔羊亭』をコールした。
「『酔羊亭』でございます」
スピーカー越しに落ちついた大人のバリトンが響く。
「スケルグ? 狩庭紀里香よ」
「こんばんは紀里香さま。お昼はご来店ありがとうございました」
「そんなことより、そっちに当麻斗さんいる?」
スケルグは店内の古い柱時計を一瞥すると答えた。
「まだ任務時間ですから、お部屋で待機されていると存じますが」
「ちょっと当麻斗さんが部屋にいるか確認してきてくれる? 悪魔がでたのよ」
「それで悪魔の方は……?」
「しのぶとのどかを向かわせた」
「ただ今、確認にまいります。折り返しご連絡いたしますので、ひとまず失礼いたします」
「ごめん。そっちも仕事中なのに」
紀里香が詫びると通話を切った。
「いかがでしたか?」
モヘナが紀里香へ訊ねた。
「確認中。寝ててくれればまだよいけど……ってよくもないけど、いなかったりするよりはマシって……チッ、ヤバイ!」
話の途中で舌打ちすると、ふたたび紀里香がスマートフォンでコールした。
「ハイハ~イ、のどかだよっ!」
「のどか、しのぶに伝えて。悪魔が花の時計台のベンチのカップルに近づいてるって」
「諒解なのです!」
のどかの返事に紀里香が通話を切った。森林公園の悪魔を監視している聴駆追烏の視界のすみに、白鹿モードのしのぶとのどかのシルエットが映りこむ。
「ヤレヤレ。なんとか間にあいそうね」
紀里香がホッとしかけたその時、モヘナがするどく云った。
「紀里香さん、坐浜市の地図を!」
「ちょっとなに? どうしたの?」
「ペンデュラムにかすかな反応があります!」
「……吸ケツ鬼!?」
紀里香が机の上の本棚から坐浜市の地図をあわててとりだすと、しのぶとのどかの勉強道具が散らばった座卓の上に広げた。
モヘナの右手には金色の細い鎖がからまっていた。そこへぶら下がるティアドロップ型の水晶の奥がほのかに光っていた。
以前、吸ケツ鬼の被害者からペンデュラムへ記憶させた魔法の残滓と同等の魔法を感知したのだ。
「どこ!?」
紀里香があわてた。彼女の聴駆追烏に吸ケツ鬼とおぼしき不審者の姿は映っていない。
モヘナが地図の真上にペンデュラムをかざすと、ペンデュラムが小さくまわりだした。
次第に大きな楕円の動きへと変わり、その動きに合わせてモヘナが地図上で手を動かすと、ペンデュラムは地図の一点を指して制止した。さっきよりも水晶の輝きが強い。
「ここです!」
「坐浜フォレストタウンね」
手早く制服に着替えた紀里香が答えた。市北部に位置する13棟のマンション街である。
夜でも明るく死角が少ないので、定点監視している聴駆追烏はいなかった。しのぶとのどかの向かった森林公園は西よりでかなり方角がちがう。
「それじゃ、ちょっと行ってくる」
踵をかえす紀里香の背後でモヘナが立った。
「私も行きます」
「あんたも行くって……しのぶがいなけりゃ魔法は使えないでしょ?」
「私とペンデュラムがあれば、移動した吸ケツ鬼のあとを追うことができます。それに格闘術なら紀里香さんより〈冥土の巫女〉たる私の方が上です。決して足手まといにはなりません」
「手あわせしたこともないくせに云うわね。……ついてきて」
唇のはしに不敵な笑みをうかべた紀里香に、モヘナが真摯な碧眼でうなづいた。




