第一章 ドクロ杖の少女〈2〉
「……畜生ふぜいに悪魔よばわりされるとは片腹痛い」
男が唇をVの字につり上げて笑うと、スーツの背中が裂けた。背中からコウモリのように禍々しい翼が生え、額からねじくれた角が2本突きでていた。闇の中で双眸が赤く光る。
「ひっ……!?」
ただただあ然として座りこんでいた家出少女が男の変身に腰をぬかした。
「のどか。あれをだせ」
白い鹿がドクロ杖の少女へ命令すると、少女はベーグルクッションをかかえた左手にドクロ杖をもちかえようとしてベーグルクッションを落とした。
「あうあう」
「ほんっとドンくさいな」
あきれる白い鹿を尻目にドクロ杖をもった左手でベーグルクッションをかかえなおした少女が、右手でポケットの中から小さな緑の宝石がはめこまれた銀色の腕輪を妙な効果音とともにとりだした。
「どっぎゃ~ん!」
「不本意ながら、おまえに選択権をあたえてやる」
白い鹿が悪魔へ云った。
「この腕輪は魔力を封じるものだ。つまり、人を殺しても魂精がうばえなくなる」
「だからどうした?」
「おまえがこの腕輪をはめて魔力を放棄するなら、これまでの殺人は不問にふして、この世界での身分や仕事をあたえてやる」
「断ると云ったら?」
「こいつがおまえを消す。あとかたもなく……な」
白い鹿があごをしゃくってドクロ杖の少女をさした。
「ぺろきゃぴっ!」
ドクロ杖の少女が悪魔に向かって、顔をしかめながら舌をだした。だれが見ても顔がかゆいとしか思えない仕草だったが、本人はウインクのつもりであるらしい。
「ふ……そうか。魔界から〈冥土の巫女〉が降りてきたと聞いていたが、おまえらその仲間だな? 慈善事業でもはじめたか?」
「……それは別件なんだけどね」
白い鹿がヤレヤレと器用に肩をすくめてみせた。
「で、どうする? すなおに腕輪をはめてくれるか?」
「なめるな! 下等世界のビチグソどもが! 魔風断……」
悪魔の翼が小さな竜巻を起こしかけたが、ドクロ杖の少女が悪魔のセリフをさえぎった。
「おそいっ! ドクりん、滅魔絶唱!」
少女が悪魔へ赤黒いドクロ杖をかざすと、ドクロの口から耳をつんざく怪鳥音とともに目もくらむような光が爆発した。完全に蚊帳の外だった家出少女もたまらず耳をふさいでうずくまる。
「ほい。いっちょあがり。……こんなのディナーのあとの朝飯前だよ」
「ディナーのあとから朝飯前まで何時間あると思ってるんだ。謎解きするにも長すぎるわっ!」
緊迫感のないセリフを受けて、家出少女がおそるおそる目をあけると、完全に炭化し絶命した悪魔のなれの果てが立っていた。
「ドクりん。お食べ」
ドクロ杖の少女がそう云うと、ドクロのあごがカタカタと鳴った。炭化した悪魔の骸が赤い霧となってドクロの口へ吸いこまれて消えた。
あまりにも悲現実的な光景の連続に、家出少女の思考回路はショート寸前である。
「あ~、つかれた。もう帰ろうぜ。放課後の部活だけでもしんどいのに、毎晩見まわりとかさせられて迷惑なんだよ」
白い鹿が前足をのばして肩を落としながら云った。ストレッチしているらしい。
「のどかもお腹空いた。帰りにコンビニでお菓子買おっ!」
「おごらないからな。自分の分は自分で買えよ」
「お兄ちゃんのいけずぅ。……いぢわる云うと、もう朝起こしてあげないんだから」
「いっつもさいごまで寝とるのは、おまえだろうがっ!」
「ひあああ! すいませんごめんなさい許してください堪忍してつかあさいっ!」
「はいはい。ほら、行くぞ」
身をかがめた白い鹿の背中に、のどかとよばれたドクロ杖の少女がベーグルクッションを置いた。乗馬ならぬ乗鹿用の鞍代わりであるらしい。
「……あのお、ちょっと」
のどかと白い鹿の背後から弱々しい声がかかった。
「ふに?」
のどかと白い鹿がふりかえると、家出少女が涙にぬれた瞳で冷たいアスファルトに座りこんでいた。
「ああ、忘れてた。もう大丈夫だから、家帰って寝ろ。て云うか自業自得だぜ? 女のコがこんな夜おそくまで遊んでるからいけないんだぞ」
人語をあやつる白い鹿からふつうに説教された家出少女が恥ずかしげにつぶやいた。
「……腰がぬけて立てないんだけど」
「ったく。しょうがねえなあ」
白い鹿が嘆息すると、またたく間に人の姿へと変わった。ジャージ姿の少年である。少年の背中からベーグルクッションが転がり落ち、その光景に家出少女の思考回路が完全にショートした。
白い鹿あらためジャージ姿の少年が、家出少女のうしろから両脇をかかえてもち上げた。放心状態の家出少女がなんとか立ったのを見て少年が手をはなした。
「これでいいだろ? ほんじゃ……」
「待って! 私、行くところがないの」
手をふって立ち去ろうとする少年に家出少女が云った。相手が鹿なら人語を解するとわかっていても話しかける勇気はわかなかっただろう。
「なんだよ、それ?」
「家出してきたから……」
「帰る家があるってことじゃないか」
「父親の暴力から逃げてきたの」
「いきなりそんなヘビィな話をされても、一介の高校生になんとかできる問題じゃないだろ。警察へ行ってくれ」
一介の高校生が白い鹿へ変化したり悪魔と闘うはずもないが、家出少女にそんなツッコミを入れる精神的余裕はない。
「でも、私この街はじめてだし……」
のどかが家出少女に助け舟をだした。
「お兄ちゃん、なんとかしてあげようよ。お兄ちゃんのとりえってヤラシイとこだけじゃん」
「それを云うならヤサシイと云え、人聞きの悪い。て云うか、ほかにもたくさんとりえあるし! サッカーとか超うまいし!」
「でもレギュラーじゃないじゃん。ほかには?」
「えっと、サッカーとか超うまいし……」
「それさっき聞いたもん」
「モ、モヘナもおれのことやさしいって云ってくれるし」
「もう一声っ!」
「……」
残念ながらジャージ姿の少年に際立つ長所は少ないらしい。
「ね、なんとかしてあげようよ、お兄ちゃん」
のどかがすがるような瞳でジャージ姿の少年を見つめた。
「そう云われてもなあ。……あ『酔羊亭』ならどうだろ?」
「モヘナちゃんの旦那さんの頼みなら、スケルグも断らないかもかも」
「旦那さん云うな。恥ずかしいだろ」
「ヒューヒューだねっ!」
「やかましい! 何時代の人だ、おまえは!?」
ほんのり頬を赤くそめたジャージの少年が家出少女に向きなおって云った。
「とりあえず、今晩泊まれそうなところへ案内してやるからついてきな」
歩きだした少年のうしろから、ドクロ杖とベーグルクッションをかかえたのどかが家出少女の手をとって屈託のない笑顔をみせた。
「行こっ!」
ちがった意味で悪魔以上にアヤシイふたり組だったが、家出少女はこれまでにない安堵感をおぼえた。